2015年11月21日土曜日

秋、収穫と読書、そして希望の野菜たち

秋が深まってきた。夏に植えて、秋になっても実を付けていたキュウリが、10月の終わりには壊滅した。最後は、小さな実がいくつか付いていたのだけれど、その実ごと干からびてしまった。そうなったら一気に枯れはてた。とにかく実験と植えてみて、水をやってただけにしては、ずいぶん何本も食べられて上出来だった。さて、秋の実りは、柿に続いてキウイの収穫。ここに引っ越してきた時からなっていたキウイ、いろんな人に聞いたり、ネットで調べたりして、収穫するのは秋の終わりでもいいとわかり、大きくなったのから、何回かに分けて獲った。実はこのキウイ、ものすごく美味しい。いい匂いがするし、甘いし、売ってるキウイより数段美味。何にもしてないのに、こんなキウイが手に入るなんて、ほんとラッキー。一昨日、最後の収穫、15個。キウイは冷蔵庫で保存しながら、食べようと思ったら追熟させて、何か月かは計画的に食べられるらしい。なんと便利なフルーツなのだろう。大事に食べていこうと思う。 

収穫と言えばもう一つ、静岡の天竜で収穫された椎茸が大量に届いた。これは、私の弟夫婦が作ったもの。弟は今まで、お茶をやりながら林業をやっていたが、この夏林業の会社を辞めて、椎茸を作り始めた。そして秋の実りの収穫、大きな段ボールいっぱいの椎茸が届いたのだ。このところの暖かさで一気に開いちゃったのだとか、まあるい形の良い椎茸ではない。どうしよう、こんなに大量の椎茸。まずは焼いて食べる。おいしい!いっぱい食べたけど、全然減らない。ご近所の方達にもらっていただいてもまだ半分にもならない。冷凍してもいいとおしえてもらったので、イシヅキを取って冷凍し、柿に引き続き、干し籠を使って干すことにした。今日はやっとお天気がいいので、朝から椎茸干し。籠に入りきらない分は、廊下で新聞紙に広げて干している。なんだか、そこはかとなく椎茸の香りが漂う。

秋と言えば、読書の秋、やっと落ち着いてきたので本が読めるようになった。私は、森博嗣の本を読み返すことにした。森博嗣はミステリーなのだけれど、とても哲学的、何故人を殺してはいけないか、殺人とは最も人間的な行為であるとか、科学とは何か、人間とは、意識とは、自分とは何か、なんてことが殺人事件の合間に散りばめられている。それがとても面白い。S&Mシリーズ、Vシリーズ、四季4部作ときて、実はそれらが繋がっていて、その後のGシリーズへ、これは全部揃えて読み直そうと決意、ブックオフで大人買いをした。と言っても、1冊100200円なので、数千円で揃ってしまう。ブックオフのネット版は本当に便利。この際だから、今まで何冊か欠けていたブラックジャックと、15迄あるけれど、最終の6巻があることを最近知った大友克洋のAKIRA6も買おうと、発注。届いたら、夫はAKIRAを読み直しにかかっている。彼の読書の秋は、漫画かな。

さて、キュウリの実りに気を良くした私たちは、コメリでいくつかの苗を買ってみた。白菜とカリフラワー。微妙なものをと言われたけど、そうかな、私は好きな野菜だけれど。それから、おじいさんの畑のところで売っていたブロッコリーの苗と、ごじゃ箱で買った分葱。おじいさんが肥料もくれたので、今度は水+肥料をちょっと。でもやっぱり植えっぱなし。なのに、だんだん育ち、白菜とレタスはなんだか真ん中が丸まってきた。そして、カリフラワーの葉の中央に、白い小さな希望が現れた。ほんの小さなカリフラワーの赤ちゃん、なんと可愛いの、こんなふうにできてくるんだと感動。ブロッコリーはまだ葉っぱだけだけど、分葱は時々ちぎってきて使っている。白菜とレタスも、らしくなってきた。希望の野菜たち。どのくらいになったら食べるべきなのか、悩ましいけど楽しい日々だ。田舎暮らしっぽいかな。 (11月21日 佳)




2015年11月5日木曜日

きんつば

 椎木商店街に「きんつばや」というお店がある。

かさやという小さなスーパー&大盛りの食堂の並び。

私たちが太東に引っ越した頃は、きんつば屋さんだった。実は甘いもの好きのうちの夫が、きんつばを好きで、一早く反応した。その時は、「じゃ、今度買ってみようね」と通り過ぎたのだが、その後、通る度に見ても、お店が開いていない。いつやっているんだろうと思っていたら、夏になって、かき氷屋さんになってしまった。「きんつばはないんですか?」「夏は氷だけなんだよ」、残念、ま、秋の楽しみにと思っていた。

 

そして、昨日、郵便局に行った帰りに、かさやさんでお刺身でも買おうと行ったら、きんつばやさんがやっている。やった!おやつに買って帰ろう。営業中の札の横に、『つぶあん・しろあん・クリーム』とある。あれ、なんか変、見るとたいやきの型みたいな丸い型があって、うん?と思いながら、「じゃつぶあん2つ下さい」。出てきたのは、丸くて茶色い今川焼だった。え~きんつばじゃない!これ今川焼でしょと思いながら、家に帰った。

 

夫に、「ついにきんつば買ってきたよ、でもね、ちょっと詐欺かも…」「これ今川焼じゃない」「そうだよね。でもこれきんつばって売ってたよ」なんて会話しながら、まずは食べちゃった。普通に美味しかった。さて、それから、きんつばについて検索。今は何でもすぐ調べられて便利ですね。すると、衝撃の事実が判明したのだ。きんつばというのは、あんを丸くして、衣をつけて焼いたもの。ただし、新潟県や千葉県の一部では、今川焼(大判焼き)のことをきんつばと言うとある。ここは千葉県、そうか、これきんつばで正しいんだ。びっくりです。詐欺なんて思ってごめんなさい。

 

ちなみに、私たちが思っていたきんつばは、四角くて、薄い衣を付けて六方を焼いてあるあんこのお菓子。夫は大阪、私は東京育ちだが、二人ともきんつばは四角いと思っていた。これは、角きんつばというらしい。もとともは、刀の鍔の丸い形を模し、ぎんつばと呼ばれていたものが、銀より金の方がいいということで、きんつばになったという。だから、丸いのが正しいわけで、これにもびっくり。知らないことってたくさんある。

 

ちなみに、この日は、かさやさんで、鯵のたたき298円とまぐろのたたき298円とお豆腐を買って、

残っていたレンコンの煮物の残りとキュウリとトマトで、豪華な夕食となった。かさやさんのお刺身は、いつも新鮮でおいしくて、その上安くて、大助かりの大満足。外房に越してきて、食生活は、東京の時よりずっと豊かになった水野家です。 (11月5日 佳)


2015年10月27日火曜日

太東での初ライブ

 

ライブ報告 いとうたかお 20151026

10月26日、太東に来て初めての本格的ライブをやりました。

いとうたかおさん、通称ペケ、名古屋のベテラン実力派シンガーです。2週間ほど前からツアーに出ていて、東北の方から南下してきた最終日に当たりました。

私は聞いたことがなく、とてもいいよ~という噂もあって、楽しみにしていました。

炎の雫でのライブは、基本生音・生歌です。小さな空間で、目の前にいるお客様に伝えるのに、電気的に増幅する必要はないと私は思っています。そして、できればワンマンで、じっくりとその人の世界を聞かせてほしい。その人の作り上げる世界を堪能したい。(場合によっては、ツーマンだったりもするけれど)

ライブのみならず、生のパフォーマンスというのは、観る側にとっては非日常の時間です。そこは、特別な空気の感じられる特別な場。明日から生きていくための糧になる、そんな場であってほしい。そのためには、演る側は、本気で、真摯であってほしいと思います。炎の雫ではそういうライブをやっていきたい、何かを伝えたいと本気で思っている人に歌ってほしいと思っています。


そんな思いでやってきたこの3年、いくつかの素敵な出会いがありました。

そして、太東での初ライブ、私の思っていたことをそのままに、いとうたかおさんは素晴らしいライブを見せてくださいました。ギター1本で、言葉を紡いでいく。気がつけば、もうそこはいとうたかおの世界に変わっている。いつのまにか耳を澄まし、言葉を逃すまいと思いながら聞く自分がいました。彼自身の歌も、また、中原中也の詩やさかうえけんいちさんの詩を歌った曲も、古いシャンソンの反戦歌も、等しく彼の世界のディテールとなっている。彼には歌いたいことがあり、伝えたいことがあるとはっきりわかります。それこそが表現するということ、人に提示するものを持って、伝えたいことを伝えるために己を研磨して、その準備を整えて人前に立っている本物の表現者だと感じました。ただ自分が発散するために、自己満足のために音を出しているミュージシャンもどきが多い中で、こういうパフォーマンスを見せてくれる人に出会えると、本当にうれしくなります。

私にとってもう一つ嬉しかったのは、最後の方で水野がギターで参加させていただいたこと。ご存じのように、去年の12月に脳出血で入院してから、左手の親指が思うように動かないらしく、それ以来何度かライブでも、素人の私でもあちゃ、と思うような場面がありました。それが、この日の伊藤さんのライブでのギターは、久しぶりに思いっきり弾けている様に見えました。そして、何より、ステージの上での2人のやり取りが見えるパフォーマンスだったこと。いとうさんは水野のギターを聞きながら、歌のニュアンスを作り、盛り上げていく。水野は相手が何をどう歌うかを見ながら、それに対応していくギターを弾く、それができる水野であったことが本当にうれしかった。これこそが、生の醍醐味ですよね。そして、お客様も、ちゃんと聞き、ちゃんと感じて下さって、演奏者と観客が共にその空間を構成しているのだと感じられる、いいライブになったと思います。


これからも、こういう素敵なライブを見たい、感じたいと思っています。そのつもりで企画を考えていきます。

12月23日(水・祝)にやってくる「やなぎ」も、独自の世界を持ったミュージシャンの一人、私の大好きなシンガーです。そして水野の命の恩人でもあります。(水野の脳出血を発見したというか、変だから病院に行こうと言って車で連れて行ってくれたのがやなぎさんです)

 外房のシンガーソングエンジニア・網野まことさんと共演していただくことにしました。どうぞ楽しみにしていてください。 (佳)


2015年10月10日土曜日

柿に取り組む

物置の横に柿の木が2本ある。たくさんの実がなった。どうにかしなくちゃ、とずっと思っていた。

さて、この柿、食べられるのだろうか、それが疑問だった。形は横長、綺麗なオレンジ色。ネットで調べてみると、渋柿はだいたい縦長だそう、じゃ食べられるかも。と、一つ食べてみたのが2週間ほど前。あ、甘い、やっぱり渋柿じゃないんだと思ったのもつかの間、口の中がギシギシする、変な後味。もしかしてこういうのを渋柿というのかもと気が付いたのは、しばらくたってから。(この間に遊びに来た私の友達たちは、柿の収穫体験をやってお土産に持って帰っちゃった。あれ、どうしたかな、ごめんなさい。)

                    

 

さて、ネットで調べて、渋抜きの実験をすることにした。すると、ちゃんと食べられるじゃない、やっぱりこういうのが渋柿なのね、と納得。知らないというのは恐ろしい。食べられることが分かったら、このままにしておくのは、なんだか罪な気がして、頭の片隅には、何とかしなくちゃ、がずっとある。遂に、意を決して、「今日は柿を採る!」と決めたのが一昨日。朝からピカピカの晴れ、ちょっと暑いぐらい。脚立を持ち出して柿を採る。小一時間で50個ほど収穫したところで、もういいかなとめげた。実は、2本の木、微妙に違う。手前の木は早く実をつけ、もうだいぶ鳥に食べられたり、熟れて落ちたり。奥の木は少し遅くて色も薄め、まだしっかりしている。結局奥の木の収穫になった。

採った柿を洗って並べる。さてその処理は? 決めていたのはスライス干し柿を作ること。渋柿は干し柿にするのがよいとされているけど、実は私はあまり干し柿は好きじゃない。どうしたものかとクックパッドを見ていたら、スライス干し柿というのがあった。切って干してドライフルーツみたいにする。ワインのおつまみにも、パンやケーキにもと書いてある。これならいいかもと思ったから柿採りを決行。なので、収穫した柿の皮を剥いてスライスし、ちょうど物置で見つけた干物干し籠に並べていった。3段の干し籠に、20個分くらいの柿が干せた。意外とたくさん入るもの。残った柿は、検索した保存方法で。それはティッシュを濡らしてへたのところに当て、ラップでぐるぐる巻きにしてへたを下にして冷蔵庫に入れると、熟成が進まず1か月くらいは保存できるというもの。柔らかくないカキッとした柿が好きな私としては、これいいねとやってみることにした。

 

こうして50個の柿の処理が終わる。でも、木を見上げるとまだ実がたくさん。まいいか、またやろうかな、それともあとは鳥さんたちにまかそうかな、と思いつつ、なんか達成感を感じた日でした。

 

この柿、実は渋柿じゃなかったというオチがある。剥いてて、ちょっと口に入れてみたら、あらら。全然大丈夫、このまま食べられるじゃない、なんだ干さなくてもよかったのね。でもスライス干し柿は渋柿でも甘柿でもどっちでも可とあったので、まいいかと思いつつ、ちょっとねえという気分も。つまり、手前の木が渋柿、奥の木は甘柿だったということ、来年のためにしっかと記憶に留めました。(10月10日 佳)


2015年9月17日木曜日

[カンタ!ティモール]再び

 

1年半ほど前、私たちはこの映画に出会った。去年の5月から、高円寺の炎の雫では、毎月上映会をやってきた。そして太東で、新たに《音・本cafe 炎の雫》を始めるにあたって、まず思ったのは、「カンタ!ティモール」の上映会を続けたいということ。この映画は、すでに炎の雫の大切な一要素となっている。
以下は、最初の上映会の前にブログに載せた文章である。

「カンタ!ティモール」

東ティモールのことなんて、ほとんど何も知らなかった、この映画を見るまでは。

 東ティモールってどこ?何かで耳にしたことがあるような、ニュースだったかしら、それとも旅番組だったかしら、そんな程度。のどかな南の楽園?とんでもない!

 この映画を見て、私はその苦難の歴史と、それに対して長い戦いを闘い抜いたやさしく雄々しい人々のことを初めて知った。そしてそんな自分を深く恥じた。


「カンタ!ティモール」は、ある日本人女性がティモールで耳にした歌から始まる旅である。それは若くして独立運動に身を投じた若者が歌う歌。その歌をたずねながら、それは同時に東ティモールの苦しく悲しい歴史をたどる旅となっていく。

1975年インドネシアの侵攻によってポルトガル領だった東ティモールは制圧された。国連はそれを占領とみなし非難したが、日本もアメリカ・ヨーロッパも、インドネシアとの関係を重視し、黙認。ティモールの人たちは独立を掲げてインドネシア軍と激しい闘いを長い年月に亘って続づけることになる。その中で、20万人もの人が虐殺されたというサンタクルス事件があり、国連の監督下で行われた住民投票で独立が決まった後のインドネシア軍による破壊と殺戮があり、多くの命が失われていく。

この映画に出てくる人たちは、みな家族や友人を、大切な人を失いながら生き延びてきた人たちである。
けれど、彼らは言う、「悲しいけれど、怒っていない」と。彼らは、悲しんでも人を憎まないことを選んだ人々。なんとやさしく、なんと強いのだろう。彼らは軍の兵士を捕えても、決して傷つけず、ただひたすら話をして帰したという、それが長い戦いの間に、密かにティモール独立の支持者を広げることにつながっていった。そんな戦い方を知って、私は強い衝撃を受けた。そして映画の中に出てくる日本、彼らの「日本には何も望んでいない。ただインドネシア軍を支援するのはやめてくれ」という言葉、ODAの名目のもとに殺戮を繰り返す軍の援助をしている現実、まったく知らずにいた私は、本当に恥ずかしいと思った。

そんな現実の中だが、ティモールには人々の笑顔があふれている。ルリックと呼ばれる精霊がここかしこに現れ、人々とともにあり、時には導く。誰もがその聖性を信じ、大切にしている。美しい緑の大地には歌声が響く。ギターを持った若者を取り囲み歌う子供たち。子供たちの瞳のなんと美しいことか。その目、その笑顔は、まっすぐに希望へと続いている。いつしか思いは、わが日本へ向かう。かつてはこの日本にもあったはずのもの、さて今はどこへ行ってしまったのか、取り戻せるだろうか、まだ間に合うかもしれない。ティモールの人々には、そんな微かな望みすら抱かせてくれる力があり、この映画にはそのためのヒントがたくさん詰まっている。

「カンタ!ティモール」を見て、ある人が言った、元気の出る映画だよ。

「カンタ!ティモール」 勇気をもらえる映画だと、私は思う。 ぜひ見てください!!(佳)

Canta! Timor」 公式サイト:www.canta-timor.com


 ★「カンタ!ティモール」上映会と江口晶さんのトーク 10月3日、14:00から。予定が決まったら予約してください。お待ちしています。

2015年9月14日月曜日

高円寺から太東へ

 ご縁というのは不思議なもの、千葉の外房への引っ越しは、あっという間に決まってしまった。私たちは、長年住み慣れた杉並を離れ、高円寺を離れ、外房の太東で新しい生活を始めることに決めた。



4月の末で高円寺の「炎の雫」を閉じた。最後の月は、ライブも映画もイデアの雫もやった。

5月の連休を使って、店の片づけをした。

さて、店の荷物をどうやって運ぼうかと思案していると、救世主が現れた。千葉の家を改装して、お店ができるようにする相談をしていた工務店の社長さんが、荷物を運んでくれるという。5月の中旬に、店の引っ越しは決行された。私たちは、人通りがあまりない早朝に荷物をトラックに積み込み、千葉へと出発した。生まれて初めての海ほたるを経由して、千葉に着く。結構近いんだ。ちょうど小学生が登校する時間だった。その日は、初めて太東の家に泊まった。時々電車が通る以外は、カエルの声と風の音だけ、静かだった。


さて、店の引っ越しが終わると、今度は家の片づけ。これが本当に大変だった。何せ20年も住んでいたのだから、どうしようもなくいろんなものが蓄積されている。人はいかに要らないものを捨てずにいるのか、思い知らせれた。千葉に行ったらすっきり暮らしたいと心から思う。5月いっぱいで児童館の仕事を辞め、それからが勝負、のはずだったが、その時点ですでに敗戦気分濃厚、友達に手伝ってもらったりしながら、何とか乗り切った。

6月中旬、ついに引っ越した。家の外ではエントランスのウッドデッキの工事中、家の中は段ボールの山。ベッドルームが確保されているので本当に助かった。このベッドもこの家の前の持ち主さんからいただいたもの、住居なのに居抜きと言っていい条件で引き継いだ、それが幸いした。

その日から、また片づけの日々、この家に残されたもの、店からもってきたもの、そして自宅から来たもの、3軒分の片づけ。さらに家の中の改装も始まる。ずっとぐちゃぐちゃは続く。お店のカウンター部分が出来上がって、やっと物の置き場が見えてきた。その時点で気がつけば2か月経っていた。

ここに来てまず思ったのは、緑一面の心地よさ。あたりは木や草や田んぼや畑、本当に気持ちがいい。

そして静かさ。聞こえるのは、風がさわさわと渡る音と鳥の声、虫の声。線路のすぐそばなので、電車と踏切の音がするけど、電車は1時間に1,2本だし、車もごくたまにしか通らない。なんて落ち着くんだろう。心も体もほっとする。駅のところに小さなスーパーがあり、踏切を渡るとホームセンターがある。自転車で15分くらい行くと大きなスーパーもある。そのスーパーに行くには、田んぼの中の一本道を通っていくのだけれど、これがホントに気持ちがいい。その真ん中くらいの畑で耳の遠いおじいさんが野菜を売っている。ここの野菜があまりにもおいしくて感動した。10円で売ってくれたキュウリは甘くて、キュウリが甘いなんて初めて思った。枝豆がまた絶品。ざるいっぱいに入りきらないほどで200円。虫もついてたけど。

                                                                                 

虫と言えば、千葉は虫と共存の生活。最初のころは、どこから来るのか家の中でいろんな虫を見かけた。小さな緑のカエルは毎日、お風呂場だったり、畳の部屋にいたり。カエルを外に出すのは夫の役目。今ではすっかり慣れっこ。見かけないと探しちゃうくらいお友達。かなり大きなクモが家の中に住んでいるみたい。ハリーポッターの禁断の森にいるクモみたいなやつ。でもクモはゴキブリを食べるそうだから、まいいか。越してすぐ、夫は小さなムカデに刺された。ムカデはやばいので、ムシコナーズを家の周りに撒いた。しばらくして私はハチに刺された。小さなハチだったのに、2週間たっても腫れている。やっぱりハチってすごいのね。

庭は芝生だったのを駐車場にしてしまったけれど、ぐるりと周囲が木に囲われている。中でもソテツの木が面白い。ここに来たときは、こんもりとした緑の山、まるで怪物みたいだったが、先日植木屋さんの手で全く別な姿に変わった。その姿も個性的、私はすっかりソテツファン。この庭はいろんな木があるという。松、梅、桜、桃、棕梠、月桂樹、藤etc、キウイの実や柿の実もなるし、バラも咲くらしい。ミントの葉っぱがいっぱい生えているのに気づいた件の社長は、それでモヒートを作ってくれた。植物に全く疎い私たちだが、結構楽しい。調子に乗って、ホームセンターに夏植えのキュウリがあったので植えてみたら、まったくただ植えて水をやっていただけなのに、キュウリが収穫できて感動。今まで4本食べたかな。ちゃんとおいしいキュウリでした。

                                                            

そんなふうに過ごしながら、自転車で近所を探検。太東海水浴場の海までも15分くらいで行けることを発見。太東灯台(ここの展望台に立つと地球が丸いことがわかる、絶景です)の方に、素敵なカフェも発見、ここは石窯で焼くおいしいピザが食べられる。崖の上の個性的なカフェもある。また、この辺りはパンやさんが多い。自転車圏なら4,5軒もあり、それぞれおいしいパンがある。なんだか東京よりずっとリッチな環境だ。

外の工事が終わると、自分たちでペンキを塗った。いろいろ考えたあげく、色は深い緑にした。ここでのイメージカラーは緑、窓枠やドアのガラスは淡いブルー。これは炎の雫の看板の色。緑との相性もいい。ペンキを塗るのは楽しかった。夫も私もはまってしまい、もっと塗るとこないかなと探す始末。
家の中に作ってもらったカウンターが出来上がると、やっと店のレイアウトが考えられるようになった。ずっと置きっぱなしだった段ボールを開け、食器やレコードや本を配置する。ここ外房では、「音・本cafe 炎の雫」という名前に決めた。音と本をゆったりと楽しんでもらう空間にしたい。
そうこうするうちに、もう3か月。保健所の営業許可も取れた。そろそろお店を始めようか、どういうふうにやろうかと夜な夜な、じゃないか、夜に昼に話し合っている。10月には営業を始めるつもりだが、せっかくだから、のんびりやりたいと思っている。


実は、9月6日の日曜日に、内輪のウォーミングパーティライブをやった。高円寺の炎の雫でも、半年ごとに神戸から来て歌っていた松濱正樹さんが、いつもの青春18きっぷで上京、ここに来たいというので、千葉は大網在住のシンガー畔柳賢朗さんにも歌ってもらい、水野たかしと3人のライブ。パーティライブなので食べ物も用意し、アットホームな集い。炎の雫開店当初のメニューだったチキンハムや、おじいさんの畑で買ったなす、近くのパン屋さんのパンで作ったサンドイッチ、勝浦の朝市で買った桜えび入りの卵焼きなどを作った。夏休みに東京からやってきた友達(彼女は引っ越しの荷造りを手伝ってくれた人です)が持ってきてくれたブルーベリーの冷凍を使ってケーキも焼いた。ずいぶん久しぶりに、人に食べていただくものを作った気がする。リハビリが必要ね。


今日は雨、朝から時折強く降ったりしながら、降り続いている。ここはいつもだいたい風が吹いているけど、今日はあまり風がない。だからいつもなら聞こえる風の音がしなくて、雨の音だけ。虫も鳥もどこかに避難しているのか、とても静か。コーヒーを飲みながらぼんやりと外を眺める。こんな贅沢な時間を過ごしている自分が不思議。だけどもうずっと昔からここにいたような気がする。ある友人がここに来て、私と夫がこの家に、この空間に親和していると言った。20年も昔からここで店やってるみたいだねと言った人もいる。それが縁というものか、私たちはこの家に呼ばれた。だからこんなに心地よくいられるのだろう。


皆さんもどうぞ訪ねてみてください。千葉は外房、太東の風の音を聞きに来てください。お待ちしています。(佳)

2015年1月28日水曜日

少しずつ、ゆっくりと…
















2015年が始まり、もうひと月になろうとしています。
17日の土曜日に、とある施設の成人式に行ってきました。

炎の雫で2か月に1度続けている「ごはんの会」のメンバーが今年成人式を迎え、彼らの中の2人が働いている作業所の成人式のお祝いの会です。気軽な会だと思って行ったら、ずいぶん立派な会で、議員さんや養護学校の校長先生も来賓で出席されていて、困ったなと思ったけど、暖かな雰囲気のいい会でした。
この施設で成人を迎えたのは3人、職員さんによる一人ひとりの紹介で彼らの普段の様子が垣間見え、保護者の方の言葉には、ここまで育ててきた日々の大変さとだからこその成人を迎えた喜びが表れていました。

彼らが小さな時からの写真をスライドで写したり、他の作業所の人たちがお祝いのフラダンスを踊ってくれたり、仲間たちが歌を歌ってくれたりと、楽しいプログラムがいっぱいでした。フラダンスを踊ってくれた中にも、ごはんの会のメンバーがいてびっくり。私は、彼らとは小学校の高学年または中学生になった時からのお付き合いなので、感慨深いものがありました。

少しずつできることを増やしながら、ゆっくりと成長してきた彼らが、これからも、楽しく働き、暮らしていけるようにと心から願っています。その一つとして、「ごはんの会」も続けていきたいなと思います。(ここで、ごはんの会って何だろうと思っている方のために解説。ごはんの会は私が以前働いていた、障害児の放課後クラブを卒業し社会人となった若者たちと、それに関わっていた大人たちが集まって、一緒にごはんを作って食べる昼食会です。炎の雫のスペースを貸し切り状態にし、みんなでワイワイやっています。知的障害を持つ彼らをサポートする大人たちはボランティアです。ごはんを食べた後は、絵本と手話の歌、時には工作をしたり、彼らが中高生だったころのように活動しています。)

さて、お店の方はというと、6日の夜に映画上映会から始めました。
この日は、土日には来られずまだ「カンタ!ティモール」を見ていないうちの長男や知人たちが集まりました。
いつも上映後、私が少し話し、最後に主題歌とも言える「星降る島」をみんなで歌っているのですが、夫にギター弾けそう?と聞くと、大丈夫だろうというのでやってみました。結果はOK、一安心。
20代から60代までの世代の違う人たちが、いろいろ話し合うことができていい上映会になりました。
これが復帰の第一歩。
そして、8日から、午後1時から5時までの短い時間ですがお店を開けることにしました。
少しずつ、ゆっくりとペースを戻していこうと話しています。
イベントは予定通りに行います。17日には、“あおやぎとしひろ&くみこ”のライブでした。夫はギターを何曲か弾かせていただきました。家でギターを弾いて、ある程度は弾けると思っていても、人と一緒にやるとか実際のライブでやるのは全く違うからと不安に思っていたようですが、あおやぎさんと一緒にやらせてもらって、なんとかなりそうと思えたようでした。お二人も気づかいながら演奏してくださり、なんだかいつもにもまして優しい音色を奏でてくれたように感じました。あおやぎさん、くみこさん、ありがとう。
21日の水曜日は稲生座のライブが入っていたのですが、おかげでそれも無事にできました。稲生座のみんなも、対バンのるーぱんも、見守る眼差しが暖かくて、なんだかぐっときました。
ライブの方も、少しずつゆっくりとやっていけそうです。

新しい試みもあります。
名付けて「イデアの雫」。“支え合い”をテーマに、人と出会い、話を聞く会ということで、様々な場で誰かを支える活動をしている方のお話を聞き、繋がりを考えていこうという会です。私が児童館で知り合った仲間たちと一緒に始めようということになったもので、12か月に1回不定期開催。
1回は129日木曜19:00から、西方郁子さん・松本麻里さんによる「支え合いを目指す人たち~西方さん・松本さんの訪問記」、第2回は2月24日、槇直子さん「子供が主役の放課後教室」、第3回は3月20日、関本保孝さん「夜間中学校~多様な国籍・年齢のせいとが集い、学ぶ場」です。興味のある方はご連絡ください。

日常生活はというと、生活のペースも、少しずつできてきました。

減塩生活にも慣れてきました。今までと違うのは、お料理の始めはまず計算というところ。テーブルに座り、病院でもらった塩分表を傍らに、食品のパッケージを眺めながら、何をどれだけ使ったら塩分何グラムと計算します。夕食だったら3人前で塩分6グラム、それぞれに使う塩分量を決め、小皿に計量。タニタのはかり活躍中。
ある日のの夕食は(写真)、カレイの煮つけ・一緒にお豆腐を煮て、ここに塩分約3グラム。切り干し大根の酢の物ここに2グラム弱。かぼちゃの煮物はだしとお砂糖で煮て0.1グラム。スナップエンドウをゆでてマヨネーズで食べるのは0.4グラムくらい。合わせて5.5グラムくらい。どうかな? と食べてみると、これが結構いけます。煮つけは甘辛い濃厚な味ではないけど、別物と思えばなかなかいけます。おいしいよ。こんな感じで、毎日毎日、なんだ大丈夫、おいしいよねと食べている私たち夫婦ですが、かわいそうに息子は、う~ん、と言いながらお醤油かけたり、お塩かけたりしながら食べています。

だしの話。

粉末だしの素を使うと5グラムで塩分1.5グラムもあり、一人分がほぼなくなっちやう。私、ほんだしが得意だったのですが、だしをとることにしました。と言っても、本格的にとるのはめんどくさい。そこで、生協のだしパック。麦茶のパックみたいになってるやつ。これでだしとると、100mlあたりの塩分は0.07グラム、これはほぼ無視してもいい値。私はいい加減なので0.1以下は考えに入れないことにしてます。あんまり細かいと疲れちゃうから。だから、いつも6グラムぎりぎりじゃなくてちょっと残すようにしてます。これで何とかなるでしょう。
減塩したからって直ぐに血圧が下がるわけじゃない、こっちも少しずつ、下がっていけばいいと思いながら、ゆっくりと続けていくしかないと思います。
こんな感じで暮らしています。
少しずつ、ゆっくりと…今年のモットーです。 (佳)



ご近所グルメと商品券

  暑いですね。今年も、暑くてカフェはお休みにしました。 暑くても、おいしいものは食べたい、ちゃんと食べて頑張らなくちゃ、って思いますよね。 7月24日からカフェを夏休みにしたので、ふらっとご飯食べに行くこともできます。遠くに行くのは大変だけど、ご近所でちょっとなら。 というわけ...