2018年2月26日月曜日

「逃げ遅れる人々」を2年ぶりに見る

 2018225日、ドキュメンタリー映画、逃げ遅れる人々の上映会を行いました。外房では2年ぶり2回目の上映会です。今回は、同時上映として、「東日本大震災~宮城・石巻地方沿岸部の記録」という映像を合わせて見ていただきました。こちらは、津波の後の状況を映しだし、住民の方のお話を聞いて、記録したもの。淡々としているけれど、あまりの惨状に声を失うほどの迫力です。ある女性が、「お父さんなら、なんかにつかまって生きてるだろうなと思ったけど、まだ来ない、今も来ない」と言っていて、胸が詰まりました。そんな人が、他にどれだけいるのでしょうか。去年だったか、NHKで今も行方不明の娘さんを探し続けて海に入っているお父さんのことをやっていたけど、そんなニュースもめったに耳にしなくなりました。

30分ほどのDVDを見てから、「逃げ遅れる人々」を上映しました。

 

2年前の上映会の時のブログにも書きましたが、私がこの映画に出会ったのは、2013年の秋。当時勤めていた児童館の先輩が、映画の上映会と監督のトークを企画し、そこに参加しました。監督は、、映像グループ「ローポジション」の飯田基晴さん 。ローポジションという名前には、低い視点から弱い人たちに寄り添うという思いが込められています。そういう方なので、「若いときから、障害のある人たちにもいろいろかかわってきた、なのに、震災の時、彼らのことなど思い出しもしなかった。そういえば障害のある人たちはどうしていたのだろうと思ったのは、ずいぶん経ってからでした。」と話されました。
被災した障害者のためにまず動いたのは、障害を持つ人たち、つまり当事者支援。障害者の視点で、生きるために必要なもの、なくてはならないものをピックアップし、それを持ってすぐに出発したそうです。
避難所や仮設住宅に入った人、また周りに迷惑をかけるからと避難をあきらめた人、原発事故のために避難区域に取り残された人、行き場を求めてさまよう人、…飯田さんは丁寧に話を聞き、映像に記録しています。
とても重い映画だと思います。この映画の持つ重さは、そのまま人が生きていくことの困難さを表し、同時に生きていくことの重さ、尊さを訴えかけてきます。
映画を見て、あの日のことを思い出しました。
2011年3月11日、私は、東京の中野特別支援学校にいました。当時の仕事は、障害児の放課後支援のNPO で、お迎え前の打ち合わせ中に大きな揺れがありました。建物の外に出ると、大きな木がみしみし音を立てて揺れていてびっくりしました。一旦揺れが収まって、知的障害の高校生の子どもたちを学校に迎えに行きました。そこでまた大きな揺れが来て、その場にいた全員が学校の体育館に避難。そのままそこで4時間ほど待機、保護者の方に連絡がつくまで待ってくださいと言われて、体育館で障害のある子供たちと過ごしました。携帯もつながらず、事務所に連絡も取れず、状況もよくわからず、でも意外と落ち着いていられました。
映画の中で、福島で、自らも障害を持ち、車いす生活をしながら障害者施設を運営している女性が「うちは妊婦さんのヘルパーがいて、その人たちをまず逃がさなくっちゃと考えた」と言っていましたが、私も同じようなことを考えました。当時スタッフ責任者だった私は、保育園に子供を預けているスタッフをまず帰さなくっちゃと考えて、事務所への伝言を託して出しました。忘れていたそんなことをを思い出しました。
不思議だったのは、知的障害の子供たちが静かに待っていられたこと。4時間もの間待たされ、たくさんの障害児がいて、パニックを起こしたり大変なことになるだろうと覚悟しましたが、そんなことは全然ありませんでした。彼らは、どうしようもないことを感じ取り、待つしかないことを直感的に理解したのでしょう。お迎えに来たご家族に連れられて帰っていくときも、騒いでいる子はほぼいませんでした。結局連絡がつかなくて、学校で一夜を明かした子供もいたと後から聞きました。
自宅は区営住宅だったのですが、その3階に住むおばあさんは、地震の揺れでガスの安全装置が働いて止まったのを、地震のせいで止まってしまったのだと勘違いして、一週間もの間、ガスなしで過ごしたそうです。そんなこともなぜか思い出しました。情報が分からないゆえの問題。視覚障害のご夫婦が、「情報が分からなくて支援物資はほとんどいただいていない」と語っていたけど、あの時、障害のある人たちはさぞかし大変だったと思います。
あれから7年がたとうとしています。東北の復興はあまり進んでいないようです。復興しつつあるところと、遅々として進まないところの二極化が起こっています。大船渡には大手のスーパーができたけど、陸前高田からは撤退したとか、そんな話も聞こえてきます。売り上げが上がるとか上がらないとかより以前に、そこに住んでいる人の生活が成り立つようにしようという視点はないのでしょうか?
原発の問題も然り、避難指示はかなりのところで解除されているけれど、それは安全を意味しているわけではない、それなのに帰還していいのか、釈然としない思いが残ります。家に帰りたいと言っていた障害を持つ人々が家に帰れたとしたら、嬉しいかもしれない、けれど、健康面への影響はないのだろうかと考えてしまうと複雑な思いです。
私は、前回、妊婦さんを逃がさなくっちゃと言った車いすの女性が、原発の問題に直面して「私たちは何もしてこなかったんだ」とつぶやく場面に胸を打たれたと書きましたが、その言葉は今、そのまま、自分へ返ってきています。この2年間、(7年間とも言えます)何にもしてこなかったんだと。彼女は、原発の問題は無関心でいた私たちが生み出してきたとも言っています。原発事故のその後に、どれだけの関心を払っているか、たとえニュースに取り上げられることは少なくなっても、知ろうとする姿勢を持ち続けているのか、改めて問われていると感じました。
2年前、私はブログに「あれから自分達は何を考え、何をしてきたのか、反省と自戒を込めて、改めてこの映画に向き合おうと思います。」と書きました。この映画を2年ぶりに見た今、何もしてこなかった自分が、この先何をなすべきなのか、何ができるのか、真剣に考えたいと思います。
(2018年2月26日 佳)

新生・炎の雫

「炎の雫」新しくなりました。 東ティモールコーヒーから自家焙煎コーヒーへ。コーヒーの銘柄を増やして、カフェでも飲めるし、豆の販売でもご購入いただけるようになりました。 ラインナップに加わったのは、タンザニア・コロンビア・メキシコ・グァテマラ・エチオピアシダモの5種類。 また、焙煎...