お彼岸 おはぎとライブと
お彼岸だから、
思い立って、おはぎを作りました。
何年ぶりでしょうか、久しぶりの手作りおはぎです。もち米と普通のお米を混ぜて炊く、それはわかっていても、どのくらい混ぜるんだっけ?とか、水加減は?とか、いろいろわからなくて、結局ネットで検索、それにしても便利な時代になりました。昔は、誰かに聞くしかなくて、若いころは、母に電話して聞いたりしましたっけ。
400gのもち米に200gのお米を混ぜて炊き、炊きあがったものをすりこ木でつぶす、それをお団子にして、あんこで包む。言ってしまえばそれだけなのですが、やってみたら大変です。最初、衛生面も考えて、ラップで包もうなんて思ったのですが、ベタベタくっついちゃってやってられない。結局、昔ながらの、ぬれぶきんをつかって、素手でやるのが一番と気づきました。
この量でやると、結構な数のおはぎができちゃいました。結果、お昼ごはんはもちろんおはぎ、おやつもおはぎ、明日の朝もおはぎ、それでも余るので冷凍しました。
思い出してみると、子供の頃、お彼岸になるとおばあちゃんと一緒におはぎを作ったものです。おはぎづくりは一大イベント、前の日から小豆を煮て、当日はお米を炊いたものをお餅つきみたいに撞いて、あんこだ、きな粉だ、ごまだといろいろ作って、できたてのつまみ食いに始まり、お昼ごはんも夜もだったような、その日はおはぎを食べ続ける、そんなだったなあ。
おはぎって、次の日になると硬くなっちゃうのです。それもすっかり忘れてて、次の日の朝食べたら、なんだかごはんのところが硬い、そうか、一日でもうこうなっちゃうんだ、でもなんで?と思って調べてみました。ごはんというのは、水分と熱が加わって柔らかくなる、それをα化と言い、冷えて硬くなるのをβ化というそうです。おはぎは、もち米が多いほど速く硬くなるらしい。(お餅を置いとくとカチカチになるけど、ごはんを置いといてもそんなにはならない)もち米とうるち米を半々ぐらいにして炊くというおうちも結構あるみたい。お米の水分をあんこの砂糖がが吸って、それで表面がしっとりとするのだという話もあり、つまり中のごはんは余計早く水分をとられちゃうみたいです。
今回は、粒あんのおはぎと真ん中にあんを入れごはんで包みきな粉をまぶしたものの2種類を作りましたが、きな粉の方が次の日の朝の硬さがましでした。硬くならないようにするには、ご飯を炊くときにお砂糖を入れるといいそうです。今度やってみましょう。
ちなみに、おはぎとぼたもちの違いは判りますか。春はぼたもち、秋はおはぎというという地方もあれば、大きさの違いで、大きいぼてっとしたのをぼたもち、小さいのをおはぎという説もあります。中のお米の状態で、粒が残っているものをおはぎ、完全にお餅状のものをぼたもちというという説もあります。粒あんのものをおはぎ、こしあんのものをぼたもちというところもあるそう、いろいろですね衛生面。私は東京なので、春も秋もおはぎと言っていて、ぼたもちはあまり使いませんでした。
お彼岸の中日、3月21日(水・祝)に、お彼岸なのに雪のところもあった寒い日、亀有で水野たかしのライブがありました。
東京のはずれ、こち亀の亀有です。キッドボックスというとっても個性的なお店。すごく狭くて、いろんなものがごちゃごちゃしてて、演者とお客さんは至近距離。ビールは演者の後ろにある縦型冷蔵庫から、曲の合間に出す、というようなところ。お店のホームページによると、全席アリーナソファ席12席となっています。水野たかしは、大震災の直後に、キャンセルになったミュージシャンの代役で行ったのが初めで、それ以来半年に1度のペースでライブを続けています。
この日は、祝日なので早めの設定、18時開始のライブでした。お客様はしっかり聞いて下さる方ばかり、2度の休憩をはさみ、3部構成の力のこもったライブになりました。
水野の歌をこんなに聞いたのは久しぶりでした。この日、どうしても歌いたいと用意していたのは、アレックスにまつわる3曲。追悼会の時に歌った「モリス・フォウン」、彼に捧げる「アレックス」、そして映画カンタ!ティモールのテーマ曲ともいうべき「ヘイ、マルシーラ」。マルシーラは「星降る島」という題名で小向サダムさんや江口晶さんが歌っていたものを、ずーっと上映会で歌ってきましたが、今回、みんながやっていないサビの部分も入れた形で、歌詞も全部変えてしまって、アレックスが歌っていた原曲の意味を踏まえた歌詞をということで作りました。それを、どうしても聞いて欲しいと思っていた方も来てくれて、だから想いを込めることができたのでしょうね、いい感じにできました。この3曲の歌詞を書いたのは私、ドキドキしながら聞いていましたが、私が言うのもなんですが、良かったと思います。
3部は、ちょっと力が抜けて、稲生座にまつわる人たちのカバー曲を歌ったりして、最後は「see you」これは稲生座のマスター・柴田浩志に捧げた曲です。逝ってしまった人たちが、水野を歌わせてくれていることを実感した夜でした。
☆写真は、炎の雫にも来てくれた南風島渉さんが撮ってくれたものです。あんまりいい表情なので、思わず、遺影にしたいような写真だねと言ってしまいました。ギターを、そして歌っている今を慈しんでいるようです。さすがプロですね。すごく素敵な写真なので、ここに載せちゃいました。
いい気分で電車に乗り、蘇我で外房線に乗り継ぐと、外房線は人身事故で運転を見合わせていますとのこと、えーーーどうするの、どうしようもないよね、というわけで、電車の中で1時間半、0時22分に太東駅に着くはずが、うちに着いたのはもう1時40分を回っていました。いいことの後には悪いこともある、採算合わせということでしょうか。ふぅ~。
(3月23日 佳)