2023年5月29日月曜日

野の花・5月

 春から夏へ、今まさに野の花たちは花盛りです。

道端や空き地で見かけた花、気が付けば自然に生えてきて花が咲いている草、よく見るときれいだったり、おもしろかったり。このところ下ばっかり見て歩いていて、これなんだろう??って立ち止まって検索して、写真撮って…お散歩がちっとも進まない日々です。前は空の雲ばっかり見てたのに。ま、そんな時期もありますね。そのおかげで、そこらの花にちょっと詳しくなりました。

今、一番よく咲いているのはこれ、ハルジオンです。漢字では春紫苑と書きます。畑、道端、土手、どこにでも生えるキク科の多年草。北アメリカ原産。花言葉は「追想の愛」、つぼみが項垂れていることからついたようですが、繁殖力旺盛で生命力が強く、要注意外来生物に指定されています。

ハルジオンとよく似たヒメジョオン。漢字では姫女苑。ヒメジオンというのは音をそろえた呼び方で間違いだそう。どこにでも生えるのは一緒ですが、ヒメジョオンは一年草。ハルジオンとの違いは花びらがやや太くて少ないこと。ハルジオンは200枚、ヒメジョオンは100枚くらい。花の時期もやや遅く5~8月。他にも、茎の中とか葉っぱの付き方とか違いはあるみたいですが、私的には、ピンクっぽいのがハルジオン、白っぽいのがヒメジョオン。こっちも要注意外来生物に指定されています。

この花は、道端にはえていたもの。大きさが4cmくらいあって、花びらの数も少ないし、草っぽくないし、検索したらヒナギクと出て、花のアップでは次にフランスギクと出てました。フランスギクはヨーロッパ原産で江戸末期に渡来し、観賞用に栽培され野生化したもの。英名はマーガレット、でも日本でマーガレットというのは木春菊のことなので別物。ヒナギク(雛菊・デイジー)の方が丈が低いというのでやっぱりヒナギク?ややこしい。
マーガレットは野生化してないみたいなので違いますね。

これはメマツヨイグサ。大ため池沿いの土手にいっぱい咲いています。なかなかきれい。北米原産の帰化植物。秋にはえて越冬し、春から夏に咲いて結実して枯れる2年草。花は夕方から咲いて翌朝には枯れる。え?これお昼近くでも咲いてるから違うかもと思ったら、日中も咲いてるヒメマツヨイグサ(コマツヨイグサかも)もあるらしい。そっちかしら。花の横にオレンジ色っぽい蕾みたみたいのがあるけど、咲き終わった花なのかな。
健康食品や薬用に用いられる場合もあるけど、効用は?だそうです。

こちらはヒルザキツキミソウ。マツヨイグサの仲間。これが群生してるところがあって、とってもきれいです。
月見草は江戸時代にメキシコから渡来しましたが、繁殖力の強い待宵草が野生化して広まったのに対して、月見草は繁殖力が弱く半世紀前には自生しなくなり、本物の月見草はほぼ見られないそうです。ヒルザキツキミソウは園芸品種だったものが野生化しました。今では、全国的に道端や土手で咲いています。


これはユウゲショウ(夕化粧)。
ヒルザキツキミソウの仲間です。これは1センチくらいの小さな花。
名前の通り、かつては夕方から咲いていたようですが、現在は昼から咲いている。
この花も、そこここで見かけます。花も草丈も、とっても小さいものから、結構高くなっていっぱい咲いているものまであります。赤紫色のこの花が道の両側に続いていたりします。


小さい花シリーズ。
これはたぶん、ルリニワゼキショウ。アヤメ科の庭石菖の仲間で1cmくらいの花と低い草丈。気が付かずに通り過ぎる、もしくは踏んづけてるかもしれないけど、よくよく見るととてもきれいです。私がよく行く土手の下のテーブルとベンチがあって、その周辺にさりげなく咲いています。

これはカタバミ。
カタバミは世界に850種もあり、日本では自生種が6種、外来種で帰化して定着したものが7種ある。漢字では片喰・傍食と書いたりする。花は5~10月に咲く。午前中に咲き、夕方閉じる、曇りや雨の日にも花びらは閉じているとか。面白い。カタバミの葉っぱで10円玉を磨くとピカピカになるそうです。


イモカタバミ、別名フシネハナカタバミ。
紫色のカタバミ。日本には戦後渡来し、野生化して道端などに生える。他の雑草と一緒になって、そこに黄色や白の花が咲いて、とてもきれいです。この花、今ここら辺ではそこここにいっぱい咲いてます。
こっちはムラサキカタバミ。紫というよりピンクっぽい。
カタバミ3種、黄色いのも種類違うかもなので4種かな。

因みにクローバーとカタバミの葉っぱはよく似てるけど、白い模様がないのがカタバミ、模様があるのがクローバー。
花が咲いてれば一目瞭然だけどね。
四葉のクローバーならぬ四葉のカタバミというのも存在するようですが、クローバーよりさらに確立低いらしい。

そのクローバー。これもやたらとそこら中にあります。
クローバーというのはマメ科のトリフォリウム族の総称ですが日本ではクローバーと言えばシロツメクサのこと。
ヨーロッパ原産で江戸時代に日本に渡来。輸入船の荷物の隙間に緩衝材として詰められていたので、白詰草。草丈は低く、地面を這うように広がっていきます。


これはムラサキツメクサ(アカツメクサ)。シロツメクサよりも丈が高くなる。明治に牧草として輸入され、品種改良されて使われていて、北に行くほどシロツメクサよりこちらが多くなるとのこと。
私はずっと、アザミみたいだけどトゲトゲじゃない、この草は何?と思ってたけど。これがムラサキツメクサなのね、と納得しました。


ムラサキツユクサはこちら。
アメリカ原産。日本には明治から昭和初期にかけて渡来して各地で野生化しています。晴れた日は早く萎み、曇りや雨の日は夕方まで咲いているとありましたが、ここらではずっと咲いてます。みんなそれぞれ今の場所に適応してますね。
野の花は、圧倒的に黄色とピンク、あとは白。
青・紫系はすくないようです。

その少ない青。オオイヌノフグリ。
小さな小さな花です。かわいい!
雑草の名前なんてほぼ知らない私が知ってた数少ない花のうちの一つでした。このちょっと恥ずかしい名前、命名者は今話題の牧野富太郎博士。こんなに美しい花に似合わない名前だと改名運動も起こったそうですが、うまくいかなかったようです。
「雑草という名の草はない」と言ったのも牧野博士。これは彼が記者時代に作家の山本周五郎に言った名言です。

これはミヤコグサ。ちょっと形が似てるかも。
ミヤコグサは珍しく日本に古来からある品種。
史前帰化植物と言われて、古代から親しまれてきた花。奈良や京都、つまり都でよく見られたためこの名が付いたと。でもセイヨウミヤコグサというのもあるらしい。そうじゃないといいなあ、何もかも輸入・渡来植物ばかりだから。

これはヒナゲシ。検索ではナガミヒナゲシと出ました。
輸入穀物に紛れて渡来したとされ、1961年に初めて確認され、2000年以降全国に爆発的に拡散。要注意外来生物には指定されていないものの、危険性の周知と駆除の協力を自治体が呼び掛けています。きれいだし、ひなげしかぁって思ったけど、そうでもないみたい。ケシと名前がついているけれど、ヒナゲシは(ナガミヒナゲシも)アヘンの原料となるアルカロイドを含んでいないので栽培・所持禁止対象ではないとあったが、アルカロイドを含み毒性があるという記事もあったので要注意です!

ノアザミ(野薊)。日本には150種以上のアザミが生息していて、そのうち50~80種が日本原産と言われます。花言葉は「私に触れないで」「独立」これはスコットランドの独立に大きく関係しているから。敵の兵士がアザミを踏みつけて思わず声を上げてしまい、それでスコットランド軍は敵を追い払うことができたというエピソードに由来します。だからアザミはスコットランドの国花になりました。
アザミはタンポポみたいに、花が白い綿毛になって飛んでいくって知ってましたか?形も似てるから、同じ方式を採用してるんですね。
このタンポポみたいなのはノボロギク。花が小さいしいっぱい咲く。タンポポはもう少し前に花盛りでしたが、今はこっちが咲いてます。
以前、背の高いのはタンポポじゃなくてノゲシってFacebookに出したけど、ノボロギクはノゲシよりは小さくて華奢な感じ。花も2cmくらいかな。明治にヨーロッパからやってきた外来種。花はタンポポみたいに綿毛になって飛ぶ。この季節、やたらと白いふわふわしたものが飛んでて、ガラスや網戸にくっつくのですが、これっていろんな花が飛んでるからだと納得。

昼顔です。用水路沿いの水辺に咲いていました。昼顔は雑草の茂みの中にも所々で咲いてます。昼顔は在来種ですが、種をあまりつけずに地下茎で繁殖する、なのでいたるところで見かけるという風ではなく、ひっそりと咲いている感じ。最近は外来種の朝顔に追いやられて本来の生息地の河川敷などで、朝顔の方が優先しているらしい。
最近あまり見かけないなと思ったら、そういうことですか。
朝顔と昼顔はヒルガオ科で、夕顔はウリ科。朝顔は在来種ではなく、奈良時代に中国から渡来したそうです。

さて、うちの庭に勝手に生えてくる植物たち。
筆頭はこれ、スイセンノウ。別名フランネルソウ、漢字では酔仙翁。南ヨーロッパ原産、ナデシコ科の多年草。まずビロードっぽい銀色の細かい毛の生えた小さな株が現れます。なんか面白そう、多肉植物かしらとほっといたら、ひょろひょろと伸びて濃いピンクの花が咲きます。なかなかいいかもと思っていたら、繁殖力が強いみたいでやたらと庭中にチビ株が出てくる。大変、これだらけになっちゃうとせっせと抜いて、花壇のところに生えたのだけ残しています。

これはたぶんツルマンネングサ(もしくはキリンソウかも)。
中国・朝鮮半島原産の多肉植物。
これは木が生えてる下のところやブロックの周りなどにどんどん広がって、これからの季節に黄色い花を咲かせます。取っても取っても増える。少し前はカラスノエンドウが小さな紫の花と実をつけて広がってて、それを取り終わったらこれ。韓国では山菜として食べるというので、食べてみようかしら。

玄関先のドクダミとふき。ドクダミは庭の方にもフェンス周りにいっぱいある。だいぶ咲いてきて白い花がかわいい。友達がドクダミで化粧水作ってるって言ってたな。
ふきは毎年採って食べてます。葉っぱに艶のある方はつわぶきでおいしくない、艶のない葉っぱのふきだけを収穫し下茹でし、煮物にする。めんどくさいけど春の味です。

スイカズラ(吸葛)。この写真は線路際のフェンスに絡みついて咲きまくってるやつで、奥に見えるのは太東駅のホームです。
このスイカズラは、うちの生垣周りのマキの木などに絡みついて伸びて、花咲いて大変なことになってます。引っ張っても全然とれないのです。
スイカズラは日本原産、どんなものにでも絡みついて離れようとしない、常緑で年中緑の葉をつけてツルをのばす。別名ニンドウ(忍冬)花の蜜を吸うと甘いらしい。漢方薬にも用いられるそうですが。花言葉は「愛の絆」「献身的な愛」~怖い!

うちの中ではないけれど、すぐ外側の道。私の背丈を超える高さでレースっぽい紫の花が風にゆらゆら揺れている。アレチハナガサというらしい。昭和に入ってから定着し全国的に道端や河川敷に生息。原産はブラジル。セイタカアワダチソウなどと共に、要注意外来生物には指定されていないものの、在来植物への影響が問題視されている。セイタカアワダチソウは、この辺り一帯にすごーくあります。うちの窓の外側の線路沿いはセイタカアワダチソウだらけ、秋になるとまっ黄色です。

中学校の前の道、オオキンケイギクが咲いてました。
実はこれ、今では特定外来生物に指定されて栽培禁止。1880年代に持ち込まれ、緑化に用いられたリしたけれど、あまりに強靭で繁殖力が強いため、売ったり増やしたりしちゃいけないそうです。もしかしたら、ただのキンケイギクか、キバナコスモスかもしれないけど、検索ではオオキンケイギクと出ました。道路の脇で、濃い黄色の大きな花を咲かせていて強そうです。毒はないそうです。


ムラサキウンラン。
リナリア(姫金魚草)が野生化したものみたい。これもよく見かけます。こぼれ種でよく増えるらしい。
もともとどこかのお宅で花壇に植えて、そこから道端や空き地に増えていったのでしょう。
ツタバウンランというのもあって、これも見かけたことあります。
仲間だけど、花がもっと小さい紫色で丈も低く横に広がっていくやつ。どちらもオオバコ科、ウンラン属。地中海沿岸からの渡来種。


ちょっと面白い花を見かけました。
これ何だろう?検索したらアメリカフウロの花が咲いた後の状態みたい。(花じゃなかった!)
花は薄ピンクで、花びらが散ると花の中央が伸びてきて、その根元に実ができて、熟すと黒くなってはじけ飛ぶのだそう。何だかとっても面白い。北アメリカ原産で、昭和初期に日本に来たものだけれど、在来種のゲンノショウコに近い仲間だそうです。
こんなの初めて見た、気が付かなかっただけかしら。

オランダカイウ、別名カラー。原産は南アフリカで、江戸時代にオランダから渡来。サトイモ科。日本の風景に似合わないとあったけど、確かに目を引きます。何あれ?って思いました。湿地や水路などで野生化してるらしい。
花のように見える白いところは、「仏炎苞」という部分で、花は黄色いところ、小さな花が密生している。サトイモ科だけど、シュウ酸カルシウムが含まれていて毒性があり食べてはいけないそうです。
こんなのまでそこらに咲いてる、房総おそるべし。

珍しい植物、もう一つ。全然野の花じゃないけど。
カシワバアジサイ。これも、あれ何?って思いました。
葉っぱの形が柏の葉に似てて、花は円錐状またはピラミッド型に付く独特の形。秋には紅葉するとあったけど、葉っぱは今でも赤くなってる、そういう種類かな。アジサイって世界に2000種以上あるっていうから、いろいろあるよね。

こちらは草じゃなくて木。
センダン(栴檀)の木、花が咲いてます。
ここはいつも通るお散歩コースで、ああ、花咲いてるって今年は思いました。毎年咲いてたんだと思うけど。
花は白っぽい紫、なんかいい感じ。
冬に金色っぽい実がついてきれいだなって思ったこともありました。でも、実には有害成分が含まれているので、食べちゃダメです。
最後にこれ。ウスベニタチアオイです。
南国的な花で、よく見かけます。だいたいはお庭とか玄関先とかにありますが。

40年以上も昔、演劇少女だった私は、唐十郎の紅テントの芝居を観に行きました。演目は「下町ホフマン」。
今は亡き根津甚八の「薄紅立葵の咲くころ、僕は……」という一人台詞をなぜか鮮明に覚えていています。因みにホフマン役は、こちらも今は亡き李礼仙でした。

今回花を検索してタチアオイと出たとき、ああ、これがそうか、と思ったのでした。ウスベニタチアオイの咲くころ、って今頃のことだったのです。

ここまでで31種類、全部この10日ほどでお散歩途中で撮った写真です。他に写真撮ったけど書かなかった花たちも。5月の終わり、こんなにたくさんの花が咲いてるんだとびっくりしています。それと、帰化植物の多さにも驚いています。日本に古来からある植物はどんどん減ってる、在来種、頑張れ! (2023年5月29日 佳)










































2023年4月27日木曜日

会津の旅3~ダリと裏磐梯編

 会津若松から裏磐梯へ。

会津若松から磐越西線で30分、猪苗代駅に着きます。そこからバスで40分ほどで諸橋近代美術館です。今回の旅の第2目的です。

バスを降りてびっくり。こんな山の中に、こんな素敵な美術館があるなんて!(イメージは中世の馬小屋だそうですが…)

諸橋近代美術館は1999年の開館。実業家諸橋廷蔵のコレクションを基に作られました。諸橋はシュルレアリスムに興味を持ち、特にサルバトール・ダリに衝撃を受けて蒐集を進めました。ダリのコレクションではアジア最大の美術館と言われ、ダリ作品約400点を所蔵しています。他にも、セザンヌやゴッホ、ルノアールも所蔵、ダリに次ぐコレクションとしてイギリスの現代アーティスト・PJクルックの作品も所蔵しています。残念ながら常設展というのがないので、今回はこれらの作品は見ることができませんでした。


諸橋近代美術館は冬季休館が終わってオープンしたばかり。
「ダリとハルスマン」という企画展が開催されていました。

ダリと言えば誰もが思い浮かべるこの写真を撮ったのがフィリップ・ハルスマンです。この美術館のチケットにもなっています。企画展には「天才の競演、再び。」という副題が付けられていました。1900年代の初め、ほぼ同じ時代に生まれた二人は、第2次世界大戦を機に亡命したアメリカ・ニューヨークで、1941年に出会います。
以降37年に渡って、ハルスマンが亡くなるまで、友好を続け、実験的な作品を作り続けました。それも、発表する予定などないまま、お互いに何か思いついたら連絡を取り合ってやってみる、という関係。すごいですよね。
このダリと猫が飛んでる写真、見たことがあるんじゃないかと思います。これ1948年の作品。当時は今みたいな映像加工技術もなく、実際にダリは飛んで、猫はハルスマンの家族が放り投げて、何度も繰り返して撮ったそうです。(この2つの写真はパンフレットから)

ハルスマンはアインシュタインやマリリン・モンローなどの時代を彩る著名人の写真を撮り続けた人物として知られ、雑誌「LIFE」の表紙に100回以上起用されています。
ダリとはよほど波長が合ったのでしょう。この2人の関係は全く対等、全然ダリ主導じゃない、むしろハルスマンからけしかけてるみたいな場合も多々あったようです。

4つの展示室のうち第3室のみが撮影可能でした。
この作品は「官能的な死」1951年。裸体で作った髑髏。
             
こちらは「シュルレアリスムとは私自身だ」1954年。
ダリ初期の代表作「記憶の固執」(1931年)のオマージュ。
柔らかくなっているのは時計ではなくダリの顔。
ダリは、「時計というものはすべからく柔らくなくてはいけない」と言っています。カイロスってことかな。
この作品と同じ1954年に、ダリは「記憶の固執の崩壊」を描いています。何か関係があるのでしょうか。
(この2点は第3室で私が撮った写真です)

この展覧会、モノクロ写真が多くて色が少ない。それでもところどころに、色彩のあるダリの作品があります。その一つがこれ「ガラとロブスターの肖像」1933年。この絵、妙に頭に残っちゃって、ふとした時にロブスターが乗った顔が浮かんだりします。ガラはダリにとってすべてと言える女性、何もかもガラに支えられている。(これはポストカードの写真、展覧会で本物見られました)

「反陽子的聖母被昇天」1956年。こちらも展示されていて見ることができました。(これはパンフレットからの写真)聖母マリアもガラですね。
この作品のそばには、「私は原子爆発に思いふける」や「ダリ・アトミクス」「ダリ爆発」などの題名が付けられたハラスマンの作品が並べられていました。とても刺激的。
そういえば、「ガラの額にメデューサの頭を描くサルバトール・ダリ」なんて作品もありました。

展示室4室分の外側は長いロビーになっていて、彫刻作品が並べられています。ほぼ全部ブロンズです。中にはどう見ても木製に見える椅子とか、プラスチックみたいに見えるチェーンとかもあります。柔らかい時計をモチーフにしたものも多い。彫刻作品は晩年のものが主です。これは「不思議の国のアリス」1977‐1984。これアリス?と思いました。(ポストカードの写真です)

突き当りがテトゥアンルームで「テトゥアンの大会戦」1962年の大きな絵が展示されています。これがなんとも不思議な絵で、謎がいっぱいある。解説ビデオを見て、作品見てと繰り返して、結構長い時間楽しめました。他にも実験映像みたいなビデオを流しているコーナーもあって、ずいぶん滞在してしまいました。

この作品は、「ダンス(ロックンロール)~セブン・ライブラリー・アーツより」という1957年の作品。創設者の諸橋廷蔵が、美術館開館までずっと自分の書斎に置いていたものだそうです。
ダリらしい作品ですね。
残念ながら今回は展示されていなくて見られなかったので、ポストカード買ってきました。いつか見たいなぁ。



裏磐梯 五色沼とペンション

美術館から徒歩で今夜宿泊するペンションへ。そこに荷物を置いて、ペンションのご主人お勧めの五色沼へ散歩に出掛けました。

1888年の磐梯山の噴火で山体崩壊が起き、土砂で川がせき止められて数百の湖沼ができました。中でも五色沼と呼ばれる湖沼群は、火山性物質の影響もあって、独特の色彩を持つようになった神秘的なところ。季節、天候、時間によって様々に色が変わります。五色沼最大の沼、毘沙門沼へは、ペンションから歩いて10分ほど。この日はあいにくの曇りでしたが、それでも十分魅力的な色を見せてくれていました。
こんな感じで沼のほとりに木で作られた歩道が続いています。片道約4キロの自然探勝路があって、毘沙門沼から8つの沼を廻りながら裏磐梯高原駅まで歩くことができます。ちなみに、裏磐梯高原駅は電車の駅ではなくてバス停です。私たちが毘沙門沼に着いた頃はもう夕方でしたが、ボートに乗ってる人もいて、お店もいくつもあり、観光地らしさがうかがえました。ただ、4時半を過ぎるとみんな閉まってたけれど。

毘沙門沼のほとりを少しだけ歩いてみました。さすがにもう歩いている人はいない、「クマ出没、注意!」なんて書いてある、そういえばさっき戻っていった人はリュックに鈴付けてたっけ、怖いかも、なんて思いながら行って、なんだかポツンと雨?なんて感じたので、
途中まで行って引き返しました。それから湿地園と書いてある方へ行ってみました。樹がいっぱい、すくっと立ってるのもあれば、こんな感じに絡み合ってるのもある。この間も木の道が張り巡らされています。いいなぁ。


これ、水芭蕉です。水芭蕉って夏じゃなかったっけ?
ゼンマイみたいなものがニョキニョキ生えてるところもあるし、でっかいフキノトウが咲いちゃったみたいな花もある。グーグルレンズで検索したら、ホワイトバターバーって出たけど本当かしら。折れた木もそこここに転がってる。今、湿地は普通の陸地に変わっていく途中なのだそうです。それが見られるというのは大変希少なことだ、みたいな看板がありました。

この辺りは標高800mを超えていて、高尾山の頂上より高い。
なのでまだ桜も咲いています。晴れていたら、さぞきれいだったでしょう。これは、毘沙門沼から裏磐梯ビジターセンターへ戻る途中の道です。そういえば、諸橋近代美術館の前庭にも桜咲いてましたね。会津では今年は桜が早くて、もうすっかり終わっちゃったと言ってたけど、裏磐梯はまだOKでした。

しばしのお散歩を楽しんだ後、ペンションに戻りました。
「クリッターハウス」ここ、とってもいいペンションでした。お部屋はツイン、というかサブベッドもあって3人泊まれそう。お風呂も3つあり、夕食と朝食は洋食。部屋数は5つとこじんまりしていて、とても落ち着く感じ。トイレと洗面所は部屋の外だけど、まるでおうちみたいです。
この日の宿泊客は私たちだけ。

食堂では薪ストーブが燃えていて、ゆったりとディナーをいただくことができました。くまちゃんもくつろいでます。
お食事はフルコース、すっごくおいしい!(会津の旅2をご覧ください)ご主人との会話も楽しい。この辺りのペンションはほとんどが移住者だそう。ここのご主人も、以前は東京で仕事してたとか。やっぱり冬が大変だとのこと。
この日は寒くて、最低気温は4℃。玄関の脇に雪が詰まれてる。山はまだ雪をかぶってるし、いつごろまでストーブ使うの?と聞いたら、連休ころまでかなと言っていました。

翌朝、晴れました。
部屋の窓から差し込む朝の光。高原の朝です。朝食もとってもおいしくて、食べすぎちゃいました。ここ、絶対また来たい。今度は五色沼トレッキングコース歩きたいです。

バス停まで送っていただいて、バスで猪苗代へ、磐越西線で郡山へ、郡山から高速バスで帰ることにしました。今回の旅、行きの新幹線とホテルの予約して、それから勝常寺に拝観予約電話しただけ、あとは行き当たりばったりで動きました。帰りも新幹線じゃなくてバスにしようかと前日に決めてネットで予約。こんなことは初めて。でもこれはこれで楽しい。
なかなかいい旅でした。
でもね、ペンションを出てから新宿経由で家に帰りつくまで約10時間!疲っかれた!!
次はやっぱり新幹線でしょうか。
…会津の旅・完…  (2023年4月27日 佳)


























会津の旅2~食とお土産編

会津の旅で食べたもの。買ってきたもの。

≪麺≫

これは会津山塩ラーメンです。会津若松の町の中にある人気店「麺や大一」。会津の山塩を使った透き通ったスープに卵を加えず繊細に作られた多加水麺。メンマは極太なのに柔らかく、チャーシュー厚切りで美味。これほんとにおいしかったです。☆山塩は塩分の多い温泉水を煮詰めて作った希少な塩、日本一高い塩だとか。


会津若松に着いて最初に食べたのがこれ。駅そばです。
実は、乗り換えの郡山で「麺鉄」というテレビ番組で見た駅そばを食べる予定だったのだけれど、お店が見つからず断念。会津まで行って、駅構内の「おそば処鷹」で天ぷらそば。らしくて普通においしい。実は、郡山の駅そばは帰りに夫が食べました。私はお腹いっぱいでパス。美味しかったそうです。

会津はそば処。おそば食べたい!勝常寺から20分ほど歩いたところにある道の駅あいづがあります。降りたバス停の次のバス停。何にもない道を歩いていきます。この間にGoogleのARで道案内というのを体験。これ便利かも。道の駅のレストランで、会津坂下(ばんげと読む)の十割蕎麦をお昼にいただきました。ちょっと不思議なおそば、白くて触感は冷麺みたい。これが十割?という感じ。
別のところでおそば食べてみたいと思って探したら、ホテルの近くに十割蕎麦のある居酒屋さんを見つけたので、夕食がてら行ってみました。懐かしい感じ、昭和レトロな音楽が流れ、落ち着く。おかみさんは暖かく話しかけてくれて、始めは無口だったご主人も徐々に会話に加わって。聞けば、居酒屋さんの隣で昼はお蕎麦屋さんもやっていたけれど、ご主人が体を壊してそっちはやめたとか。地酒とお料理を何品か、郷土料理ニシンの山椒漬も恐る恐る頼んでみたらおいしい、全然大丈夫。その後に、十割蕎麦をお願いしました。このお蕎麦が絶品でした。思い描いた通りの十割蕎麦。こしがあって歯ごたえがあって、ちょっとぼそぼそ感もあって。これだ!
飲んだ勢いで写真撮るの忘れちゃったので、せめてとお店の外観を撮ってきました。

≪カフェ≫

会津若松に着いたら雨が降ってきたので、その日の午後はカフェに行きました。「焙煎屋珈琲店」という自家焙煎のお店。この日のコーヒーはブラジル、シフォンケーキとセットで560円。カップのコレクションがたくさんあります。コーヒーの種類も豊富、おしゃれな店です。でもなぜか店の入り口にのれんがかかっていて、店内とはちょっとそぐわない。

次の日は晴れたのでレンタサイクルで街を廻りました。昼食のラーメンの後、七日町へ。駅のカフェでコーヒータイム。あったかかったので私はアイス、夫はホット。ここは水出しコーヒーですっきりとした味わいでした。ホームを眺めながらのんびりして、お土産も物色して、買い物もできてよかった。


会津若松ではないのですが、4日目に会津から猪苗代へ出て諸橋近代美術館へ。そこのミュージアムカフェのライトミールセットです。コーヒーには森林の中の美術館をイメージしたシュルレアリスム、ダリをイメージしたモロビと名前が付けられています。ライトミールは、バジルチキンのフォカッチャとハムとチーズのバゲットサンド。

≪居酒屋≫
初日訪ねたのが、会津の名店居酒屋と言われる「籠太」です。居酒屋探訪家の太田和彦さんおすすめの店。これは籠太の馬刺し。会津の馬刺しは有名です。全然臭みがなく美味。他に、山菜の天麩羅、アスパラガスのオリーブ油炒め、〆鯖など。どれもシンプルな味付け。地酒は会津娘、金紋凛、国権をいただきました。料金もリーズナブル。さすが名居酒屋です。

2日目はチェーン店の居酒屋「こだわりやま」で鶏料理中心。焼き鳥、つくね、から揚げ、もつ煮など。地酒も飲んだけど銘柄忘れちゃった。地元の人でとってもにぎわってました。

そして3日目は、麺のところで書いた「喜平」さん。ここでのお酒は、会津中将、花春、末廣の鬼羅でした。

会津のお酒は、どれを飲んでもはずれがないのだそう。籠太のご店主は、会津に36ある蔵で日本酒の品評会で30以上の蔵が賞を取った年もあると言っていました。それってほとんど全部ってことですよね。会津は酒処だと改めて知りました。ちなみに福島県には2021年の統計で58の蔵があり、全国3位。1位は新潟88、2位は長野の77。全国では1160ほどの蔵があるけど、年々減り続けているようです。(日本酒の売上高では、月桂冠や松竹梅などの大手メーカーのある京都がダントツ1位とのこと。)でも日本酒の輸出量はふえているというのが興味深いですね。輸出量の1位は山口県、これは「獺祭」があるからです。

≪番外編≫
会津若松を出て裏磐梯へ、諸橋近代美術館から徒歩で行けるペンション「クリッターハウス」に宿泊しました。そこは洋食のコース料理付き。たこのカルパッチョやイチジクと生ハムのピンチョスなどの繊細な前菜、カボチャのスープとチキンのサラダ、お魚のポワレ、牛肉のステーキにデザートは山塩のジェラートと抹茶のシフォンケーキ。ものすごーくおいしかった!
例によって、食べる方が先決で、写真はほとんどとってないけど、このカボチャスープはほんとにおいしくて、思わず撮りました。
翌朝は、奥様が毎日焼いているという焼き立てパンに、これも自家製のリンゴジャム、オムレツ、ウインナ、サラダ、フルーツヨーグルト、美味しくて思わずパンのおかわりしちゃって、そのせいで郡山の駅そば食べられなくなりました。

≪会津のお土産≫
初日、コーヒー屋さんから居酒屋への移動の間に立ち寄った会津町方伝承館。会津の伝統工芸品などたくさんあって楽しい。
郷土玩具、会津塗の漆器、会津木綿、焼き物…。
会津本郷焼の湯飲み、色合いが気に入って買っちゃいました。1つ1100円、普段使いに手ごろなお値段です。


これは2日目のサイクリングで行った七日町の駅のショップで購入したもの。お菓子はくるみゆべし。
会津を代表する郷土玩具おきあがりこぼしのミニミニサイズも買いました。起き上がりこぼしの絵付け体験ができるところも何か所もあるようです。かわいいですよね。


山塩買いました。山塩飴も。
山塩は大塩裏磐梯温泉で湧出する温泉水を煮詰めて作ります。この温泉水は、太古の海水が地下水に溶けだしたものです。浪漫がありますね。海水をじかに結晶化した塩とは異なる、苦みが少なくてほんのり甘みがある、まろやかな塩です。
山塩ラーメンも、山塩のジェラートも、とてもおいしかったです。お菓子に使ってみてもいいかな。


これは奥会津と只見線だけを撮り続けている星賢孝さんのポストカード。只見線を300日撮る男と言われ、最近注目の写真家です。奥会津に生まれ育ち、奥会津に暮らし、奥会津の遊び屋と自称、奥会津の魅力を発信し続けています。
写真じゃなくて絵みたい、本当にきれいです。

最後に、赤べこ。言わずと知れた会津の象徴。駅にもありました。
これは、私と夫が、2日目のサイクリング途中で絵付け体験した赤べこです。左側が水野たかしの作。右が水野佳(よしみと読みます、今さらですが)の作。この絵付け体験、すごーーく楽しかったです。白と黒2色の絵の具を使って筆で描くだけなのに。この時はまだ肌寒くて、ストーブで乾かしながら色を重ねました。お店の方は、最初に説明して、あとはずーっとほっといてくれて、のんびりと作業することができました。最初に一人お客さんがいたけど、彼が帰ってからは私たちだけ。連休前に行った恩恵ですね。いい体験、いいお土産、いい思い出になりました。
…続く… 













2023年4月26日水曜日

会津の旅1~仏像と会津若松編

 

会津へ行ってきました。

第一の目的は、東北屈指の仏像を見ること。たまには奈良ではなく何処かに、と探して見つけました。国宝の仏像が3体あります。それも予約すればいつでも見せてくれるのです。これだ!と思いました。もう一つ山形に国宝のあるお寺があるのですが、こちらは非公開のものが多くて、よし会津に行こうとなりました。

それは、湯川村にある勝常寺という小さなお寺です。
会津若松からバスで20分ほど、佐野というバス停で降りて、何にもない道を歩いてさらに20分、勝常寺に着きます。連絡を入れてあったので、ご住職が出迎えてくれました。
勝常寺は、平安時代の初め807年に徳一上人によって開かれた古刹です。伝説では天皇の命によって魔物退治のために使わされた空海が、薬師如来像5体を作り、東西南北と中央にまつろうとし、急用で都に帰るにあたって徳一上人に後を託したと伝えられます。その中央に当たるのがここです。

仁王門には、阿吽の金剛力士像。
門の上部には大きなわらじがあります。
もとは七堂伽藍を備える大寺院で、子院・末寺が数百もあった時代があると伝わりますが、今はこじんまりしたいい感じのお寺です。

このお寺に、国宝3体、国指定重要文化財9体、村指定文化財14体の仏像など三十余の仏像があります。薬師堂自体も国指定の重文です。

勝常寺の木造薬師如来像、国宝です。
写真は撮れないので、これは湯川村のホームページから。
この両脇に、日光菩薩・月光菩薩があって、その2体も国宝です。平安前期に作られたもの。

この日は、薬師堂の修復中で、別のお堂に仏像たちがずらりと並べられていました。この他に、聖観音菩薩、地蔵観音菩薩、虚空観音菩薩、十二神将‥などなど。十一面観音が修復中、四天王のうち3体が宮城の博物館に貸し出し中でしたが、圧巻の仏像三昧。それも距離が近い。至近距離で、十二神将なんか数十センチの近さで見られました。ゆっくり、じっくり拝観させていただきました。仏像と向き合って、見入って魅入られて、時が停まる、この瞬間が大好き。至福です。勝常寺に来てよかった!

仏像たちの中に、徳一上人像がありました。この写真はお寺のパンフレットからです。この像、独特の強いオーラがありました。顔に傷というか木の割れがあるのですが、何かの折にどうしても目が行っちゃう、そしてしばし目が離せなくなるのです。仏像に見入るのとは別の感じ。

徳一上人は、奈良の東大寺・興福寺で法相宗を学びましたが、権力と結びつき腐敗する奈良の仏教を嫌い、会津に移り住み、筑波山に中禅寺を、会津磐梯山麓に恵日寺を開きました。空海は彼を徳一菩薩と呼ぶほどで、彼が会津に移ってからも信頼厚く、弟子を送って真言の写経を依頼したりと行き来があったようです。また最澄の天台宗一乗思想を批判、最澄と論争して一歩も引かなかったとの逸話もあります。今でも彼の強い魂がここで生きているような気がしました。

さて、会津若松市内には、歴史的な建造物が多くあります。勝常寺を訪ねた前日は、市内をレンタサイクルで回りました。
その一つ、会津飯盛山のさざえ堂です。六角形の塔状の建物で高さ16m、一方通行のらせんの通路(階段ではなく坂道)で、登り下りが別々、誰ともすれ違わずに登って降りてこられる、魔訶不思議な建物です。日本唯一、世界でも例を見ないとか。実際に体験してみて思ったのは、これは何のために作られたんだろうということ。実は、当初は(建立は1796年江戸時代)西国三十三観音巡りとして観音像が配置されていたとか。明治以降は、会津藩道徳教本の絵額に変えられたそう。東京の高幡不動の裏に四国の八十八か所を一気に回れるところがあるけど、それと同じね。

飯盛山と言えば、白虎隊。さざえ堂から数分のところに、白虎隊士19人の墓と自刃の地があります。幕末戊辰戦争の際、16~17歳の少年たちで組織された白虎隊、本来は予備兵力だったものの、会津藩の劣勢の中で前線へ。戸ノ口の闘いに敗れて飯盛山へ辿り着き、煙に包まれた鶴ヶ城を見て、武士の誇りを保つために自刃した。その際ただ一人生き残った飯沼貞吉が、晩年に語ったことによって白虎隊の悲劇が現在に伝わることになりました。彼の墓も飯盛山に、19人の戦士の墓から少し離れたところにひっそりと建てられています。
これはお墓の手前の広場に立つイタリア記念碑。白虎隊にいたく感動したムッソリーニがローマ市民の名をもって記念碑を送るように命じて建てられました。ポンペイ遺跡から発掘された石柱が使われています。
会津と関係の深い新選組の近藤勇の墓というのも近くにあります。土方歳三が会津を訪れた際に建立したと言われています。土方は流山で近藤と別れて会津に入り、母成峠の戦いに参戦後箱館五稜郭へ入り、箱館で戦死。近藤は流山で投降後、板橋で斬首されました。

その関わりは、1862年に会津藩主松平容保が京都守護職を徳川家より拝命されたことから始まります。その2年後に新選組が会津藩預かりとなり京都守護に当たるも、歴史の大きな動きの中で、会津藩は最後まで幕府に忠誠を尽くし、鶴ヶ城に1か月籠城して抗戦するが、1868年に降伏、開城。戊辰戦争では土方はじめ三番隊隊長の斉藤一が会津若松で新政府軍と戦いました。会津の人にとって、戊辰戦争での戦いぶりは、郷土の誇りとして今も語り継がれています。会津人の「ならぬことならぬ」という気質が、最後まで戦い抜く姿勢にも、白虎隊の精神にも表れています。

その難攻不落と言われた敦賀城、明治政府の命令で取り壊されました。昭和40年に再建、平成12年にも城の一部を本格復元。今年天守閣の屋根の赤瓦を甦らせました。耐震などの内部の工事は続いていて、本格リニューアル公開は4月29日だそうです。
でも、お城って中に入るより外から見た方が断然いい。まして再建のお城はなおさら。犬山城みたいに建てられた当時のそのままなら、登るのも面白いけれど。

サイクリングしてて大きな木が目に留まり、ここは何?と立ち寄ったのが蚕養國神社(こがいくにじんじゃ)。
境内にご神木としてまつられているのは峰張桜。花は過ぎていたけれど、風格のある姿に青葉が美しい。この日は、どぶろく祭りという旗が立てられ、シートを敷いて宴席中でした。こういう現役感、いいなあ。他にも大きな木が多数。こういう神社がまちなかにある、会津の底力みたいなものを感じました。
…続く…  (勝常寺は2023年4月20日、その他は19日)











2023年3月27日月曜日

春、桜の季節です。

これは先週の水曜日、千葉公園で撮った写真。まだちょっと早いかなと思いつつ行ってみたところ、ちゃんとお花見になりました。千葉公園は初めてでしたが、昔いつも行っていた井の頭公園を彷彿とさせる佇まい。なんだか懐かしい気がしました。

桜はバラ科桜属の落葉広葉樹。花は同じ形の花びらを5枚持っています。

桜は古代から日本に存在しています。「古事記」には、「木花開耶姫-このはなさくやひめ-が霞に乗って花の種を撒いた」という記述があり、“さくや“が桜の名の由来であるという説も。弥生時代は桜の開花が農作業開始の合図だったと言います。お花見を始めたのは奈良時代の貴族たち。当初は、花は梅の花、それが平安時代に桜になって、嵯峨天皇の催した日本で最初のお花見会は、桜を愛でていたとか。鎌倉時代になると武士の間でもお花見の宴が行われるようになります。安土桃山時代、豊臣秀吉の盛大なお花見「吉野の花見」「醍醐の花見」は有名ですよね。(吉野は今でもそうですが山桜の里、このころ、ソメイヨシノはありません。醍醐寺には今はソメイヨシノも含む多彩な桜が植えられています。)江戸時代には、庶民もお花見を楽しむようになり、また「日本に昔から存在するものこそが至上」とする国学の影響で、桜が賛美されるようになっていきます。次第に、桜は特別な存在になっていきました。

桜は、樹そのものの寿命は長く、樹齢100年を超えるものも多々あるのに、花の期間はごく短い。一瞬にして咲き乱れ、はかなく散っていく様は日本人に愛され、生死の象徴として崇拝されて来ました。

日本にある桜の種類は100種以上とも言われていますが、自生する基本の種類は、エドヒガン、ヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラなどの9種類。野生の桜はみんな山桜系です。この写真は、うちの庭にあるヤマザクラ。毎年どんどん伸びて大きくなるし、ほっといてもいっぱい咲きます。花は白くて、葉っぱと一緒に咲くから地味。江戸時代までは、桜といえばヤマザクラ。
オオシマザクラは、花は大きい。丈夫で潮風にも耐えるので海岸にもある。野生化が進んでいて、本来伊豆周辺に自生していたものが、日本全国で確認されるようになっているって、知りませんでした。
エドヒガンは大きく育ち長寿、天然記念物に指定されているような桜は、ほとんどがエドヒガン。花は白からかわいいピンク。

さて、かの有名なソメイヨシノは、日本中のすべての木がクローンだって知ってますか?「ミステリーと言うな勿れ」の中で久能整君が言ってたから知ってる人も多いかな。ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの掛け合わせで作られた栽培品種。江戸時代後期に染井村(今の豊島区駒込あたり)の植木職人が作り、桜の名所吉野にちなんでソメイヨシノと名付けて売り出したもの。瞬く間に全国に広がりました。接ぎ木によって増やされるため、遺伝子はすべて同一、つまりクローンなのです。そしてソメイヨシノ同士は受粉しても種ができない「自家不合和性」という性質のため、人の手を借りない限り増えることができない。現在、日本中に数100万本から1千万本のソメイヨシノがあるみたい。

ソメイヨシノ60年寿命説とか一斉に枯れるとかって、聞いたことありませんか?植えてから60年たつと倒れるとか、同一時期に植えられたからほぼ同時に枯れるとか。これは嘘。適切な手当てを続ければ長く生き、樹齢130年を超えるソメイヨシノはすでにあり、弘前には樹齢100年を超える桜が300本以上現存します。ただし、同一の遺伝子を持つことは、同じ病気にかかるということで、同じような環境変化に弱いことでもある。街路樹として多用されているので、排気ガスなどの影響も受けやすい。ひとたび何かあれば、一斉に枯れる可能性はあります。

ソメイヨシノの最初の1本はどこにあるか、研究が進んでいます。昨年、上野公園にある4本の古木がルーツなのではないかという可能性が示されました。


もう一つ、桜の木には実がつくか?それはサクランボなのか? 
きれいな花の咲く桜の木にはサクランボはできません。食用のサクランボはセイヨウザクラの果実。一般の桜の実には毒があります。食用でないサクラの未熟な実は、分解される過程で青酸を発生される成分を含んでいるので、桜の実は食べちゃダメです。ちなみに、桜の葉にも大量に摂取すると健康被害につながるクマリンが含まれています。桜餅の葉っぱ数枚くらいなら問題ないそうですが。
この写真、近所のお宅のサクランボの木。小さな実がついてるの、わかりますか。これはガレージの前に生垣みたいになってて、後ろに見えるのは車。ガレージの上にはブドウの棚。この家の主は、そのブドウでワイン作ったり、不耕起でお米作ったりしているユニークな方。サクランボも少しいただいて食べたことあるけど、甘さ控えめでした。

桜が纏う幻想的な雰囲気も魅力的。
桜の花の下に立つと、心がざわっとします。   
安吾の「桜の森の満開の下」を思い出す。それから「桜の樹の下には死体が埋まっている」というフレーズにつながって、さらには「願わくば 花の下にて 春死なん」という句が浮かび、リフレインする。これは毎年繰り返すこと、桜の妖かしのなせる業。
桜の別名は「夢見草」「徒名草」。夢見てるみたい、はかない、もろい。

そういえば、桜の花粉にエフェドリンが含まれていて人を興奮させる、だから桜は人を狂わせるという俗説は嘘だそうです。小説か何かに書かれていてネットで広まっただけで、花粉にエフェドリンは含まれていない。
でも、桜の下を通るのが怖いという感覚はわかるような気がします、特に夜は。

昼間でも妖しい感じするのは枝垂桜。しだれって本当にきれい。魅入られてしまいそう。この写真は、千葉城近くで数年前に撮ったものです。青空でも妖かし。

日本三大桜の一つ、福島の三春桜も見事な枝垂れです。高さ13m、枝の長さ10m以上、樹齢1000年超のベニシダレザクラ。一度見てみたいものです。あと2つもご紹介しましょう。山梨の山高神代桜、ヤマトタケルが植えた桜という伝説がある、樹齢2000年超のエドヒガンザクラ。こちらは高さ10m、枝張り17m 以上。もう一つは岐阜の根尾谷薄墨桜。これもエドヒガンザクラ、樹齢1500年超、孤高の桜と呼ばれる。高さ17m、枝張り20m超。写真で見ただけでも凄い!!(ネットで見てみてね)

千葉に戻りましょう。
千葉公園で、ムスカリの群生する一角があって、菜の花と桜ならぬ、ムスカリと桜、ちょっと珍しい一枚が撮れました。
個人的にはムスカリ大好きなので、嬉しい。

この日はよかったけれど、それ以降雨っぽい日が続き、なかなかお花見日和がないうちに、桜はもう散り始めています。もう少し楽しめるのを期待しつつ…。(3月27日 佳)







 

初夏の旅~奈良から大津へ

  新緑の美しい初夏の奈良から大津を旅してきました。今回の旅の目的は、特別公開の仏像を見ることと、今まで行きたいと思ってたけどまだ行っていないところに行くこと。 順にご紹介していきましょう。 (今回の旅の目的の一つは特別公開ですが、公開される仏像はほぼすべてが撮影不可です。なので...