2022年10月26日水曜日

聴こえない人も、見えない人も

先日シネマ・チュプキ・タバタで「こころの通訳者たち」を見てきました。

~音を見えるように、光が聞こえるように~ 

聴こえない人に演劇を伝えようと奮闘する舞台手話通訳者3人、それを記録した映像を見えない人に届けたいと音声ガイドに挑むチュプキ。熱い思いが交錯する彼らの日々を追ったドキュメンタリー映画です。

チュプキは田端にある客席20ほどの小さな映画館。目の見えない人と映画を楽しむボランティア団体が母体となって5年前に開館しました。上映するすべての映画に字幕と音声ガイドをつけています。でも、今回の企画は、いつもの音声ガイド作りとはちょっと違っていました。

聴こえない人に演劇の感動を伝えるために舞台に立った舞台手話通訳者。彼女たちはいわゆる通訳ではなく、役者と同じ衣装を身に着け、体を動かし、感情をこめて手話をする、まるで演じているように。その光景、臨場感をどうやって見伝えるのか。見えない人、聴こえない人、見えて聴こえる人、無理かなと思われた挑戦は、ミーティングを重ね、オンラインでやり取りし、言いたいことを言い合いながら、少しずつ完成に近づいていく。その中で、聴こえない人も、見えない人も、健常者も、気づきが生まれ、距離が近くなっていきます。いろんなものがいっぱい詰まった、刺激的で魅力的な映画です。

上映終了後、この映画のプロデューサーであり出演者でもある、チュプキ代表の平塚千穂子さんのお話がありました。その中で後日談として、この映画ができる過程に参加した見えない人と聴こえない人が仲良くなって、会って話したり、一緒にイベントを開催するようになったりしたという話があり、私はちょっと驚きました。一般に、障害のある人は自分と別の障害を持つ人との関わりはあまりないと思います。同じ障害を持つ人同士か、あとは支援してくれる健常者と日常を共にしているのがほとんどではないでしょうか。それが見えない人と聴こえない人が仲良くなれるんだ、という嬉しい驚きがありました。映画を創っていく中で、同じ時間を共に過ごし、思いをぶつけあうことで、一人の人間としてお互いを認め合うようになったのでしょう。見えなくても聴こえなくても同じ人間、対等に付き合える相手になったのでしょう。支援する側、される側なんて関係ない、チュプキはそういうところなんだ、いいなぁ、と思いました。もうちょっと若くて、もうちょっと近くだったら、何かお手伝いしたいくらいです。

私は、だいぶ昔に手話を学びました。もう30年近く前。杉並区の市民講座で上級まで、それから黒柳徹子さんがやっているトット基金の手話教室にも行きました。そのころ「星の金貨」とか「愛していると言ってくれ」とか、ドラマで手話が大ブームになっていて、どこの教室も大賑わいでした。これは当時の教科書と私のノート。何が書いてあるかわからないものも多々ありますが…。
当時、手話サークルも大流行、手話をやるならサークルに入らなくちゃっという圧力があって、入っては見たものの馴染めなくて、やめちゃいました。今思えば、聴覚障害者=支援される人、健聴者=支援する人という構図が嫌だったのだと思います。そのあと、PTAと児童館が主催の小学校のお祭りの時に、子供たちにごく簡単な手話を教えたりしましたっけ。
しばらくして、知的障害を持つ子どもたちの放課後クラブで仕事をするようになりました。そこでは、言葉をほとんど発しない子でも一緒に歌えるようにと、歌に手話をつけていました。なるほど、こういう使い方もあるのかと思いました。それから、自分で勝手に歌に手話をつけるようになりました。それがつながって、今に至っています。夫・水野たかしの歌に手話をつけるようになったのは「カンタ!ティモール」の上映会で、自分たちなりの歌詞をつけて「マルシーラ」を歌うようになってからです。ブームが去ったあと、手話なんて見たこともないという人が房総方面にはたくさんいたから、何あれ?と思わせるだけでもいいかと思いました。それから、いくつかの曲に手話をつけるうちに、聴こえない人にも歌詞の意味が分かるように、というところに戻ってきました。

この秋10月から始まった「silent」というドラマがあります。昔愛した人が、耳が聴こえなくなっていて…というドラマ。視聴率こそそれほどではないものの、見逃し配信で新記録を更新し続けているらしい。TVerに、通常放送ともう一つ、解説放送版というのがあって、見てみました。これ、音声ガイドです。見えない人にはセリフは聴こえる、でも情景や場所や時間の経過はわからない。なのでそれを言葉にしてナレーションしています。「別の日、喫茶店、紬が座っている。想が入ってくる。」とか「涙がこぼれる」とか、映像で表現していることを説明する。テレビでは副音声でやっているようです。普通に見える人にもわかりやすいと好評だとか。今は、いろんな便利なものがあります。ラインやメールなら聴こえなくてもやり取りが可能だし、このドラマの中でもありますが、スマホで音声を瞬時に文字に変える音声変換ソフトもあるし。でも会って話したい、顔を見て話したいという思いで手話を学ぼうとする紬。なかなか切ないドラマです。
アカデミーとった「コーダあいのうた」もあるし。今年は久しぶりの手話ブームになりそうです。ブームに乗ってもいいけど、聴こえない人と話をするために、という本来の目的は押さえておきたいものです。

さて、今度は見えない人のこと。
これは生協のチラシです。私は、東京にいたとき、とある東京ローカルの生協で、視覚障害者のための音声チラシ作成のボランティアをやっていました。やまびこの会といいました。毎週発行されるチラシを、食品や日用品はすべて読み上げて録音します。毎週1回、10人ほどのスタッフが集まります。全員が生協を利用している組合員、職員ではありません。始めはメディアの準備(最初はカセットテープ、のちにCDになりました)、袋から出して消去して、宛先のカードを用意して、それから録音。2人ずつ組みになって録音とチェック、読み上げるのは商品名、量、注文番号、簡単な説明。とにかく生活必需品は全部、余裕があれば雑貨品や洋服なども読みます。朝10時から半日ほど、合間に手の空いた人からお弁当を食べて、出来上がった録音をダビングして、またチェックして発送袋に入れる。大体100人分作ります。大きな生協ではなかったのですが、視覚障害の利用者が100人もいるなんて驚きでした。
これは見えない人にとって生命線、間違えちゃいけないとの緊張感もありました。若いとき、芝居をかじった私にとっては、録音は楽しい作業で、ちゃんと声を出して、なおかつスピードに乗って録音していくのは快感でした。利用者さんもちゃんと聞いていて、○○さんはわかりやすいとか、○○さんの声がいいとか、言ってくれたりして。
この会で年に1度、利用者さんとボランティアスタッフの交流会が開かれました。実際に会って生協の商品についての意見を聞いたり、新しい商品を試食したり。必要な方には、近くの駅までお迎えに行って、帰りも送っていく。そんな機会を通して、私は見えない人にはどんな苦労があり、どんな工夫をして生活しているのかを、ほんの少しだけ知りました。年代はいろいろでしたが、見えない人も、洗濯したりお料理したり、おしゃべりして楽しかったり、時には文句を言ったり、同じ主婦なんだなぁと感じました。女性がほとんどでしたが、男性もいました。やまびこでは、支援するというよりも、役割分担みたいな感じでした。今では人間がやる必要ないのかもしれないけど、やまびこの会は今も続いているようです。よかった!

私にとっての、聴こえない人、見えない人との関わりを書いてみました。
だいたい、目の見えない人が映画を見るなんて、チュプキを知るまで思いもしませんでした。似たような経験ですが、聴こえない人がライブに行く話。夫の古い知り合いのミュージシャンが、難聴の友達から、なんでライブに誘ってくれないんだと言われた、彼は気を使って誘わなかったのですが、ライブにきたらとても楽しそうにしていて、低音の響きもリズムも感じられるし、臨場感が最高だといったそう。先入観で決めつけちゃいけないのだと思い知らされました。それなのに、見えない人が映画を見るのは無理でしょうと思っていたのです。恥ずかしいです。

チュプキに戻って、聴こえない人には字幕、見えない人には音声ガイドがあります。人が大勢いるのが苦手な人や小さな子供を連れた人のためには完全防音の小部屋があります。子供が泣いても大丈夫、意識しないで声が出てしまう人や自閉傾向のある人も気にせず映画が見られます。日本初のユニバーサルシアター・シネマ・チュプキ・タバタ。ちっちゃな映画館には、たくさんの優しさと大きな夢が詰まっています。
ぜひ一度行ってみてください。ラインナップも素晴らしいですよ。

「こころの通訳者たち」は、チュプキと新宿K’sシネマなどで上映中。千葉では、柏のシネマ旬報シアターで11月に上映予定です。

(2022年10月26日 佳)



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「炎の雫」新しくなりました。 東ティモールコーヒーから自家焙煎コーヒーへ。コーヒーの銘柄を増やして、カフェでも飲めるし、豆の販売でもご購入いただけるようになりました。 ラインナップに加わったのは、タンザニア・コロンビア・メキシコ・グァテマラ・エチオピアシダモの5種類。 また、焙煎...