2025年6月28日土曜日

十和田市現代美術館 

 

ずーっと行きたかった十和田市現代美術館へ行ってきました!

とてもとてもおもしろくて、感動的で素晴らしい体験でした。

外房線太東駅から東京駅へ、東北新幹線で七戸十和田駅で降り、そこからバスで十和田市へ。5時間ちょっとの道のり。バスの本数もなくてネットで調べて、これしかないっていうのに乗っていきました。まそういうのを調べるところからが旅の楽しみともいえます。

この美術館のヴィジョンは「アートによる新たなる体験を提供し、未来の創造への橋渡しをする美術館となること」。建物は基本は白い立方体ですが、壁面の一部には絵が描かれています。一つの面はポール・モリソン(イギリス、1966年~)の「オクリア」という作品(2008年制作)。版画や切り絵を思わせるような太くはっきりとした黒い線で描かれたリンゴの木のある風景。もう一つの面には奈良美智の「夜露死苦ガール2012」。庭に立つのはチェ-ジョンファ(韓国、1961年~)の「フラワー・ホース」(2008年)。力強く立ち上がリ、今にも走り出しそうな花で埋め尽くされた馬。人々を迎えるウエルカムブーケだそうです。

十和田市現代美術館は2008年開館。中央省庁の再編計画を背景に、官庁街通り全体を美術館に見立てたまちづくりプロジェクト「Arts Towada 」計画の中核施設として開館しました。向かい側の旧税務署跡地がアート広場として整備され、さらに街中へも展開していきます。美術館のある観光庁通りは松と桜の並木道、この道は別名駒街道、そのためか、いたるところに馬の彫刻なども配置され、アート作品もあって、楽しく、気持ちよくお散歩できます。

術館の中に足を踏み入れると、エントランスの床一面に広がるカラフルな幾何学模様。これも作品、ジム・ランビー(イギリス、1964年~)の「ゾボップ」(2008年)、リズミカルで躍動感があります。


そこからつながる部屋にロン・ミュエク(オーストラリア、1958年~)「スタンディング・ウーマン」(2007年)。十和田市現代美術館といえばこれ、様々なメディアで取り上げられているので、目にしたことがある方も多いでしょう。約4メートル“おばさん”。この大きさにしてびっくりするほど克明なデティール、皮膚、髪の毛、透き通って見える血管、洋服の質感…見惚れてしまいます。実際にこういう人いるよなぁ、この世界のどこかに彼女は存在してるだろうと感覚的に納得してしまうようなリアリティ。ぐるぐる回りながら見上げると、その都度表情が違って見えます。仏像みたい。虚空を見つめているような、目が合ったりするような。空間には静謐感が漂う、不思議な感じです。


ミュエクは子供向けのテレビや映画のためのモデルやパペットや、レゴのタブローの一部として小さなフィギュアを制作していました。1997年、父親の死を受け入れるために制作した「デッド・ダッド」で一躍有名になります。それは父親の死体を2/3スケールでぞっとするほどリアルに再現したものでした。シリコン製で、髪の毛は自分の髪の毛を使ったそうです。

ミュエクの作品は、実物大ではなく、極端に拡大、または縮小されたスケールで制作されることが多く、それによって見る者の感覚に強烈に訴えかけ、内面に目を向けさせ、生と死を見つめなおすことを促します。

現在韓国の国立現代美術館ソウル館にて、大規模個展開催中。大阪関西国際芸術祭にも作品が展示されています。


*いつもはなるべく作品だけの写真を載せていますが、この美術館のコンセプトは体験なので、今回はあえて作品を体験している写真も載せます。体験者は私または夫です。


屋外に置かれている作品をガラス越しに鑑賞しながら廊下を進みます。次の部屋は塩田千春(大阪府生まれ、ベルリン在住、1972年~)の「水の記憶」(2021年)。一艘の古びた木船、それをつなぎとめるかのように張り巡らされた無数の赤い糸。圧倒的に真っ赤な部屋。思わず息を呑みました、凄いです。

塩田千春といえば赤い糸、糸で紡ぐ大規模なインスタレーション。彼女は3次元に絵を描くための線として糸を使っているといいます。「糸が時々からまったり、切れたり、張り詰めたり、緩んだりというのが人間関係にも置き換えられる。自分の心を表す鏡のような存在として糸を使っていります。」

船は未知の場所へ導くと同時に、ひっくり返ったら死んでしまう、いつも死と寄り添っている存在でもあります。


船から湧き出すように編まれた糸は、壁面へ、天井へと広がり、糸が糸でなくなった時、やっと表現したかった世界が見えてくると言います。見えない何か、糸の向こう側にある世界。「作品は私(塩田)から、あるとき私たちになって、それがまた、見た人によって私(見た人)に戻る。」

なるほど。共感します。


インタビューの最後に彼女は、猪熊弦一郎が「美術館は心の病院だ」といったことに触れて、「言葉にならない感情や心の葛藤がインスタレーションになり、私のようにうまく言葉を伝えられない人が作品を見ることによって、その葛藤が緩和される。美術館というのはそのような場所であり、共感が持てる作品がいっぱいある。」(十和田市現代美術館HP アーティストインタビューより)


塩田千春の部屋の向かい側には、ハンス・オプ・デ・ベーク(ベルギー、1969年~)の作品「ロケーション(5)」(2004/2008年)。ここはほとんど真っ暗な部屋です。ここがまたいい!


暗闇に目が慣れてくると、そこはダイナー(レストランのようなもの)の中、テーブルと客席があり、窓の外は高速道路、オレンジ色のライトが物憂げにひかり、かすかにノスタルジックな音楽が流れています。錯視を利用していて、壁は鏡、実際はかなり狭いスペースですが、どこまでも続く道路と風景は全く人気がなく森閑として、まるでヨーロッパのどこかの田舎のドライブインに居るかのよう。なんだか居心地よくて、ずーっと座っていたい、コーヒーでも飲みたいな、なんて思っちゃいます。



この作品は、彼自身の体験から生まれました。オランダ北部からベルギーまでの長距離を車で移動していた時期に、ラジオで聞いていた古い音楽と夜の風景が混ざり「どこでもない場所になった」と感じたこと。


鑑賞者はまず、静けさや穏やかさを感じ、そこから瞑想して様々な思考に向き合います。自分自身の感情、他者、人生、時間、空間、死(存在の儚さ)。

「黒とオレンジの2つのトーン、それは詩のようなもの。想像への余白があり、そこに何を付け加えられるかが重要。」「アーティストとしての私の仕事は、世界をありのままにシュミレートすることではなく、世界を解釈し、本質の一部を呼び起こし、根底にある核を明らかにすること。」「鑑賞者はまず作品を体験し、自ら発見し、そして幾重にも重なった意味や問いを見出していくものです。」(アーティストインタビューより)



本館から外に出て、別の建物の中にあるのが、レアンドロ・エルリッヒ(アルゼンチン、1973年~)の「建物ーブエノスアイレス」(2012 /2021年)。

床に置かれたヨーロッパ風の建物の上を自由に歩き、ポーズをとると、斜めに置かれた鏡によって、立ち上がっている建物の壁の上では重力から解き放たれたような光景が映し出されます。作品の中に入り込む体験。見るー見られる相互関係。ものすごくおもしろい!


この作品を見に行ったのは人が少なくなった夕方近く、たまたま誰もいなくて私と夫だけ。スタッフの方が、こんなことめったにないから十分楽しんで行ってくださいと言ってくれて、いろんな事やって写真撮りました。



レアンドロ・エルリッヒの建物シリーズは2004年のパリから始まり、世界中で制作されてきましたが、常設展示は十和田市現代美術館が初めて。

彼の作品「スイミングプール」が、金沢21世紀美術館で恒久展示されていて、インスタ映えスポットとして人気を博しているのをご存じの方もいらっしゃるでしょう。


私たちは、2018年の大地の芸術祭に行った時、越後妻有現代美術館キナーレでエルリッヒの作品「Palimpsest 空の池」を見ています。大きな池に写される鏡像が複層化し、ある地点から見ると完全に一致するという不思議な現象を体験しました。あのエルリッヒだ、と思いつつ、行ったり来たりして、壁に腰かけてるみたいな、または垂直に立ってるみたいな自分達を見て、なんとも不思議な感じ。楽しかった!



この他にも素敵な作品がいっぱいです。簡単にご紹介していきましょう。


トマス・サラセーノ(アルゼンチン、)の「エア-ポート-シティ」(2008年)

透明なバルーンの集合体が網目状の暇によってつながれていて、梯子を上って中に入ることができます。国や領土という概念から解放されて、雲のように形を変えながら空に浮かぶ都市の在り方を呈示しているそうです。


ソ・ドホ(韓国、1962年~)「ユーズド・アンド・エフェクト」(2008年)。

一見巨大なシャンデリア、近づいてみると赤、オレンジ、半透明の、肩車してつながっている人形が吊り下げられているのです。世代から世代へ、連綿と受け継がれていく知識や記憶を表現しているとのこと。

これは内側に入って上を見上げて撮った写真です。



アナ・ラウラ・アラエズ(スペイン、1964年~~)の「光の橋」(2008年)

幾何学的な柱状の彫刻ですが、中に入ると柔らかな青い光と浮遊感漂う音が空間を満たしています。宇宙へのトンネルみたい。

女性作家であるアラエズは、強靭さと儚さを併せ持つ作品を作り、いつ傷つき壊れるとも知れない弱さやもろさを持つ人間の本質的な姿を映し出すとされています。「水平な人間の背骨の中を歩くことで、人生の軌跡を新しい視点から考えることができる」と述べています。このトンネルは人間の背骨の中なのですね。



階段だって作品です。
フェデリコ・エレーロ(コスタリカ、1978年~)屋上へと続く階段はカラフルな色と形「ウオール・ペインティング」。屋上は空の青と呼応するような水色、ところどころに目玉のようなものが描かれた「ミラー」(どちらも2008年)。
十和田に滞在し、この地の印象を交えて即興的に描いたものだそうです。
この写真、なんだかアートの一部になったみたいな気分でうれしいです。

カフェの床も作品で、ちょっと和風な感じの色とりどりの花が描かれています。着物の柄とか、花札とかを連想させるような。そしたら、南部裂織に着想を得た、と書かれていて納得。東京生まれで中国(台湾)在住のマイケル・リンの作品、日本人じゃないのね。

マリ―ル・ノイデッガー(ドイツ、1965年~)「闇というもの」(2008年)

ここも闇、かなり暗い森、徐々に木々が浮かびあがってきます。その中を歩く体験は、本物の夜の森を歩いているよう、ちょっと怖いくて、何かがいるかもしれない感じ。

「森やイメージ全体を一度に見渡すことはできない。…自分の想像力を信じて余白を補い、未知なるものを受け入れるしかない。」
見えないということはそういうことなのですね。

中庭にオノ・ヨーコ(東京都生まれ、1933年~)の作品。
「念願の木」これはオノヨーコが世界各地で行ってきたプロジェクト。七夕の短冊のようなカードが置いてあって、メッセージを書いて木に吊るします。手前には「平和の鐘」京都の古寺にあった鐘だそう、鳴らすとすごくいい響き。木と鐘の間は玉石の道でつながっていて、これが「三途の川」。

屋外の道路沿いに、真っ赤なでっかい昆虫。椿昇(京都府生まれ、1953年~)の「アッタ」(2008年)。モチーフになっているのはハキリアリ、中南米に生息し、農耕する蟻と言われています。葉っぱを切り取って巣に運んで菌類を栽培して餌にするらしい。日本では生息していなくて、唯一多摩動物園で飼育されているそうです。作品の意図は「地球上の資源を奪い続け、大量消費を止めない人間への警告」。

壁と壁の間に、森北伸(愛知県生まれ、1969年~)の「フライングマン・アンド・ハンター」(2008年)。
壁に手足を突っ張って恐る恐る進もうとしている人、梁の上にはもう一人、なんかドラマがありそうですね。薄い鉄のプレートに開いた穴が、「空気や光を捉え、時刻や天候、角度によって異なる表情を見せてくれる。」
白い壁と青い空に映えて、妙に印象に残ります。
作者は今、愛知県立芸術大学の教授です。
(ちなみに愛知県立芸術大は奈良美智の出身校です。公立で学費が安いからと選んだらしい。その後、奈良はドイツのデュセルドルフの芸術アカデミーへ進みました。)


美術館の向かいはアート広場になっていて、草間弥生(長野県生まれ、1929年~)の作品も。「愛はとこしえ十和田でうたう」。
ここのかぼちゃは中に入れるようになっていて、子供たちが遊びの基地にしていました。「草間さんのかぼちゃで遊べるなんていいなぁ」と思わず言ったら、通りがかりの中学生が「本当に。いいですよねぇ」と返してくれました。こういうの、なんかいいな。



屋外アートもたくさんあります。美術館通り沿いには、ストリートファニチャーと名付けられたいろんな形のベンチが点在。これは「イン・フレークス」という作品。(2010年)作ったのはマウントフジアーキテクツスタジオ。ステンレスのかけらが折り重なるようなベンチ。そこに木々の緑が映り込みます。
葉っぱに囲まれ、覗き込んでいる夫の顔、アートだなぁ。


最後に。
冒頭で触れた、奈良美智(青森県生まれ。1959年~)「夜露死苦ガール2012」(2012年)。

笑っているようにも見えるし、何かを飲み込んでいるようにも見える、「見る人によって表情を変え、まるで私たちの内面や記憶、誰かの面影を浮かび上がらせるようでもある。」とあります。
美術館のHPに、奈良美智のトークがあるのですが、その中で、彼は女の子の絵を描くとき、一度書いたものを潰して、また描いて、とやっていくうちに、ずっと見ていられる顔になっていく、と述べています。なかなか興味深い動画です。



ご紹介しきれていませんが、一旦この辺で。

十和田市現代美術館内の作品を中心にご紹介しました。


美術館のパンフレット、ホームページを参考にさせていただきました。ホームページには、アーティストトークやインタビューなどがたくさん載っていて、どれも興味深くて面白いです。興味がある方は読んでみてください。

 十和田市現代美術館 https://towadaartcenter.com


 

私たちは初日夕方まで美術館に居て、十和田で一泊し、次の日の朝から、まちなかのアート作品を見て回り、次の目的地仙台へと向かいました。

十和田名物のバラ焼きもしっかり食べてきましたよ~大量の玉ねぎと牛肉、美味しかった!!

美術館のカフェで食べたプレーンの南部せんべいに乗ったソフトクリーム、えーおもしろい、と食べたけど、この組み合わせ、意外と合います。


(実はこの旅の真の目的は、吉田鋼太郎演出、藤原竜也主演「マクベス」の仙台公演。藤原竜也の舞台での圧倒的な存在感を堪能してきました。)  2025年6月28日 水野佳









2025年5月25日日曜日

水道の話。

先月のガスに続いて、今月は水道の話。


日本国内の水道普及率は98%と言われています。ほとんどのところで、蛇口をひねると安全な水が出てきて、安心して飲むことができます。私たちにとっては当たり前のこと、でも世界ではそうじゃない、安全な水を確保できない地域が大多数。水道水をそのまま飲める国は、日本を含めて11か国しかないのです。


日本は水の豊かな国と言われていますが、日本の河川は長さが短く、流れも急で、雨が降ってもすぐに海に流れ出てしまうため、実際に使える水資源は少ない。

水資源賦存量というのがあるのですが、これは降水量から蒸発散量を引いたもので、理論上人間が最大限利用可能な水資源量のことです。世界平均は1人7027立方メートル/年、これに対して日本は3400立方メートル/年と半分以下です。もっと言うと、3400は全国平均であって、関東地方に限ると900立方メートルになります。人口密度も関係しているため仕方ないのですが、この数字を見ると首都圏で毎年繰り返される水不足にも納得できます。日本は決して水が豊かな国ではないのです。


そもそも水道水はどうやって作られるのか。


自然の中にある水を浄水して作っています。浄水場で、川や湖の水、地下水などを取り込んで、濾過し消毒して安全な水として送りだします。

簡単に説明すると、沈殿→攪拌→濾過→消毒という工程。取り込まれた自然水は、まず薬品を混ぜて砂やゴミを固めて、沈ませて取り除きます。次に徐々にスピードを落としながら攪拌する。砂の層を通して濾過し、最後に塩素による消毒を行います。浄水の過程でいくつかの薬品が使われますが、処理過程で除去されてしまうので、最後に残るのは塩素だけです。


水道水は、塩素消毒をし、蛇口における残留塩素濃度が0.1mg/ L 以上なければならないと定められています。これはWHOの基準の倍以上の厳しさ、世界トップクラスの安全基準だそうです。また、塩素濃度が高いと味やにおいに影響を与えるため、上限を1mg / L以下に抑えるという管理目標値も設定されています。

塩素濃度については、地域の事情に合わせて、地域ごとに基準があります。


水道料金について。


水道の料金、地域格差がとても大きいことはよく知られています。それはなぜか、水道事業は自治体が管理しているからです。

水道は公共性の高い事業、公共の利益を優先し住民の生活を保障するために公営とされました。また地域の水資源情報を把握しているのが自治体で、住民のニーズに合わせた事業を請け負えるからでもあります。そして独立採算制であること、水道事業の収益を事業運営のみに充てることで安定的に運営する。ほかの事業のマイナスを補填して、そのせいで水道が使えなくなったりしないように、ということでしょう。それは逆から言えば、水道料金以外の収入は使えないということ。これが自治体間の料金の格差につながっています。


水道料金もガスと同様、基本料金+従量料金で計算します。

一概に比べるのは難しいのですが、千葉市と東京23区で比較してみます。

基本料金:水道管の直径で異なる。(一般家庭向けは、13ミリ、20ミリ、25ミリくらい。)

     東京 13ミリ 860円/月 20ミリ 890円 /月   25ミリ 1590円/月

     千葉市 13ミリ 418円/月 20ミリ 979円 /月   25ミリ 1749円/月


従量料金 東京 1~5㎥ 0円 6~10㎥ 22円 11~20㎥ 128円 21~30㎥ 163円

     千葉市 1~10㎥ 62円 11~20㎥ 165円 21~40㎥ 268円 


例えば、20ミリの水道管で月25㎥使った場合は、東京では2315円、千葉では4590円の水道代がかかります。ただし東京では下水道料金が2580円プラス、千葉市では2030円プラス、合計で4890円、千葉市では6620円となります。(計算間違ってるかもしれませんが…)


参考までに、私の住んでるいすみ市は、2か月分計算になっていて、基本料金が2か月で20㎥まで3400円、それを超えた分は1㎥につき190円、それにメーター料金として13ミリで140円、20ミリで160円、25ミリで300円が加算されます。上と同様に、20ミリで25㎥つかった場合は2か月で9260円、1か月にして考えると4630円となります。うちは大体2か月で35~40㎥使っていて、水道代は2か月で7~8000円です。千葉は水道料金が高いと言われていますが、そうでもないなと思っていたけれど、改めて東京に居た時とそう変わっていっていないことが確認できました。ただし、いすみ市は下水道がありません。その分浄化槽の点検費が年間13000円ほどかかります。(浄化槽については後述します。)

また、この4月から、夷隅郡広域市町村圏事務組合というのができて、いすみ市、勝浦市、御宿町、大多喜町の水道事業を広域管理することになり、今後値上げが予想されています。今後の予想を見たら、広域化しないとどんどん値上げになっていくようで、少しでも値上げ幅を押さえるための措置のようです。

千葉県全体も水道料金の値上げが公表されています。日本全体といってもいいかもしれません。水の問題は、実はとっても深刻な状況にあるのです。


ちなみに、全国の水道料金の格差は2倍以上。

都道府県別では、1位神奈川県2142円に対して47位の青森県は4418円。(これは口径13ミリ、使用水量20㎥での金額。)自治体別では1位兵庫県赤穂市853円、2位静岡県長泉市1120円に対して、ワースト1位は北海道夕張市6841円、ワースト4位まで北海道で、5位は長崎県上天草市が6242円となっています。すごい差ですね。

この差の原因は、水源、地形・地理的条件、水道事業の運営規模、設備の老朽化と維持コストなど。水道に関しては選べないから、そこに行ったらそこの料金を払うしかない、お引越しするときは水道について調べた方がいいと思います。


*2018年に法律が改正され、民間事業者の参入が可能になりました。いわゆる水道民営化。2021年に宮城県で民間企業に運営権を売却・委託するコンセッション方式による事業が開始。東京では、水道局から維持管理などの業務を委託していた法人が合併し、東京水道株式会社が設立されて業務を運営しています。

水道民営化、知ってました?賛否両論のようです。


下水道と浄化槽について。


日本の上水道は98%設置済と述べましたが、下水道については81%ほどです(令和4年末)。人口密集地域では、下水道による処理の方が効率がいい、でもそうでない地域では初期投資の費用が高くて予算の確保が難しく、事業期間も長期に亘るため、なかなか手が出せず、整備が進みません。

千葉県では下水の設置状況は77%、全国平均より低く、特に私の住む外房方面は、未設置のところが多い。この図は千葉県の下水道実施都市の状況ですが、これで分かるように、いすみ市は下水はありません。


下水道のない地域での汚水処理は、浄化槽による処理が行われています。


ここに引っ越してきて、まず浄化槽って何?と思いました。下水のないところなんて、考えたこともなかった。不動産屋さんが浄化槽業者も手配してくれて、最初に来た時に「浄化槽使ったことあります?」って聞かれて、「全然ない」と答えたら説明してくれたけど、よくわからなくて。

今回調べてみて、やっとちょっとわかりました。要は、浄水場でやってるようなことを、各戸でやる、庭に埋めた装置というか水槽みたいなものを通して、汚水を浄化する仕組みです。

主役は微生物。まずは嫌気性微生物が汚水の中の有機物を分解する、そこに空気を送り込んで今度は好気性微生物がさらに分解、微生物は汚泥となって沈殿する、残った水は塩素剤で消毒して放流されます。放流?どこに流されるんだろうといつも思いますが、ただ単にその辺に流しているみたいです。いいのかな、と思いますが、浄化されてるからいいのでしょう。うちは周りがだいたい元田んぼの空き地だから、まいいかって感じです。


浄化槽の点検は4か月に1度、業者さんが来てちゃんと動いてるか点検して、お掃除してくれます。これは1回4400円。数年に一度、浄化槽に溜まった汚泥(微生物の残骸なのね)を汲み取る作業が必要で、これには結構お金がかかります。3年前にやった時は4万円ちょっとかかりました。検索したら年1回と書いてあったけど、うちは点検業者さんに言われたときにやってます。その費用を月にならすと、1000~2000くらいでしょうか。


今年1月埼玉の八潮市で下水道管が破裂、道路が陥没して運転手が落下し、3か月後に死亡している状態で発見されるという痛ましい事故があったのを覚えていますか?この事故を受けて、緊急点検が行われた結果、いつどこで似たような事故が起きても不思議はないということがわかりました。水道管は各地で老朽化しているのです。実際に、水道管の破損による事故は頻発しています。今年4~5月にも、京都市下京区や大阪市城東区で、水道管の破裂によって道路が水浸しになる事故が起きました。いずれも設置から60年を超えた排水管でした。千葉でも、2月に大網白里市で水道管破裂と道路陥没が起きています。

老朽化した水道管はどこにでもあります。上水道管は比較的浅い位置に埋まっているのですが、下水管は上水より深い位置に埋まっていて、なかなか点検もままならず、お金もないし、放置されているものが多いようです。いつ、どこで、大事故が起きても不思議はない状況、どうするんだろう、と思ってしまいます。

そういう意味では、下水のないいすみでは、陥没事故は起きにくいかもしれませんが。


最後にちょこっと水知識。硬水と軟水について。


水の硬度というのは、水中のカルシウムとマグネシウムの量を表す指標です。炭酸カルシウムに換算します。(これはアメリか硬度と言います。日本やWHOではこれを使用。他に酸化カルシウムに換算するドイツ硬度もある。)

WHOでは0~60㎎ / Lを軟水、60~120㎎ / Lを中程度の軟水、120~180㎎ / Lを硬水、180㎎ / L以上を非常な硬水といいます。日本では0~100㎎ / Lを軟水、101~300㎎ / Lを中硬水、301㎎以上を硬水としています。日本の水道水は地域差はありますが、平均で48㎎程度で軟水と分類されます。硬度1位の千葉は78㎎、2位埼玉70㎎で多少硬度高いですが、軟水の範疇です。

ミネラルウォーターとして売られているエヴィアンは304㎎で硬水です。


水の硬度を決めるのは地質環境です。ヨーロッパでは石灰岩が多く、河川や地下水にミネラルが多く溶けだすので硬度が高くなる。日本では河川が短く流れが急なので、水が岩や土に触れている時間が短く、溶け出すミネラルが少ないので、水の硬度は低くなると考えられます。


硬度が高いほど石鹸が泡立ちにくくなり、お肉が柔らかくなります。逆に軟水では石鹸が泡立ちやすく、お茶や紅茶をいれるのに適しています。

日本のお水、おいしいですよね。

お茶もコーヒーもお料理も、おいしいのは水のおかげ。

おいしい水がいつでも使えるのはとても幸せなこと、大事にしなくっちゃね。

この幸せが長く続くことを願わずにはいられません。(2025年5月25日 水野佳)






 

2025年4月29日火曜日

ガスの話。

近々ガス給湯器を取り換えることになったのを機に、改めてガスについて調べてみました。そのことを書いてみます。


東京に居たころはずーっと都市ガス・東京ガス、それが当たり前でした。都市ガスが自由化されてガス会社が選べるようになったのは2017年のことです。それでも都市ガスについては選択肢はあまりありません。関東だったら東京ガスの他はレモンがスとニチガスくらいです。


一方プロパンガスの自由化は、それよりも20年も早く、1997年から自由化されています。選択肢もたくさん、全国のガス会社は17600以上あり、価格も自由化される前から自由料金制、価格幅も大きい。千葉県には600以上のプロパンガス会社があり、値段も相当違います。

引っ越しが決まった時、不動産屋さんに希望のガス会社はありますか?と聞かれ、プロパンなんて全く知らないし、何を問われてるのかもわからなくて、お任せします、とお願いしました。実は不動産屋さんが手配してくれたガス会社が結構高いほうだったことを知ったのは、だいぶ後になってからでした。

 まず、都市ガスとプロパンガスの違い。

そもそも原料が違います。都市ガスは液化天然ガス(LNG)を原料とし、メタンが主成分。プロパンガスは液化石油ガス(LPG)を原料として、主成分はプロパンやブタン。

都市ガスは地下のパイプラインを通じて供給されるので、いつでも使える。プロパンガスはガスボンベを設置してそこから使い、定期的にボンベを交換する必要があります。

火力はプロパンの方が強い。都市ガスは1㎥あたり熱量10,750kcal なのに対して、プロパンは1㎥あたり24,000kcal 。一般に都市ガスの方がプロパンガスより安いと言われています。

ガス燃焼時に発生する二酸化炭素の量は都市ガスの方が少ないので環境に優しいと言われます。おもしろいのは、都市ガスは軽いのでガス漏れの時には上に上がるからガス漏れ警報器は天井に付けるのに対して、プロパンガスは空気より重くて床にたまるので、警報器は床に設置するということ。そういえばうちも警報器、台所の床に置いてあります。

へーぇって感じです。


でもね、都市ガスは誰もが選べるわけじゃない。都市ガスが使えるのは、日本全国の面積のわずか6%しかありません。例えば関東では、この地図のように、ガスの導管が設置されているところはこれだけ、東京を中心にした一帯です。千葉県でも、東京に近いエリアが中心で、千葉市内でさえ都市ガスは使えないところもある、ましてや外房エリアは都市ガスほとんどありません。


実は、千葉県には、日本有数の水溶性天然ガス田があって、生産量、埋蔵量ともに日本最大規模だそうです。それなのに、その天然ガスはみんな首都圏に行ってしまって、お膝元の千葉では使えないって、何だかなぁ…って思いますが。千葉の水溶性天然ガスの可採埋蔵量は約3500憶㎥、現在の年間生産量は4.6憶㎥nで約800年分あるそうです。すごいですね。


天然ガスは脱硫、脱酸素処理をしてから-162℃に冷却し液化されます。体積は1/ 600となって大量輸送が可能になり、港近くのLNG工場に貯蔵された後、海水による加温により天然ガスに戻します。千葉にある東京ガス袖ケ浦工場は世界最大のLNG受け入れ基地かつ専用工場だそうです。


一方LP ガスの原料となるプロパン、ブタンは油田(石油)や天然カス田の内部に、メタンなどの他のガスと混在しています。それを分離、回収し、不純物を取り除い取り除いて精製し、低温で液化して液体LPガスとして輸送されます。

日本で消費されるプロパンガスの75%は輸入に依存し(輸入先は68%がアメリカ)、25%が国内で原油精製時や化学製品の生産時に発生する分です。

世界で生産されるLP ガスは原油からが30%、天然ガスからが30%、石油精製過程からが40%ですが、日本ではほとんどが石油精製過程からだそうです。


価格について。

プロパンガスは都市ガスより高いと言われています。実際のところどうなのか。ネットで調べると、プロパンガスは基本料金が1700~2000円、従量料金が1㎥あたり700円前後となっていますが、一筋縄ではいきません。会社によって違うだけではなくて、いろんな条件で変わってくるし、個別にも違うみたいだし。


うちはプロパン大手のNガスです。引っ越して数年後、Nガスの営業の人が来て、検針票を見せたら、「これは高すぎるから、うちでなくてもいいから変えた方がいい」と言われて変えました。

コーヒーの焙煎機をガスに変えた時、焙煎小屋(元物置…写真の左奥のドアが焙煎小屋の入り口、ボンベの横が勝手口で入ると台所です)にガス栓を設置するのも無料で工事してくれました。うちの2025年3月の料金は10956円(基本料金1650円、従量料金1㎥あたり389.4円で23.9㎥使用)平均より安いとおもいます。


同じ量を都市ガスだったら約4900円(東京ガスの早見表による計算)、でもカロリーが倍くらい違うので消費量を倍の48㎥で計算すると約8800円となりました。

都市ガスも基本料金プラス従量料金で計算しますが、常に変動しているし、なんかいろいろ条件があって…ガス代って難しい。ただし、都市ガスの方が安いことは確かです。でも、前にも書いたけど、都市ガスは都会の人以外は選べないんだからどうしようもない。


プロパンガス、メリットもあります。

第一は災害時に強いこと。都市ガスはガス管が壊れたら復旧までに時間がかかります。プロパンではボンベと設備があればすぐにガスが使えます。それと火力が強いこと。前述したように、1㎥あたりのカロリーは都市ガスの倍以上ある。なので、都市ガスのエリアでも、火力の必要な飲食店など(中華屋さんとか)では、プロパンガスも入れているところが結構あります。うちみたいなコーヒーの焙煎やってるところも、焙煎用にプロパン入れてたりします。


都市ガスが使えるのが普通だった私ですが、それは全然普通じゃないって外房に移住して気付きました。地方にお引越しする方も、都市ガスがあるところなんてたったの6%しかないということを覚えておいてください。そしてプロパンガスの場合、価格に倍くらいの差があるので、とりあえず調べてからガス会社決めた方がいいですよ。余計なおせっかいかな。


ガスの話でした。(2025年㋃29日 水野佳)






2025年3月29日土曜日

谷川俊太郎さんを悼む

「みみをすます」

私にとっての谷川俊太郎の原点のような本です。1982年出版の朗読のための長編詩。6篇の詩が収録されていて、今なおロングセラーを続けています。若いころ演劇に関わった私は、声に出して何度となく読みました。


『みみをすます きのうのあまだれに みみをすます みみをすます いつから つづいてきたともしれぬ ひとびとの あしおとに みみをすます…』で始まるこの詩、途中に1か所だけ()に入れられた部分があって、ドキッとさせられます。

『(ひとつのおとに ひとつのこえに みみをすますことが もうひとつのおとに もうひとつのこえに みみをふさぐことに ならないように)』そしてそのすこし後に続くのは『みみをすます せんねんまえのいのりに みみをすます…』

私の中に鮮烈な印象が残りました。


昨年、2024年11月13日、詩人の谷川俊太郎さんが亡くなりました。92歳。老衰で。

カフェ炎の雫に昨年から設置したささやかなブックスペースに、私が持っている谷川俊太郎の本たちを並べています。年末から第1弾、3月に入って第2弾。詩集や詩画集、絵本、翻訳‥など。一体どれくらいあるんだろうと思うほどの膨大な仕事をしています。大学にも行ってないし、手に職もないので、来る仕事でできるものはなんでも受けたのだそうです。


私は谷川さんが好きで、折に触れて気になる本を買い集めていたのですが、今回並べてみて、こんなに持ってたんだ、と改めて思いました。


谷川俊太郎は1931年(昭和6年)東京都杉並区に生れました。父は哲学者で法政大学総長、母は衆議院議長の娘。1952年21歳の時、詩集「20億光年の孤独」でデビュー。父の友人であった詩人の三好達治に創作ノートを見せたのがきっかけでした。それ以降、詩作のみならず、歌の作詞、脚本やエッセイ、評論活動も行いながら絵本も作り翻訳も手掛けて、まさに現役で活躍し続けた人生でした。

(鉄腕アトムの歌が谷川俊太郎の詩だって知ってましたか?)


自身は3度の結婚をしています。1度目は詩人の岸田襟子さんと、これは1年ほど。2度目は女優だった大久保知子さんと、これは30年以上の期間に及び、お子さん(谷川憲作)も生まれました。後年、憲作さんは音楽家となり、俊太郎さんの詩との共演活動を行っています。3度目の結婚は1990年に絵本作家の佐野洋子さんと。あの有名な「100万回生きたねこ」の作者です。結婚生活は6年ほどで解消されましたが、佐野洋子さんの息子広瀬玄さんと谷川さんの交流は離婚後も続きました。というか谷川さんの言葉と広瀬さんの絵で出てる本が何冊も有ります。

恋多き人生、自分に正直だったのでしょう。それに選ぶ相手がさもありなんという方ばかり、やっぱりちがいますね。


詩以外の谷川俊太郎さんの仕事でまず浮かぶのは「PEANUTS」の翻訳。1969年から2020年まで、50年も。本人はあまり好きではなかったけど、他人の訳を見ると腹立たしくなったり、紆余曲折しながら続けたそうです。


マザーグースの翻訳も手掛けました。わかりやすくて、リズミカル、いかにも訳しましたって感じは全然ない。他の人の翻訳と読み比べてみてもおもしろいです。

マザーグースから生まれた「ゆくゆくあるいてゆくとちゅう」という絵本があります。エチエンヌ‣ドゥルセール作、谷川俊太郎訳、1989年。不思議な本です。

ジョン・バーニンガム作「ALDO わたしだけのひみつのともだち」も人には見えないともだちとの不思議な関係を描いた絵本。1991年。短いことばはおてのもの。


翻訳絵本も有名なのがたくさん。

レオ・レオニ「スイミー 小さなかしこいさかなのはなし」1963年、日本では1969年に谷川俊太郎訳で出版。ロングセラーです。小学校の教科書にも載っています。

ひとりだけ黑いスイミーはおそろしいまぐろに仲間を食べられてひとりぼっち。でも素敵な生き物たちに出会って元気を取り戻し、小さな赤い魚たちが大きな魚のふりをして泳ぐことを考えつき、自分はその中の目になって、おおきなさかなを追い払うことに成功します。

集団は苦手という谷川さんは、みんなで力を合わせて大きなさかなを追い出すことに感情移入はしないけれど、スイミーが目になるというアイデアがおもしろいと言っています。

レオ・レオニの絵本でもう一つ、「フレデリック~ちょっとかわったねずみのはなし」。フレデリックは寒く暗い冬の日のために、おひさまのひかり、いろ、そしてことばを集めます。冬になってそれがどう役に立ったか、読んでみてください。

谷川さんがレオ・レオニの絵本を翻訳するとき、一番大切にしたのが視覚的な美しさ、レイアウトを損なわないように心掛けたそうです。

「ことば」なのに「絵」が優先、ちょっとびっくりします。


谷川さんは小さな子供向けの本から大人のための絵本と言ってもいいような本まで、多彩な絵本を翻訳しています。大人向けなら、例えば「悲しい本」マイケル・ローゼン作、クェンティン・ブレイク絵、谷川俊太郎訳。2004年。

その中から。『悲しみがとても大きい時がある。どこもかしこも悲しい。からだじゅうが悲しい。』


マーシャ・ブラウンの「目であるく、かたちをきく、さわってみる。」2011年。言葉と写真はマーシャなのに、まるで谷川さんが書いているような。

『みること それは 目で あるくこと あたらしい せかいへと。ゆっくり あるこう こころを いろんなものに ぶつけながら いろんなものに くすぐらせながら。』


谷川俊太郎が言葉を書いて誰かが絵を描いて作った本も多数あります。真っ先にあげられるのが「もこもこ」絵は元永定正。(実はこの本は持ってない、読み聞かせでやってことはあるのだけれど。)「もこ」「にょき」「ぱちん」「ぽろり」谷川さんの奇妙な言葉が並びます。これがなぜか、ちいさな子供たちに大うけです。今思ったのだけれど、ミロコマチコさんと似てる、あそうか、彼女が谷川さんの影響を受けてるのか。


谷川俊太郎さん、そうそうたる作家たちとコラボしています。長新太とは「わたし」「あなた」「めのまどあけろ」「にゅるぺろりん」とか、たくさんの絵本を作っています。和田誠とは「これはのみのぴこ」「ともだち」「いちねんせい」「がいこつ」…。安野光雅もあったり、どれだけ本出してるんだって感じです。


詩画集もたくさんあります。詩やことばに絵や写真を組み合わせて一つの世界を作り出す、とても素敵な本がいっぱい。私の大好きなジャンルで、気が付けばそれなりの数持っていました。

一番好きなのは「青は遠い色」1996年、絵は堀本恵美子。言葉は谷川俊太郎の詩からの抜粋。例えばこのページ、デビュー作の詩集「二十億光年の孤独」から『万有引力とは 引き合う孤独の力である 宇宙は歪んでいる それ故 みんなは もとめ合う』という一節に、青を基調とした絵が添えられています。(3つ下にこの本の表紙の写真あり)


クレーの絵に言葉を添えた2冊もとても好きです。「クレーの絵本」1995年と「クレーの天使」2000年。アート&ポエム、響き合う絵と言葉の贈り物というコンセプトでクレーの絵に谷川俊太郎が言葉を書下ろした本。時折手にとって眺め、詩を読む、ものすごく豊かな気持ちになれます。


「クレーの絵本」より。

≪黄金の魚≫という絵に添えられた詩から。

『いのちはいのちをいけにえとして ひかりかがやく しあわせはふしあわせをやしないとして はなひらく どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない』


「クレーの天使」より。≪天使、まだ手探りしている≫に添えられた詩から。

『わたしのこころにごみがたまっている でもそこにもてんしがかくれている つばさをたたんで…わたしにもみえないわたしのてんし いつかだれかがみつけてくれるだろうか』


写真集に詩を添えた「あさ」「ゆう」。2004年。写真は吉村和敏。

「ゆう」の中の「祈り」という詩の後半部分を。

『人々の祈りの部分がもっとつよくあるように 人々が地球のさびしさをもっとひしひし感じるように ねむりの前に僕は祈ろう 1つの大きな主張が 無限の時の突端に始まり 今もなお続いている そして 一つの小さな祈りは 暗くて巨きな時の中に かすかながらもしっかり燃え続けようと 今 炎をあげる』


この詩の前半部分で谷川さんはこう言っています。『(ああ 傲慢すぎる ホモ・サピエンス傲慢すぎる)』…まさにその通り!


2006年の小さな詩集「すこやかに おだやかに しなやかに」は、谷川俊太郎さんの一つの到達点のようなもの。シンプルに、人が生きること、どうあるべきかということが語られています。この詩集は、原始仏典「ダンマパダ」の英訳を基底にして、共感するところを自由に日本語にしたものです、と谷川俊太郎は述べています。


最初の詩「こころの色」より。

『私がなにを思ってきたか それがいまのわたしをつくっている あなたがなにを考えてきたか それがいまのあなたそのもの 世界はみんなのこころで決まる 世界はみんなのこころで変わる』

「すこやかに」より。

『生きるのは喜び 生きるのは愛 憎み憎まれる 人々のあいだに生きても すこやかに生きよう たとえ苦しみのうちにあっても』


「おだやかに」より。

『怒りが閉ざす こころを閉ざす うぬぼれがしばる こころをしばる おだやかにあれ こころよ のびやかに しなやかに はれやかに』

「もっと向こうへ」より。『世界をありのままに見るために 目覚めよう 間違った夢から この世界のもっと向こうへと続く道がある 喜びとともにその道をたどろう』


到達点?いえいえ、まだまだ先がありました。

谷川俊太郎は死ぬまで詩人でありました。


辞世のともいうべき詩

『目が覚める 庭の紅葉が見える 昨日を思い出す まだ生きているんだ 今日は昨日のつづき だけでいいと思う 何かをする気はない どこも痛くない 痒くもないのに感謝 いったい誰に? 神に? 世界に?宇宙に? 分からないが 感謝の念だけは残る 』


(最後の詩集「ベージュ」死後に出版。ベージュは米寿でもある。)


最後に。

「あなたに(三つのイメージ)」という詩の一節を。

谷川俊太郎の出身校である都立豊多摩高校で、1968年に卒業生の求めに応じて書かれ、現在に至るまで毎年卒業式で読み継がれているものです。「魂のいちばんおいしいところ」という詩集に収録されています。

(実は私は豊多摩高校のお隣の杉並高校の出身、当時は学校群制度で振り分けられるシステム、本当は豊多摩に行きたかった私にはなんだか近しく感じられます。)


3つのイメージ(火と水と人間)の人間の部分から最後にかけて。


  人間は一瞬であり 

  永遠であり 

  人間は生き 

  人間は心の奥底で愛し続ける

  ーあなたに 

  そのような人間のイメージを贈る  


  あなたに 

  火と水と人間の 

  矛盾にみちた未来のイメージを贈る 

  あなたに答えは送らない 

  あなたに ひとつの問いかけを贈る


旅立ちの季節です。(2025年3月29日 水野佳)















十和田市現代美術館 

  ずーっと行きたかった十和田市現代美術館へ行ってきました! とてもとてもおもしろくて、感動的で素晴らしい体験でした。 外房線太東駅から東京駅へ、東北新幹線で七戸十和田駅で降り、そこからバスで十和田市へ。5時間ちょっとの道のり。バスの本数もなくてネットで調べて、これしかないってい...