2022年12月27日火曜日

岡本太郎と藤原新也

 

ずいぶん寒くなってきましたね。

先週、2つの展覧会のはしごをしてきました。2022年のお出かけの締めは、見ごたえのある2つの展覧会を1日で回るヘビーなもの。でも、すごーーく面白かった!とっても疲れたけれど。

午前の部は、東京都美術館の「岡本太郎展」。午後の部は、世田谷美術館の「祈り・藤原新也展」。ご紹介していきましょう。

まずは岡本太郎から。この写真は、渋谷駅の中にある巨大壁画「明日の神話」の下絵の一部です。本物はメキシコのホテルのため制作されたけど行方不明になっていて、2003年に発見され、修復されて渋谷駅に設置されたのが2008年。その時、これを見るために渋谷に出掛けていき、しばらく眺めていたことを覚えています。流れていく人々の中で足を止めてみる人はほとんどいない、どうしてみんな見ないんだろうと思いました。展示されていたのは三分の一スケールの下絵、でも十分大きい。これ、いいです。すごく力があります。

自由奔放であるかのような岡本太郎の絵。大雑把な構成は同じで絵の一部分を変えたシリーズ作品がいくつか並べられていて、結構考えて作っているなぁと感じます。それらを順番に見ていると、岡本太郎という人がとても頭のいい人なのが分かってきます。実はデザイン的に緻密に計算されているのです。「芸術は爆発だ」と彼は言うけど、爆発してない。爆発してるにしても、打ち上げ花火のような感じかな。
会場で、芸術は爆発だ!を一躍有名にしたビデオテープのテレビCMが流されていたけど、あれは映像のマジック。確かに爆発させてインパクト大。
でも、私は、一枚の絵は、優れたデザイン作品としてそこに留まっている感じがしました。

むしろ面白いのは造形作品です。会場の入り口には天井からつるされた白いオブジェ、内側から光っている。
その下には太陽の塔の顔みたいな作品がおいてあります。ようこそ岡本太郎ワールドへ、という感じ。
宇宙人みたいなやつ、昔の怪獣みたいなやつ(カネゴン?)、縄文土器を彷彿とさせるもの、太陽の塔につながる作品たち。造形作品の方が全然楽しい。
「座ることを拒否する椅子」などの椅子シリーズや家具が置かれ、上にはこいのぼりが泳いでいるコーナー。岡本太郎の作った日用品、グラスやカップなどの食器、どれも一筋縄ではいかない、カエルのデキャンタとかあったり。ネクタイやスカーフ、そんなものが置かれているところも、ほんと楽しい。


中でも、気に入ったのがこれ。
なんかいい感じ。岡本太郎にしては、珍しく気品がある。
なんで惹かれるのか、わからないのだけれど、これ好きって思いました。




岡本太郎といえば「太陽の塔」。これは太陽の塔の内部の「生命の樹」の模型です。樹の下の方にはアメーバー、貝やイカみたいなもの、その上に爬虫類、恐竜、マンモスとかゴリラとか動物たちがいて、一番上に人間。進化を表しています。これ、塔の内部に入って現実体験として見たいです。

小学生の時万博には行ったけど(歳がばれますね)太陽の塔は外から見ただけ、なんだあれ?って思いました。 数年前に「太陽の塔」という映画を見て、中に入ってみたいと思って、調べたけれど、前日までに予約必要で、まだタイミングが合わず行ってません。
後ろにあるのは「明日の神話」。太陽の塔と明日の神話のコラボ、ここでなければ見られませんね。

岡本太郎展、パワー溢れています。残念ながら明日12月28日までです。だからギリで行ってきたのですが。明日行けそうな方、ぜひ行ってみてください。

上野から用賀へ。岡本太郎は一人で見たけど、用賀で夫と待ち合わせして午後は世田谷美術館の「祈り・藤原新也展」。展覧会の副題は「メメント・モリ~死を想え、メメント・ヴィータ~生を想え」、もうこれだけで行かなくちゃという気にさせます。

藤原新也、写真家。1944年生まれ。団塊のの世代にとってはバイブルのような「印度放浪」、うちの本棚にも文庫本があります。なんだかずいぶん昔の人かと思っていました。でもバリバリの現役でした。先日の日曜美術館で見て、これは絶対行こう!と。

行ってみたら、凄かった。まるで絵画のように美しい写真。見えるものを写しながら、見えないものも描き出す力に圧倒されました。

始めは「メメント・モリ」。
最初の写真は、ガンジス川のほとりで荼毘に付されたご遺体、燃え残った骨を川に向かって投げる。まるで何かのスポーツのように。(肩のあたりの骨が一番燃え尽きにくいんだとか)
次の写真は死んでいく聖者。そして、ご遺体を焼く炎、待ちながら川のほとりで時を過ごす人々。

死を写しているのに、なんて美しいんだろう。本来、死は忌むべきものではなく、自然の流れの中の一部でしかないと感じさせる写真が並びます。このコーナー、名作だらけです。


これはすごい!!
『ニンゲンは、犬に喰われるほど自由だ』という言葉が添えてある。
この写真(写真とは思えない、まるで絵みたい)サントリーオールドのコマーシャルに使われたらしい。その時添えられたのは
「ヒト食えば鐘が鳴るなり法隆寺」
凄すぎる!
藤原新也の魅力は写真に添えられた一言にもあります。言葉が写真の後ろ側を読ませてくれるのです。

さて、「メメント・ヴィータ」。生きているものへのまなざし。
チベットの僧の抱えた野に咲く花。傍らには「寿命とは、切り花の限りある命のようなもの」とある。生を謳歌するものの美。
ポラロイドカメラで撮った現地のたくさんの人の顔は、どれも生きる喜びに満ちていて魅力的。2枚とって1枚プレゼントしたのだとか。その時のやり取りを想像して、思わず微笑んでしまいました

『チベット高原。この世はあの世である。』
「人体はあらかじめ 仏の象(かたち)を 内包している。」

藤原新也は、世界を旅しました。インド、トルコ、イスタンブール、台湾、香港、韓国、アメリカ、フランス…。各地でその時を写して来た。そして日本で、神の島と呼ばれる沖ノ島を撮る。人の立ち入りが禁止された島に存在する手つかずの自然、だがそこはきちんと秩序を保った信じられない美の世界だったという。人の手が入らずとも、否入らないからこその生命の喜びにあふれる世界。

藤原新也は東京芸大の油絵科の出身。彼の描いた絵やリトグラフも展示されています。その中の1枚。これ、先ほどの太陽の塔の中の生命の樹に通じるものがあるような気がする。
もっと言えば、インドの民族絵画、ミティラー画とかゴント画とかにも似てる。私の勝手な思いだけど、世界各地にある生命の源の木、それと通じているみたい。

東日本大震災の後、彼は被災地に赴きました。
破壊しつくされ、瓦礫と化した街。

「あまねく照らされている。…光はあらゆる地上の生と死を照らし出す。私の眼に、それは時に残酷な光に、あるいは時に慈悲のような光に見えた。」
この展覧会は、藤原新也自身が、現在の視点から、「祈り」というキーワードに基づいて、編集し厳選した作品によって構成された展覧会です。ここでは触れませんでしたが、「日本巡礼~本当の美しさはなんでもない日常にひそんでいる~」、自身の出身である門司港也家族を撮った「藤原新也の私的世界」、亡くなる前の瀬戸内寂聴さんとのやり取りした書「寂聴」、渋谷のハロゥィンや日本の現在を捉えた「いま」などのコーナーがあり、見ごたえ充分です。

最後の写真は、ガンジスのほとりで、日没後に老人の手のひらで灯された小さな火。
「祈り」というタイトルを象徴しています。少し長いですが、この写真に添えられた言葉を引用します。
 
 てのひらの中のともしびは 宇宙の彼方からは見えない。
 ヒト一個の塊はそのように非力だ。
 誰もがそのてのひらの中に 火をともす自由を与えられているということ。
 この地球規模の災禍の中で
 そのひとつひとつのともしびの集積が
 やがて大きな塊として花開くということ。

藤原新也は言います。「私は小さな祈りをあきらめない」

2022年の終わりに、この言葉をかみしめましょう。
何がやってくるかわからない明日に向かって、何もできないかもしれないけれど、祈りをあきらめないことくらいはできる、その祈りがやがて大きな花になると信じたいと思います。

2022年の終わり、藤原新也は胸に深く突き刺さる矢でした。いい展覧会に出会えました。頑張って行ってよかった、心からそう思える「藤原新也展・祈り」でした。ぜひぜひ行ってください。超超おすすめです。

世田谷美術館「祈り」は2023年1月29日まで。(年末年始12月29日から1月3日はお休み)

*余談ですが、期せずして2つの展覧会で展示されていた書。岡本太郎は「殺すな」、藤原新也は「死ぬな 生きろ」。年の差33歳の二人ですが、なんかシンクロしてますね。

炎の雫、2022年のカフェ営業は昨日で終わりました。今年もありがとうございました。(豆の注文はお受けしています。)
みなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
2023年が平和でよい年になりますように、祈りましょう。

2022年12月27日 水野佳





















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