2015年9月17日木曜日

[カンタ!ティモール]再び

 

1年半ほど前、私たちはこの映画に出会った。去年の5月から、高円寺の炎の雫では、毎月上映会をやってきた。そして太東で、新たに《音・本cafe 炎の雫》を始めるにあたって、まず思ったのは、「カンタ!ティモール」の上映会を続けたいということ。この映画は、すでに炎の雫の大切な一要素となっている。
以下は、最初の上映会の前にブログに載せた文章である。

「カンタ!ティモール」

東ティモールのことなんて、ほとんど何も知らなかった、この映画を見るまでは。

 東ティモールってどこ?何かで耳にしたことがあるような、ニュースだったかしら、それとも旅番組だったかしら、そんな程度。のどかな南の楽園?とんでもない!

 この映画を見て、私はその苦難の歴史と、それに対して長い戦いを闘い抜いたやさしく雄々しい人々のことを初めて知った。そしてそんな自分を深く恥じた。


「カンタ!ティモール」は、ある日本人女性がティモールで耳にした歌から始まる旅である。それは若くして独立運動に身を投じた若者が歌う歌。その歌をたずねながら、それは同時に東ティモールの苦しく悲しい歴史をたどる旅となっていく。

1975年インドネシアの侵攻によってポルトガル領だった東ティモールは制圧された。国連はそれを占領とみなし非難したが、日本もアメリカ・ヨーロッパも、インドネシアとの関係を重視し、黙認。ティモールの人たちは独立を掲げてインドネシア軍と激しい闘いを長い年月に亘って続づけることになる。その中で、20万人もの人が虐殺されたというサンタクルス事件があり、国連の監督下で行われた住民投票で独立が決まった後のインドネシア軍による破壊と殺戮があり、多くの命が失われていく。

この映画に出てくる人たちは、みな家族や友人を、大切な人を失いながら生き延びてきた人たちである。
けれど、彼らは言う、「悲しいけれど、怒っていない」と。彼らは、悲しんでも人を憎まないことを選んだ人々。なんとやさしく、なんと強いのだろう。彼らは軍の兵士を捕えても、決して傷つけず、ただひたすら話をして帰したという、それが長い戦いの間に、密かにティモール独立の支持者を広げることにつながっていった。そんな戦い方を知って、私は強い衝撃を受けた。そして映画の中に出てくる日本、彼らの「日本には何も望んでいない。ただインドネシア軍を支援するのはやめてくれ」という言葉、ODAの名目のもとに殺戮を繰り返す軍の援助をしている現実、まったく知らずにいた私は、本当に恥ずかしいと思った。

そんな現実の中だが、ティモールには人々の笑顔があふれている。ルリックと呼ばれる精霊がここかしこに現れ、人々とともにあり、時には導く。誰もがその聖性を信じ、大切にしている。美しい緑の大地には歌声が響く。ギターを持った若者を取り囲み歌う子供たち。子供たちの瞳のなんと美しいことか。その目、その笑顔は、まっすぐに希望へと続いている。いつしか思いは、わが日本へ向かう。かつてはこの日本にもあったはずのもの、さて今はどこへ行ってしまったのか、取り戻せるだろうか、まだ間に合うかもしれない。ティモールの人々には、そんな微かな望みすら抱かせてくれる力があり、この映画にはそのためのヒントがたくさん詰まっている。

「カンタ!ティモール」を見て、ある人が言った、元気の出る映画だよ。

「カンタ!ティモール」 勇気をもらえる映画だと、私は思う。 ぜひ見てください!!(佳)

Canta! Timor」 公式サイト:www.canta-timor.com


 ★「カンタ!ティモール」上映会と江口晶さんのトーク 10月3日、14:00から。予定が決まったら予約してください。お待ちしています。

2015年9月14日月曜日

高円寺から太東へ

 ご縁というのは不思議なもの、千葉の外房への引っ越しは、あっという間に決まってしまった。私たちは、長年住み慣れた杉並を離れ、高円寺を離れ、外房の太東で新しい生活を始めることに決めた。



4月の末で高円寺の「炎の雫」を閉じた。最後の月は、ライブも映画もイデアの雫もやった。

5月の連休を使って、店の片づけをした。

さて、店の荷物をどうやって運ぼうかと思案していると、救世主が現れた。千葉の家を改装して、お店ができるようにする相談をしていた工務店の社長さんが、荷物を運んでくれるという。5月の中旬に、店の引っ越しは決行された。私たちは、人通りがあまりない早朝に荷物をトラックに積み込み、千葉へと出発した。生まれて初めての海ほたるを経由して、千葉に着く。結構近いんだ。ちょうど小学生が登校する時間だった。その日は、初めて太東の家に泊まった。時々電車が通る以外は、カエルの声と風の音だけ、静かだった。


さて、店の引っ越しが終わると、今度は家の片づけ。これが本当に大変だった。何せ20年も住んでいたのだから、どうしようもなくいろんなものが蓄積されている。人はいかに要らないものを捨てずにいるのか、思い知らせれた。千葉に行ったらすっきり暮らしたいと心から思う。5月いっぱいで児童館の仕事を辞め、それからが勝負、のはずだったが、その時点ですでに敗戦気分濃厚、友達に手伝ってもらったりしながら、何とか乗り切った。

6月中旬、ついに引っ越した。家の外ではエントランスのウッドデッキの工事中、家の中は段ボールの山。ベッドルームが確保されているので本当に助かった。このベッドもこの家の前の持ち主さんからいただいたもの、住居なのに居抜きと言っていい条件で引き継いだ、それが幸いした。

その日から、また片づけの日々、この家に残されたもの、店からもってきたもの、そして自宅から来たもの、3軒分の片づけ。さらに家の中の改装も始まる。ずっとぐちゃぐちゃは続く。お店のカウンター部分が出来上がって、やっと物の置き場が見えてきた。その時点で気がつけば2か月経っていた。

ここに来てまず思ったのは、緑一面の心地よさ。あたりは木や草や田んぼや畑、本当に気持ちがいい。

そして静かさ。聞こえるのは、風がさわさわと渡る音と鳥の声、虫の声。線路のすぐそばなので、電車と踏切の音がするけど、電車は1時間に1,2本だし、車もごくたまにしか通らない。なんて落ち着くんだろう。心も体もほっとする。駅のところに小さなスーパーがあり、踏切を渡るとホームセンターがある。自転車で15分くらい行くと大きなスーパーもある。そのスーパーに行くには、田んぼの中の一本道を通っていくのだけれど、これがホントに気持ちがいい。その真ん中くらいの畑で耳の遠いおじいさんが野菜を売っている。ここの野菜があまりにもおいしくて感動した。10円で売ってくれたキュウリは甘くて、キュウリが甘いなんて初めて思った。枝豆がまた絶品。ざるいっぱいに入りきらないほどで200円。虫もついてたけど。

                                                                                 

虫と言えば、千葉は虫と共存の生活。最初のころは、どこから来るのか家の中でいろんな虫を見かけた。小さな緑のカエルは毎日、お風呂場だったり、畳の部屋にいたり。カエルを外に出すのは夫の役目。今ではすっかり慣れっこ。見かけないと探しちゃうくらいお友達。かなり大きなクモが家の中に住んでいるみたい。ハリーポッターの禁断の森にいるクモみたいなやつ。でもクモはゴキブリを食べるそうだから、まいいか。越してすぐ、夫は小さなムカデに刺された。ムカデはやばいので、ムシコナーズを家の周りに撒いた。しばらくして私はハチに刺された。小さなハチだったのに、2週間たっても腫れている。やっぱりハチってすごいのね。

庭は芝生だったのを駐車場にしてしまったけれど、ぐるりと周囲が木に囲われている。中でもソテツの木が面白い。ここに来たときは、こんもりとした緑の山、まるで怪物みたいだったが、先日植木屋さんの手で全く別な姿に変わった。その姿も個性的、私はすっかりソテツファン。この庭はいろんな木があるという。松、梅、桜、桃、棕梠、月桂樹、藤etc、キウイの実や柿の実もなるし、バラも咲くらしい。ミントの葉っぱがいっぱい生えているのに気づいた件の社長は、それでモヒートを作ってくれた。植物に全く疎い私たちだが、結構楽しい。調子に乗って、ホームセンターに夏植えのキュウリがあったので植えてみたら、まったくただ植えて水をやっていただけなのに、キュウリが収穫できて感動。今まで4本食べたかな。ちゃんとおいしいキュウリでした。

                                                            

そんなふうに過ごしながら、自転車で近所を探検。太東海水浴場の海までも15分くらいで行けることを発見。太東灯台(ここの展望台に立つと地球が丸いことがわかる、絶景です)の方に、素敵なカフェも発見、ここは石窯で焼くおいしいピザが食べられる。崖の上の個性的なカフェもある。また、この辺りはパンやさんが多い。自転車圏なら4,5軒もあり、それぞれおいしいパンがある。なんだか東京よりずっとリッチな環境だ。

外の工事が終わると、自分たちでペンキを塗った。いろいろ考えたあげく、色は深い緑にした。ここでのイメージカラーは緑、窓枠やドアのガラスは淡いブルー。これは炎の雫の看板の色。緑との相性もいい。ペンキを塗るのは楽しかった。夫も私もはまってしまい、もっと塗るとこないかなと探す始末。
家の中に作ってもらったカウンターが出来上がると、やっと店のレイアウトが考えられるようになった。ずっと置きっぱなしだった段ボールを開け、食器やレコードや本を配置する。ここ外房では、「音・本cafe 炎の雫」という名前に決めた。音と本をゆったりと楽しんでもらう空間にしたい。
そうこうするうちに、もう3か月。保健所の営業許可も取れた。そろそろお店を始めようか、どういうふうにやろうかと夜な夜な、じゃないか、夜に昼に話し合っている。10月には営業を始めるつもりだが、せっかくだから、のんびりやりたいと思っている。


実は、9月6日の日曜日に、内輪のウォーミングパーティライブをやった。高円寺の炎の雫でも、半年ごとに神戸から来て歌っていた松濱正樹さんが、いつもの青春18きっぷで上京、ここに来たいというので、千葉は大網在住のシンガー畔柳賢朗さんにも歌ってもらい、水野たかしと3人のライブ。パーティライブなので食べ物も用意し、アットホームな集い。炎の雫開店当初のメニューだったチキンハムや、おじいさんの畑で買ったなす、近くのパン屋さんのパンで作ったサンドイッチ、勝浦の朝市で買った桜えび入りの卵焼きなどを作った。夏休みに東京からやってきた友達(彼女は引っ越しの荷造りを手伝ってくれた人です)が持ってきてくれたブルーベリーの冷凍を使ってケーキも焼いた。ずいぶん久しぶりに、人に食べていただくものを作った気がする。リハビリが必要ね。


今日は雨、朝から時折強く降ったりしながら、降り続いている。ここはいつもだいたい風が吹いているけど、今日はあまり風がない。だからいつもなら聞こえる風の音がしなくて、雨の音だけ。虫も鳥もどこかに避難しているのか、とても静か。コーヒーを飲みながらぼんやりと外を眺める。こんな贅沢な時間を過ごしている自分が不思議。だけどもうずっと昔からここにいたような気がする。ある友人がここに来て、私と夫がこの家に、この空間に親和していると言った。20年も昔からここで店やってるみたいだねと言った人もいる。それが縁というものか、私たちはこの家に呼ばれた。だからこんなに心地よくいられるのだろう。


皆さんもどうぞ訪ねてみてください。千葉は外房、太東の風の音を聞きに来てください。お待ちしています。(佳)

新生・炎の雫

「炎の雫」新しくなりました。 東ティモールコーヒーから自家焙煎コーヒーへ。コーヒーの銘柄を増やして、カフェでも飲めるし、豆の販売でもご購入いただけるようになりました。 ラインナップに加わったのは、タンザニア・コロンビア・メキシコ・グァテマラ・エチオピアシダモの5種類。 また、焙煎...