2017年11月11日土曜日

「カンタ!ティモール」上映会&南風島渉さんのトーク

 10月29日、台風の接近の中、上映会を行いました。一時は中止も考えましたが、お客様も来てくださり、トークを予定していた南風島さんは、バイクをあきらめて、電車で来てくださって、興味深いお話を聞くことができました。以下に、その内容を記します。

 

南風島さんと東ティモールとの関わり

1993年、通信社に勤めていた時、休暇で行ったのが始まり。当時、あまり知られていなかった東ティモールで、あわよくばスクープをものにしてやろうという下心があった。ところが、周りは監視だらけでちっとも取材できない。やっぱり自分のような若造には無理だったと思ったが、現地の地下活動家の若者たちと接触でき、今度いつ来るのかと熱い視線を向けられて、じゃもう一度来ると約束してしまい、それ以来の関わり。何度か通ううちに、休暇を利用してでは到底思うような取材はできないと思い、通信社を退職して、取材を続けた。

 

「カンタ!ティモール」との関わり

2002年の独立記念のお祝いの時、初めて、この映画の監督・広田奈津子さんと出会った。彼女は、独立記念のお祝いに、ぜひ日本のバンドを参加させたいと、外務省や国連関係機関に掛け合って、ソウルフラワー・モノノケサミットというバンドを連れて行った(この映画のエンドロールはソウルフラワー・ユニオンの「星降る島」)。その後何年かして、映画を作りたいと連絡があった。君たちが感動した音楽や自然を縦糸にし、東ティモールの歴史を横糸にしたらどうかとアドバイス。8年かけて、何度もやり取りして、映画は出来上がった。彼女の粘り強さには驚嘆した。一旦映画館での公開がほぼ決まった後に、広田さんから電話があった。自主上映にしたいという話だった。大金を投じて宣伝することへの疑念を語り、もっと人と人が繋がっていくような形での上映にしたいと訴えた。「映画とともに日本全国をドサ回りすることも辞さない」という決意に熱いものを感じ、それ以来彼女をサポートしている。

自主上映での公開直前に、東日本大震災があった。震災によって、人々の価値観が揺らぎ、「カンタ!ティモール」に描かれている世界が注目を集め、これほど多くの人が見てくれるることになったとも言える。公開までに何年もかかったが、時期を待っていたかのようでもある。

 

ティモールのゲリラと人々

町中のすぐ近くにゲリラのキャンプがあったりする。一般の、ごく普通の人たちが、ゲリラを支えている。食べ物を持ってきてくれたり、情報を持ってきてくれたり。例えば、小学生ぐらいの男の子が、パンツのゴムを通す穴の中にメモを丸めて入れてきたり。南風島さんがゲリラキャンプに居るとき、コーヒーが好きだと聞くと、毎朝ポットにコーヒーを入れてきてくれて、夕方ポットを取りに来るということもあった。

 

ティモールの人は、憎しみや怒りはないという、それは本当?

怒りはないと言いつつも、怒りを感じなかったわけじゃない。怒りの感情をコントロールする術を知っている、あるいは、怒りはないと自分に言い聞かせているのかな。怒りを持ち続けることがもたらすもの、自分や周りへの影響、それが望ましくない未来へつながっていくことを、彼らは本能的に理解している。独立はより良い未来につながるものであり、より良い未来を子供たちに手渡すために、怒りや憎しみといった負の連鎖を断ち切るために、必死で闘っているのだと思う。聖人でも仙人でもない普通の人々が、より良い未来のために努力している姿こそが、尊く美しいのではないか、翻って私たちはどうすればそこに行けるのか、そんなことを考えさせられるから、カンタ!ティモールは多くの人の共感を得ているのではないかと思う。


宗教とルリック

東ティモールでは、90%がカトリック。教会にも通う敬虔なクリスチャンである。ティモールの教会は、バチカン直轄なので、当初教会は攻撃されないと考えられ、多くの人がカトリックに改宗した。(後に教会も攻撃を受けることとなるが…)その一方、アニミズム的な傾向は根強く、ルリック信仰がある。紛争当時、人々はルリックの力を必要とし、シャーマン(ルリックの守り人)にお守りのようなものを授けてもらって身に着けていた。中身は、木の皮とか石ころとか、自然のものらしい。でも持っていると言うと効力がなくなると考えられていて、「ルリックはみんな持ってるよ、俺はたまたま持っていないけどね」と誰もが言う。独立して、ほとんどの人がルリックをシャーマンに返したと聞いている。

 

ティモールの今

首都ディリは発展している。ショッピングモールもできた。一方、都市部以外では、昔ながらの自給自足に近い生活、現金収入はあまりない。所得格差が広がっている。独立闘争に参加した人たちは、、活動していたことが証明できれば、かなりの額の年金が貰える。そのため、放棄された農地が増えてしまった。農業や漁業以外に産業と呼べるものはなく、就労機会は圧倒的に不足している。映画にも登場するジョピト神父は昔ながらのやり方を続けることを呼びかけ、機械を導入して近代的な農業を発展させようという動きを止めた。

 

最後に

東ティモールは、油田から得られる収入に頼っているが、その資源は数十年で枯渇すると言われている。その他の産業と言ったら、コーヒーぐらい。そんな状況だ。

「カンタ!ティモール」は、東ティモールの一番美しい時を切り取った映画だと感じている。

 

この後、打ち上げで、更にいろいろなお話を聞くことができました。その内容について、またの機会に。

 

また、私が初めてこの映画を見た時に書いたブログをくっつけておきます。興味のある方は読んでください。

 

3年半前、ブログは「ぜひ見てください!」で締めくくられています。そして、今でもそう思います。カンタ!ティモール、ぜひ見てください!!

(2017年11月1日 佳  上映会は随時開催します。ご連絡ください。 )

 

 

2014年のブログ

「カンタ!ティモール」

 

東ティモールのことなんて、ほとんど何も知らなかった、この映画を見るまでは。

 

東ティモールってどこ?何かで耳にしたことがあるような、ニュースだったかしら、それとも旅番組だったかしら、そんな程度。のどかな南の楽園?とんでもない!

 

この映画を見て、私はその苦難の歴史と、それに対して長い戦いを闘い抜いたやさしく雄々しい人々のことを初めて知った。そしてそんな自分を深く恥じた。

 

「カンタ!ティモール」は、ある日本人女性がティモールで耳にした歌から始まる旅である。それは若くして独立運動に身を投じた若者が歌う歌。その歌をたずねながら、それは同時に東ティモールの苦しく悲しい歴史をたどる旅となっていく。

 

1975年インドネシアの侵攻によってポルトガル領だった東ティモールは制圧された。国連はそれを占領とみなし非難したが、日本もアメリカ・ヨーロッパも、インドネシアとの関係を重視し、黙認。ティモールの人たちは独立を掲げてインドネシア軍と激しい闘いを長い年月に亘って続づけることになる。その中で、20万人もの人が虐殺されたというサンタクルス事件があり、国連の監督下で行われた住民投票で独立が決まった後のインドネシア軍による破壊と殺戮があり、多くの命が失われていく。

 

この映画に出てくる人たちは、みな家族や友人を、大切な人を失いながら生き延びてきた人たちである。

けれど、彼らは言う、「悲しいけれど、怒っていない」と。彼らは、悲しんでも人を憎まないことを選んだ人々。なんとやさしく、なんと強いのだろう。彼らは軍の兵士を捕えても、決して傷つけず、ただひたすら話をして帰したという、それが長い戦いの間に、密かにティモール独立の支持者を広げることにつながっていった。そんな戦い方を知って、私は強い衝撃を受けた。そして映画の中に出てくる日本、彼らの「日本には何も望んでいない。ただインドネシア軍を支援するのはやめてくれ」という言葉、ODAの名目のもとに殺戮を繰り返す軍の援助をしている現実、まったく知らずにいた私は、本当に恥ずかしいと思った。

 

そんな現実の中だが、ティモールには人々の笑顔があふれている。ルリックと呼ばれる精霊がここかしこに現れ、人々とともにあり、時には導く。誰もがその聖性を信じ、大切にしている。美しい緑の大地には歌声が響く。ギターを持った若者を取り囲み歌う子供たち。子供たちの瞳のなんと美しいことか。その目、その笑顔は、まっすぐに希望へと続いている。いつしか思いは、わが日本へ向かう。かつてはこの日本にもあったはずのもの、さて今はどこへ行ってしまったのか、取り戻せるだろうか、まだ間に合うかもしれない。ティモールの人々には、そんな微かな望みすら抱かせてくれる力があり、この映画にはそのためのヒントがたくさん詰まっている。

 

「カンタ!ティモール」を見て、ある人が言った、元気の出る映画だよ。

「カンタ!ティモール」 勇気をもらえる映画だと、私は思う。 ぜひ見てください!!(2014年4月20日)


新生・炎の雫

「炎の雫」新しくなりました。 東ティモールコーヒーから自家焙煎コーヒーへ。コーヒーの銘柄を増やして、カフェでも飲めるし、豆の販売でもご購入いただけるようになりました。 ラインナップに加わったのは、タンザニア・コロンビア・メキシコ・グァテマラ・エチオピアシダモの5種類。 また、焙煎...