2019年の12月以来、1年7か月ぶりです。
昨年は一度も上映会を開けませんでした。さすがにそろそろ映画なら人数を減らせばいいかなと思い始めたころ、とある方がカンタティモールを見たいと言ってくださり、限定8席として今回の上映会に至りました。
2日目の日曜日、映画上映後、広田奈津子監督とリモートで繋ぎ、お話を伺うことができました。
その内容をご報告します。
広田奈津子監督は、いつもながらのやさしい笑顔、相変わらずのゆったりとした語り口で、なんだかほっとします。
初めに少しメッセージをとお願いすると、映画の成り立ちを話してくれました。初めて東ティモールに行ったのは独立祝賀式典の3日前だったこと、東ティモールの人たちとの関わり、アレックスのこと。彼が亡くなって初めて彼の生い立ちを知ったそうです。小さい時に目の前でお父さんが見せしめのような形で殺されたこと、小さなコミュニティーを守るために医学が必要と思い学んでいたこと、その志を継いでアレックスのお嬢さんは今医学を学ぼうとしていること、奥さんは独立運動の同志だった女性で、残された6人の子供を育てていること、映画をつくるうえでアレックスはスタッフ側としても様々な役割を果たしてくれたこと。彼の突然の死について、昔拷問や電気ショックを受けた人は心臓にダメージが残るのか急に亡くなることがあり、そういう人を何人か知っているとのことでした。
それから質疑応答に入りました。まず、とある男性が立ち、映画を見るまで日本の関わりを全然知らなくてショックだった、監督から見て今の日本はどう見えるのか、と問いました。彼女はミヤンマーのことを例に、日本政府や企業の名前をあげて、東ティモールの時と何も変わっていない、学んでいないことが残念と答えました。
それからダンバー数(霊長類の脳から群れの規模がわかる)の話に。人間に適した群れの規模は150人。それを超えると意思疎通が難しくなり、規則や強制的なノルマが必要になる。近代国家は大きすぎる、代表者を中央に送り込んで政治を任せてしまうやり方は理に合わないのでは。東ティモールでもそうだが伝統社会では、小さな村の単位で暮らし、全員が参加して話し合う。時間はかかるけれど、間違いが起こりにくい。また、他者と自分をはっきり区別する文化がない。あなたという言葉は、同時に私たちをも表す。これらは日本の古いやり方にも通ずる。そうした文化圏では、自分の意見を固める、論破する、選挙戦など、苦手だと思う。だから民衆が政治に参加しない。代表民主主義もうまくいかないのかも。どの国を見ても政治に腐敗がある。根本的なところを変えなくちゃいけないと考える。と語ってくれました。
ティモールの村の中で生活していると、左脳が休んでいる気がするそう。ぼんやりとした心地よさに包まれ、自他の境界が曖昧になる。家族を殺した相手でも人として扱い対話がされたのは、命が繋がっている感覚がベースにあるからではないか。
日本人として、かつて侵略した東ティモールに行くということはどうだったのか、と問われると、初めは怖かった、石を投げられるんじゃないかと思ったが、ティモールで出会う人はみんな優しかった、なぜ?と聞くと、ティモールには国と人をごっちゃにして考える人は誰もいないと言われたとのこと。
若い女性が(当時の奈津子さんと同年齢の)、25歳という若さでどうして東ティモールに行こうと思ったのかと問いました。奈津子さんは、こんな答えを返しました。自分が生まれたのは愛知県の田舎で、自然の中で育った、宅地造成で自然が壊されていくのを見て、子ども心にとても悲しかった。(その場所につい最近名古屋初のコストコができたそうです)大学の時、ネイティブインディアンの絵本(「父は空母は大地」)に出会う。大地を母と思っている人たちがいることを知り嬉しくなってカナダへ。それから旅をした。内定していた就職を断り、今に至る。東ティモール独立のことはハワイで聞いてお祝いに行って、そこでアレックスと出会ったと。
他の参加者も自分が感じたことを発言してくださいました。今、自分に何ができるのか強く問われていると感じた人、自分の足元から生活の中でできることからやっていこうと思った人、それぞれが自分の中に何かを取り込み、持って帰って考える、そんな上映会になったこと、本当にうれしく思います。
今回の上映会の主催者の男性が、上映会のきっかけは私(水野佳)が作ったコーヒー麻袋のバッグであったと言い、映画の風景が睦沢の風景と重なる、縁がある気がする、と述べました。すると、奈津子さんは、あるお坊さんに聞いた話として、縁起という言葉を出しました。我(われ)はない、あるのは縁のみ。すべてが縁で成り立っていると世界を見れば自他の境目もなくそこに慈悲があるそう。深い話になってきましたが、コロナ禍であまり長くもできないので、ここらで終了としました。