2023年4月26日水曜日

会津の旅1~仏像と会津若松編

 

会津へ行ってきました。

第一の目的は、東北屈指の仏像を見ること。たまには奈良ではなく何処かに、と探して見つけました。国宝の仏像が3体あります。それも予約すればいつでも見せてくれるのです。これだ!と思いました。もう一つ山形に国宝のあるお寺があるのですが、こちらは非公開のものが多くて、よし会津に行こうとなりました。

それは、湯川村にある勝常寺という小さなお寺です。
会津若松からバスで20分ほど、佐野というバス停で降りて、何にもない道を歩いてさらに20分、勝常寺に着きます。連絡を入れてあったので、ご住職が出迎えてくれました。
勝常寺は、平安時代の初め807年に徳一上人によって開かれた古刹です。伝説では天皇の命によって魔物退治のために使わされた空海が、薬師如来像5体を作り、東西南北と中央にまつろうとし、急用で都に帰るにあたって徳一上人に後を託したと伝えられます。その中央に当たるのがここです。

仁王門には、阿吽の金剛力士像。
門の上部には大きなわらじがあります。
もとは七堂伽藍を備える大寺院で、子院・末寺が数百もあった時代があると伝わりますが、今はこじんまりしたいい感じのお寺です。

このお寺に、国宝3体、国指定重要文化財9体、村指定文化財14体の仏像など三十余の仏像があります。薬師堂自体も国指定の重文です。

勝常寺の木造薬師如来像、国宝です。
写真は撮れないので、これは湯川村のホームページから。
この両脇に、日光菩薩・月光菩薩があって、その2体も国宝です。平安前期に作られたもの。

この日は、薬師堂の修復中で、別のお堂に仏像たちがずらりと並べられていました。この他に、聖観音菩薩、地蔵観音菩薩、虚空観音菩薩、十二神将‥などなど。十一面観音が修復中、四天王のうち3体が宮城の博物館に貸し出し中でしたが、圧巻の仏像三昧。それも距離が近い。至近距離で、十二神将なんか数十センチの近さで見られました。ゆっくり、じっくり拝観させていただきました。仏像と向き合って、見入って魅入られて、時が停まる、この瞬間が大好き。至福です。勝常寺に来てよかった!

仏像たちの中に、徳一上人像がありました。この写真はお寺のパンフレットからです。この像、独特の強いオーラがありました。顔に傷というか木の割れがあるのですが、何かの折にどうしても目が行っちゃう、そしてしばし目が離せなくなるのです。仏像に見入るのとは別の感じ。

徳一上人は、奈良の東大寺・興福寺で法相宗を学びましたが、権力と結びつき腐敗する奈良の仏教を嫌い、会津に移り住み、筑波山に中禅寺を、会津磐梯山麓に恵日寺を開きました。空海は彼を徳一菩薩と呼ぶほどで、彼が会津に移ってからも信頼厚く、弟子を送って真言の写経を依頼したりと行き来があったようです。また最澄の天台宗一乗思想を批判、最澄と論争して一歩も引かなかったとの逸話もあります。今でも彼の強い魂がここで生きているような気がしました。

さて、会津若松市内には、歴史的な建造物が多くあります。勝常寺を訪ねた前日は、市内をレンタサイクルで回りました。
その一つ、会津飯盛山のさざえ堂です。六角形の塔状の建物で高さ16m、一方通行のらせんの通路(階段ではなく坂道)で、登り下りが別々、誰ともすれ違わずに登って降りてこられる、魔訶不思議な建物です。日本唯一、世界でも例を見ないとか。実際に体験してみて思ったのは、これは何のために作られたんだろうということ。実は、当初は(建立は1796年江戸時代)西国三十三観音巡りとして観音像が配置されていたとか。明治以降は、会津藩道徳教本の絵額に変えられたそう。東京の高幡不動の裏に四国の八十八か所を一気に回れるところがあるけど、それと同じね。

飯盛山と言えば、白虎隊。さざえ堂から数分のところに、白虎隊士19人の墓と自刃の地があります。幕末戊辰戦争の際、16~17歳の少年たちで組織された白虎隊、本来は予備兵力だったものの、会津藩の劣勢の中で前線へ。戸ノ口の闘いに敗れて飯盛山へ辿り着き、煙に包まれた鶴ヶ城を見て、武士の誇りを保つために自刃した。その際ただ一人生き残った飯沼貞吉が、晩年に語ったことによって白虎隊の悲劇が現在に伝わることになりました。彼の墓も飯盛山に、19人の戦士の墓から少し離れたところにひっそりと建てられています。
これはお墓の手前の広場に立つイタリア記念碑。白虎隊にいたく感動したムッソリーニがローマ市民の名をもって記念碑を送るように命じて建てられました。ポンペイ遺跡から発掘された石柱が使われています。
会津と関係の深い新選組の近藤勇の墓というのも近くにあります。土方歳三が会津を訪れた際に建立したと言われています。土方は流山で近藤と別れて会津に入り、母成峠の戦いに参戦後箱館五稜郭へ入り、箱館で戦死。近藤は流山で投降後、板橋で斬首されました。

その関わりは、1862年に会津藩主松平容保が京都守護職を徳川家より拝命されたことから始まります。その2年後に新選組が会津藩預かりとなり京都守護に当たるも、歴史の大きな動きの中で、会津藩は最後まで幕府に忠誠を尽くし、鶴ヶ城に1か月籠城して抗戦するが、1868年に降伏、開城。戊辰戦争では土方はじめ三番隊隊長の斉藤一が会津若松で新政府軍と戦いました。会津の人にとって、戊辰戦争での戦いぶりは、郷土の誇りとして今も語り継がれています。会津人の「ならぬことならぬ」という気質が、最後まで戦い抜く姿勢にも、白虎隊の精神にも表れています。

その難攻不落と言われた敦賀城、明治政府の命令で取り壊されました。昭和40年に再建、平成12年にも城の一部を本格復元。今年天守閣の屋根の赤瓦を甦らせました。耐震などの内部の工事は続いていて、本格リニューアル公開は4月29日だそうです。
でも、お城って中に入るより外から見た方が断然いい。まして再建のお城はなおさら。犬山城みたいに建てられた当時のそのままなら、登るのも面白いけれど。

サイクリングしてて大きな木が目に留まり、ここは何?と立ち寄ったのが蚕養國神社(こがいくにじんじゃ)。
境内にご神木としてまつられているのは峰張桜。花は過ぎていたけれど、風格のある姿に青葉が美しい。この日は、どぶろく祭りという旗が立てられ、シートを敷いて宴席中でした。こういう現役感、いいなあ。他にも大きな木が多数。こういう神社がまちなかにある、会津の底力みたいなものを感じました。
…続く…  (勝常寺は2023年4月20日、その他は19日)











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