2023年11月30日木曜日

キュビズム展とビアホール

秋の一日、国立西洋美術館で開催中の「キュビズム展」に行ってきました。

パリ・ポンピドゥーセンタと西洋美術館の共同企画、日本では50年ぶりの大キュビズム展です。初来日作品が50点以上、総展示数140点! キュビズムは20世紀の初めにピカソとブラックによって生み出されました。現実の再現としての絵画から脱却し、多角的な視点から幾何学的に変化させた形で画面を構成しようとする新しい試みは、若い芸術家たちに衝撃を与え、支持されて広がっていきました。

この絵はパブロ・ピカソの「輪を持つ少女」1919年。第一次世界大戦後、古典主義へ回帰しつつキュビズムと併存していた時期の作品。

キュビズム以前、印象派からの懸け橋となったのは、セザンヌ、ルソー、ゴーガンなど。1907年に開催されたセザンヌの回顧展でピカソやブラックは“啓示”を得ます。ブラックはセザンヌの風景画を見てわざわざその地を訪れ、その風景を描きました。その絵を見た評論家の「景観も人物も家もすべてを立方体(キューブ)に還元してしまう」という言葉がキュビズムという名の由来。
これはキュビズム誕生の頃のジョルジュ・ブラック「大きな裸婦」1907年。ピカソの大胆な裸婦像に影響されて描いた作品。

ピカソが「アヴィニヨンの娘」を描いた1907年がキュビズムの始まりと言われます。同じ頃にピカソが描いた「女性の胸像」1907年。
当時ピカソはアフリカの民族芸術やイベリア彫刻にも関心を寄せていて、この絵にはアフリカ・オセアニア美術の影響が見られます。
ピカソとブラックの出会いは1907年、そして1908年から二人の密接な交流が始まります。それは「ザイルで結ばれた二人」、二人だけの緊密な作業による実験によってキュビズムが創り上げられ、確立していきました。


1908年~1910年、二人は身近な人物や静物をモチーフに、色調をグレーや褐色に限定し、対象の形を陰影の付いた細かい切子面に分割して表すようになります。
これはピカソの「女性の胸像」1909年。
同じ頃の「裸婦」という作品があって、もう少し色彩があり、女性が山と同化してるみたいでこれぞキューブっていうのがすごく好きでしたが、残念ながら撮影不可でした。1910年の「肘掛椅子に座る女性」も同系統。どれも素敵、ピカソすごい!

こちらはブラック「円卓」1911年。
1910年半ば以降、ブラックとピカソは対象を垂直や水平、斜めの直線によって格子状に解体し、周囲の空間に結び付けるようになります。こうして、描かれている対象の識別が困難なほど抽象的で難解になっていきました。でも二人は抽象絵画へとは向かわず、記号やモチーフのディテールを描くことで現実とのつながりを保ち続けました。
なるほど。私は抽象画までいっちゃうと何かダメで、その手前が好きなんだけれど、そんな私に彼らの絵画はぴったりかもしれません。

二人の共同作業は第一次世界大戦で終わりを迎えました。ピカソは非参戦国スペインの出身だったため、戦時中も創作を続けました。これは「若い女性の肖像」1914年。色が復活しています。これ以降、キュビズム的な絵画と古典的な絵画は並行し、折衷的な作品が見られるようになります。
一方、ブラックは出征し、戦争から帰ってからもキュビズムに戻ることはありませんでした。落ち着いた静物画を生涯描き続けたということです。

ピカソとブラックとは異なるアプローチでキュビズムに挑んだサロンキュビストたちの作品も多数展示されています。
ファン・グリス「ヴァイオリンとグラス」1913年。
グリスはピカソとブラックのモンマルトルのアトリエ「洗濯船」を拠点に活動し、鮮やかな色彩のキュビズムを展開しました。私ファン・グリス好きみたいで写真いっぱい撮ってます。

キュビズムの展開に主要な役割を果たした作家の一人、フェルナン・レジェ。彼は、モンパルナスの共同住宅兼アトリエ「ラ・リユッシュ」(蜂の巣)に住み、シャガールやモディリアニなどと親交を結びました。第一次世界大戦に従軍し兵器の機能美に魅せられ、後にル・コルビジェと知り合い、舞台美術や実験的映画などへ活動の幅を広げています。

これは1911-1912年の作品「婚礼」。大きな絵です。なんかいい。

アルベール・グレーズ 「収穫物の脱穀」1912年。
これも大きな絵。
グレーズはキュビズムの理論書を描き、自称キュビズムの創設者。色彩とデザイン性に富んだ作品を作り、キュビズムを装飾的絵画に堕落させたという批判もあって賛否両論の人らしい。日本ではあまり紹介されなかったとか。
私は嫌いじゃない。

ロベール・ドローネー「窓」1912年。

ドローネーはキュビズムをちょっとかじったけど脱退しちゃった人みたい。1909年にキュビズム運動に参加したものの、カンディンスキーの影響で青騎士に参加し、抽象傾向が進み、自身はキュビズムの色彩排除や動きのなさを批判。キュビズム側からは印象派、装飾絵画に回帰していると批判され、1912年にキュビズムを脱退、オルフィスムの作家となった。なるほどね。

こちらはロベールの妻ソニア・ドローネーの作品。「バル・ビュリエ」1913年。横4m近い大作。この横に縦長の「シベリア横断鉄道とフランスの小さなジャンヌのための散文詩」という作品があり、折りたたんで絵本にしたものの原作だと、その絵本欲しいなあ。ソニアは未来派の作家でウクライナ人。

ジャック・ヴィヨン 「行進する兵士たち」1913年。

ヴィヨンはリトグラフのポスター制作をした後、版画家の工房に入り、その後パリに出てキュビズムのピュトーグループの一人となりました。
これは版画じゃなくて油彩の作品。


フランティシェック・クプカ「挨拶」1912年。

この辺になると、すでに抽象画ですね。
クプカは20世紀の非具象絵画・抽象絵画の最初期の作家。キュビズムの影響を受け、1912年頃完全に抽象に至った、とありました。ぎりですね。
それにしても、これ野菜に見えませんか?


マルク・シャガール 「ロシアとロバとその他のものに」
1911年。

「多くの画家がキュビズムを形態学としてとらえるのに対して、シャガールはそれを詩学としてとらえる。」
「(この作品は)量感の断片化はまだ部分的であるにしても、伝統的遠近法に捉われない空間の解放は…この作品に夢のような私的ヴィジョンを与えている。」(公式カタログから引用)インンパクトありますね。
シャガールはこれを描いた後、1912年に「ラ・リユッシュ」(ハチの巣)に住み、レジェ、アーキペンコ、モディリアニなどと出会います。当時ラリュッシュには200人以上の芸術家が住んでいたとか、すごいですね~。

キュビズムから展開された立体未来主義や東欧の芸術家の様々な作品も展示されています。その中から、
ナターリャ・ゴンチャロ—ワ「帽子の婦人」1913年。
「複数の要素が立体未来主義的に爆発している」作品で、「段階的な運動の幾つかの状態と、複数の視点から見たヴィジョンを含んでいる。」(カタログより)
色もあって動きも感じられて、すっごくおもしろいです。


ル・コルビジェ(シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ)
「静物」1922年。

近代建築の巨匠ル・コルビジェはピカソやブラックのキュビズムに深いかかわりを持ちました。自らも画家として絵を発表し、絵画を飾るための家を建てたほど。興味があったら調べてみてください。私も調べてみたいと思います。

最後はブラックの戦後の作品を。
ジョルジュ・ブラック「ギターと果物皿」
1919年の作品。
ピカソと実験を繰り返したころとは違うけれど、キュビズムまだ入っています。これから落ち着いた静物画を描く生涯になっていくのかな。

何はともあれ、キュビズムはやっぱりピカソとブラックです。

さて、この日はもう一つ目的がありました。それは老舗のビアホール、ライオン銀座7丁目本店の1階ビアホールでビールを飲むこと。

「名建築で昼食を」という番組をご存じでしょうか?この番組を見て、どうしても行きたくなりました。考えてみたら、銀座のライオンは行ったことあるけど、1階のビアホールなんて入ってないかも。巨大なタイル絵とか全然覚えがない。行ってみなくちゃと。

銀座のライオンビルは1934年に建てられました。もうすぐ90年! 高い天井と荘厳な内装、1000リットルのタンクから、匠の技の「一度注ぎ」で注がれるうまい生ビール、というのが売り。
ホールの突き当りに、巨大なタイル絵が掲げられていました。正確には250色のガラスモザイク壁画。タテ27.5m、ヨコ5.75m。
テーマは「豊穣と収穫」。遠くに見える煙突はエビスビールの工場と言われ、古代と現在が入り混じった不思議な絵。

店内は床も柱もタイル張り。柱にもそれぞれ違う図柄のガラスモザイク絵がはめ込まれています。この絵も素敵です。
床のタイルも作られた時のまま、ところどころひび割れていたりする、それがまたいいんだよねぇと「名建築で昼食を」で田口トモロヲが語ってましたっけ。それ聞いてなければ床なんて見なかったかもしれません。確かにそういわれてみれば味がある。
いたるところに、歴史の重みが感じられます。令和4年2月に国の有形文化財に指定されました。現存する日本最古のビアホール。

ビールの美味しさは格別です。
普通の黒ラベルの生をまず飲んで、あー美味しい。さすが匠の技。
タイル絵の前に鎮座するタンクも風格があり、ここから継がれるビールというだけで美味しさが増す。
次にエビス&エビス、これはエビスビールとエビスプレミアムブラックのハーフ&ハーフ。130年以上続くエビスビールもまた美味しい。ライオンのビールサーバーは、液体の上に泡を乗せるのではなく、注ぎながら泡を作る一度注ぎ、グラスを回転させながら渦を作り、渦の回転速度を落として泡を表面に上げるとか。難しそう。

平日の午後、中途半端な時間にも関わらず、人がいっぱい、にぎわってます。ビアホールの喧騒の中をてきぱきと動き回るスタッフたち。かっこいいです。食べ物もビアホールにふさわしい定番がそろいます。フィッシュ&チップス、ソーセージ、ジャーマンポテトに、毎日16:30に焼きあがるローストビーフ(お、ちょうどその時間、じゃあ食べなきゃねと)いただきました。どれもおいしい!

最後にパーフェクト黒ラベル。パーフェクト黒ラベルは小グラスのみでの提供。ジョッキはありません。メニューの片隅に小さく載っていてるだけ、全然違うと書いてある、ホールスタッフに聞いてみると、「全然違います」と言う、それならばと頼んでみました。普通の生と並べて比べないとわかんないんじゃない?と言いながら。運ばれてきたパーフェクト、一口飲んだだけで、全然違うとわかりました。本当に違います!えー、これおいしい!!う~~どんな技を使ってるんでしょう。とにかくおいしい。一度飲んでみてください。

銀座は人がいっぱい。外人も多い。ブランド店には行列もできている。上野も人が多かったし、完全に賑わいが戻ってる感じでした。
というわけで、西洋美術館のキュビズム展から銀座ライオン本店ビアホールという至福の一日でした。

「名建築で昼食を」で上野の国立国会図書館の国際こども図書館をやっていたので、今度はそっちにも行きたいなぁ、久しぶりに山の上ホテルもいいな、なんて考えてます。
(2023年11月30日 11月最終日~ぎりぎりになっちゃった。 水野佳 )








































新生・炎の雫

「炎の雫」新しくなりました。 東ティモールコーヒーから自家焙煎コーヒーへ。コーヒーの銘柄を増やして、カフェでも飲めるし、豆の販売でもご購入いただけるようになりました。 ラインナップに加わったのは、タンザニア・コロンビア・メキシコ・グァテマラ・エチオピアシダモの5種類。 また、焙煎...