大好きなシンガーでした。
やなぎさんのことを想うとき、いつもふと浮かぶ歌があります。
♪道の上に突っ立たまま 朝のコーヒーを飲んでいる もう当たり前のようになってしまった 君から何百キロも離れた町で♪
今日はどこで朝のコーヒーを飲んでいるんだろう、今夜はどこで歌うんだろう、いつもそう思っていました。
……もう歌わないんですね。……哀しい。
やなぎさんとはもう15年以上の付き合いになるでしょうか。初めは、高円寺の稲生座から夫が持って帰ってきた1枚のCD。珍しく聴いてみて、私は、これあんまり好きじゃない、と言ったそうです。(本人はあんまり覚えていないのですが)それが、たまたま稲生座で生でやなぎさんを聴いて、強いインパクトを受けました。たぶんしみじみとした歌もたくさんあったのでしょうが、私の中に残ったのは「バイバイフォークシンガー」という曲でした。
♪バイバイフォークシンガー いんちきフォークシンガー あんたの歌はもう二度と聞きたくない バイバイフォークシンガー いんちきフォークシンガー 俺の歌を俺は歌う♪
なんだこの歌、って思いました。ステージが終って、やなぎさんに、あの歌は誰のことを歌ったの? と聞きました。彼は笑って答えませんでした。それが始まり。しみじみと心にしみこんでくるような歌を書くやなぎさんですが、彼の内側に潜んでいる反骨精神みたいなものに、私の中のある部分が呼応したのだと思います。
それから私は一人でやなぎさんを聴きに行くようになりました。日本全国を歌って回っているやなぎさんなので、行けそうな時、行けそうな場所を見つけては足を運びました。稲生座にも、夫のライブ以外でお客さんで行ったのは初めて。稲生座で、大森の「風に吹かれて」で、鶴間の「菩南座」で、決して忘れられないようなライブを見ました。特別な状況下で、特別な思いを込めて歌ったライブ、たまたまそこに居合わせた、幸せなことです。
好きな歌は数えきれないほどあります。今から思えば、最初に聴いたCDにもいい曲がたくさん。それらはライブで聴くうちに好きになっていきました。
しっとりした曲で最初に、これいいなあ、と思ったのは「遠い空を想う時」
♪夜中のホームに立ち 来るはずのない汽車を待つ 何処かへ行きたくて何かを変えたくて心はいつも揺れている 遠い空を思う時 帰る場所のない寂しさと とどまることの辛さの間で♪
名曲「旅という生活(くらし) 生活という旅」 この曲はすごい。
♪いつだって分かれ道は目の前にある 生きていくってそういうことだろう 旅という生活の中で 生活という旅のなかで♪ 真理です。深い。(この曲、花巻のとある店のライブで、お店のオーナーの小さな子供たちが合唱していて度肝を抜かれた思い出があります。)
お酒の歌もたくさんあります。中でも「ウイスキー」 水野が歌いたいと取り組んでいるけど、難しいって言ってます。
♪ウイスキーウイスキー 光の水よ 俺をどこかへ連れてってくれ ウイスキーウイスキー 光を集めた水よ 俺をどこかへ ここじゃないどこかへ♪
次第に私の顔を見ると、やなぎさんは「よしみさん、今日は何が聞きたい?」と聞いてくれるようになりました。お言葉に甘えて、いろいろリクエストして歌ってもらったものです。あの頃が一番やなぎさんに浸っていた時期でした。
その中の一つ「明日になれば」。暗いけど大好きな曲です。“月の光も届かぬ場所でびっこの子供が座って”いたり、“ポッケットにナイフを忍ばせて信じるものをふりかざし”たり、“風はとうに止まって言葉はゴミ箱であえいで”いたり。でも ♪明日 明日 明日になれば でも明日はいつだって明日のままだ♪ そう、明日はいつだって明日のままなんだよね、なんでこの曲に魅かれるんだろうといつも思いながら、歌ってもらっていました。
東北の話。2014年の暮れ、夫の左手が変な動きをしているのを見て、病院に行こうと連れてってくれたのもやなぎさんでした。その日彼は稲生ライブで、珈琲を飲みに来ていました。当時の職場にやなぎさんから電話をもらって脳出血を知らされました。その日は、たまたまカンタティモールの上映会の前日で、夜中に機材の使い方がわからなくて途方に暮れた私は、稲生座でのライブを終えたやなぎさんを呼び、セッティングしてもらったのを覚えています。やなぎさんは何重にも恩人です。(上映会当日は、名古屋から江口晶夫妻が来てくれることになっていて、お二人の協力で無事上映会は開催できました。)
再び歌の話。
フォークシンガーのラインに連なる曲は、ある一定の期間を経て、時々現れます。それらは、いつも私に強い印象を残します。
「いきるものの歌」 これは震災後の「また歩き出そうとしている」というアルバムに入っています。釜石でたまたま一緒にになった高円寺のミュージシャンが気に入って、あれが聞きたいと言いました。力のある歌です。やなぎさん公認で水野たかしも歌っています。というか、私が水野に歌ってって言いました。すると全然違うアレンジになっちゃたけど、やなぎさんも水野さんらしいと笑ってました。
♪土砂降りの雨の中 隠れるとこなどありはしない 靴の中まで水浸し それでも走り続けるんだ 信じることをやめるな 疑うことをやめるな 届かぬものに手を伸ばし もがき続けることをやめるな♪
2015年、私たちは千葉のいすみ市へ引っ越しました。そのころからやなぎさんの活動はソロではなく“やぎたこ“比重が増えていきました。やぎたこはオールドアメリカンフォークのデュオ。マンドリンとかバンジョーとかダルシマーとかいろんな楽器を使ってルーツミュージックを演奏するスタイルで、一定のファンを獲得して、忙しくなっていました。千葉から行けるところも少なくて、やなぎさんのライブから少し遠くなって。
ある時、ああやなぎさんが聴きたい! と思って、愛知県犬山まで行ったことがあります。「ふう」という喫茶店、やなぎさんに一番おすすめの店はどこ? と聞いたら、犬山の「ふう」と言ったので、えいやと行ってしまうことにしました。この時のライブ、絶品でした。涙が流れました。この時は私たちのように、遠く松本から来た女性もいて、今日は遠くからの人が多いねと言いながら淡々と歌って。「ふう」はとっても素敵な店で彼の歌にぴったり合っていて。松本の女性とはその後、飯田で水野がレコ発ライブやった時に来てくださって再会しました。ご縁はつながるのですね。
やなぎさんのライブは、外房の炎の雫では2回、結局ライブをやる側になってたった7年でした。まだこれから何度も歌ってもらいたかったのに…。それ以外に、やなぎさん、ぷらりとやってきて、CDのための録音をして行ったことが何回かあります。
この最新のCDには、いくつか彼の内なる炎が透けて見える曲があります。これぞやなぎさん、と思うような曲。その最たるものが「貧しい人々」です。辛辣な言葉が並んでいます。
♪パソコンの画面の中に真実なんてない 真実をもてあそぶ悪意があるだけだ 国の最高機関の議事録に正義なんてない 正義をもてあそぶ言葉が並んでいるだけだ …… 売れるものは何でも売ってしまえとばかりに 人を売り 武器を売り 核を売り 種子を売る しまいにゃ国を丸ごと売り払って 足元をすくわれても ほらもう転ぶ場所もない 僕らはどうしてこんなに貧しくなったのか 僕らはどうしてこんなに貧しくなったのか♪
久しぶりの衝撃でした。今の社会状況、彼の言う通りに進んでいる。何なんでしょう。
この「小さな町の小さなライブハウスから」というCDを持って、炎の雫にライブに来てくれたのがちょうど2年前、2020年2月29日でした。その時、久しぶりに聞いたやなぎさんの歌声に心が震えました。お客さんの中の一人は、翌朝わざわざCDを買いに来てくれて、やなぎさんはこういう出会いがいいんだよなあと言っていました。ちょうどコロナが始まったころで、本当は次の日やなぎさんに高円寺まで連れて行ってもらって稲生座でライブのはずでしたが、中止にして、やなぎさんを見送ったのが最後になってしまいました。
最後に、新しいCDから「はじまり終わり」。
これも名曲です。はじまり終わり……というリフレインのあいだにちりばめられた言葉たちがどれもよくて。「もう二度と出会うことのないたくさんの人たち そして出会えた一握りの人たち みんな笑顔でいてほしいと願う」「心は距離を飛び越せるのか ずっと遠くの悲しみを もっと近くに感じることができたら」 特にドキッとしたのが「人は生まれ人は死ぬ 殺さなくても殺されなくても」というところ。キラッと光る刃のような言葉たち、こんな詞が書けたらと切に思います。
♪はじまり終わり 終わりはじまる ほんの一瞬の瞬きのように はじまり終わり 終りはじまる 明日はどこへ歩いていくのか 人はどこへ歩いていくのか♪
やなぎ 2022年2月9日没 享年60歳
(歌詞をたくさん引用しました。お許しください)
気が付けば、あっち側にいってしまった人たちが増えちゃいました。みんな楽しくやってるかなぁ。どっちみち近いうちにそちらに行くことになるのです。待っててね。死ぬときまで生きていきましょう。(2022年2月28日 佳)