2021年10月29日金曜日

コーヒーバッグの実験中  

 ティーバッグ型のコーヒーって知ってますか?


ドリップバッグではありません。ティーバッグみたいにお湯に浸すだけでできるコーヒーです。

最近よく聞くようになりました。


コーヒー屋さんが独自で作っているものの他、カルディーや無印良品でも、大手からも、キーコーヒーやUCC、ジョージアのコーヒーバッグ、ネスカフェのディップスタイルなど、いろいろ出ていて、ハンドドリップと遜色ないと書かれています。



いったいどんなんだろう??

興味深々、ちょっと実験してみよう、

ということになりました。


ネットで検索すると、いい記事が見つかり、使う道具や挽き方、淹れ方を細かく

書いてくれてあったので、それに従ってやってみます。

肝心なのは、ドリップバッグと比べてどうなのか、ということ。

ドリップバッグとテーバッグコーヒーを並べて淹れて飲んでみましょう。

使う袋は、うちで水出しコーヒー用に使っているのの小さいサイズのやつ

(これはサンプルでもらったものですが、ネットの記事の人も同じメーカーの

コーヒー専用袋を使っていたました)、それに一般のお茶パックの袋を加えて

3種類。中身は10gで同じ、でもティーバッグの方はドリップバッグよりは

少し粗めに挽きました。

淹れ方は、諸説ありますが、とりあえず松屋式風で。

粉をちょっと湿らせておいてからお湯を入れます。出来上がりを180㏄にして、

テーバッグを10回振り、3分おいて、また10回振って取り出します。ドリップ

バッグの方は湿らせて3分経ったらゆっくりとお湯を注いで180㏄になるように

ドリップしました。

ドリップバッグでもそうするとおいしく入れられますよ。

最初に入れる少量のお湯は同じに、約10㏄にしました。



3つのカップを並べて飲んでみると、びっくり、ほぼ変わらない!

むしろティーバッグの方がおいしいかも。なんで???

ポイントは油分、ドリップバッグより油分が多く出て、それがまろやかさを

醸すようです。

これ、やってみたらいいかも、って思いました。

湿らせてから置く時間、お湯につける時間や振り方で、濃くも薄くも

できそうです。(ネスレのディップスタイルでは、お湯に90秒浸して

振らないことを推奨しています。)

お湯さえあればいいし、失敗もない。後の処理もカンタン。

いいことづくめ、これで味が問題ないとなれば、GO です。

東ティモールのコーヒーでテーバッグ型のを作って販売してみようかという

ことになり、さらなる実験を重ねることにしました。


ちなみに、水出しコーヒー用の袋とお茶パックは、味はあまり変わらない

のですが、そこに溜まる微粉の量が全然違う、お茶パックは粉がいっぱい

沈んでる。やっぱりコーヒー用のでやらないとだめみたいです。

値段はずいぶん高いんだけれど、仕方ないです。


沈んでる。やっぱりコーヒー用のでやらないとだめみたいです。

値段はずいぶん高いんだけれど、仕方ないです。


コーヒーそのものもさることながら、何かいい名前はないかと考え中。

ティーバッグコーヒーっていうのも変だし、インスタントコーヒーじゃないし‥。

いくつか候補があるのでお楽しみに。近いうちに試作品作ります。



余談ですが、インスタントコーヒーって何だか知ってますか?言葉としては、インスタント=すぐできる、ですが、コーヒーの分類ではちゃんと決まりがあります。インスタントコーヒーは、コーヒー抽出液を乾燥させて粉末にしたもので、コーヒー豆をたとえどんなに小さいかけらでも含んでいたらインスタントコーヒー・レギュラーコーヒー入りと表示しなくてはいけないそうです。ネスレが、、レギュラーコーヒーでもなくインスタントコーヒーでもない新ジャンルとしてレギュラーソリュブル(水溶性という意味)コーヒーという名前で、微粉砕した豆と抽出液を混ぜたものを乾燥させて売ろうとしたら、認めらなくて、そのことがきっかけで、ネスレは全日本コーヒー協会を脱退したそうです。だから、ネスレ製品は、日本で唯一コーヒー協会のマークがラベルに入っていないのだそう、全然知りませんでした。その延長線上に、ネスカフェ香味焙煎・ディップスタイルは位置しているようです。


さて、日本では新しい(?)豆をお湯に浸すだけのコーヒーですが、コーヒーの生産地では昔からある飲み方です。生産地では、豆を直火で煎ってお湯を入れ上澄みを飲むというのが普通。東ティモールでも、今でもそうやって飲んでいるようです。

浸けとくのは、浸漬法(しんしほう)というのですが、ドリップバッグを使って浸漬法をやるやり方もあるようです。サーバーにお湯を入れてドリップバッグの粉を出して撹拌し2分待って、空になったドリップバッグをカップにセットしてそこにコーヒー液を注ぐ、つまりそれで濾す、そうすると格段においしくなる、とありました。えー、そうなの?今まで、ドリップバッグはお湯につかっちゃいけないと思って持ち上げたりしてたのに、浸けちゃった方がいいなんて、これにもびっくりです。コーヒー、深いですね。まだまだ知らないことがいっぱいありそうです。


ところで、世界のコーヒー状況は、値上がり傾向。原因は、コロナの影響で、家庭消費の需要の高まりに、船やコンテナの不足による輸送の困難、更には世界のコーヒー生産の40%を占めるブラジルでの天候不順、コロンビアでの税制改革への講義による道路封鎖、など多様な要因によってコーヒー相場は高騰しています。日本でもこの秋から、味の素、上島珈琲、キーコーヒーなど大手各社が値上げしました。温暖化の問題、コーヒー農家の減少、コーヒーの木の老朽化、問題は山積しています。毎日美味しいコーヒーが飲める日常は、いつまで続けられるのか、ちょっと心許ない状況です。


そんな中ですが、今年の東ティモールのコーヒーの収穫状況は好調だそうです。よかった!

私たちがお世話になっているCOCAMAUとパルシックは、コーヒー畑の改善事業に取り組んでいます。1980年代に植えられて老朽化した木の植え替え、土壌改良、木の手入れが進められてられています。大切なことですね。



今年の春、東ティモールは大規模な豪雨災害に見舞われました。

首都ディリで大雨で川が氾濫し、広範囲で浸水。

パルシックの現地事務所も、被災者の支援に活躍しました。

その大雨災害、ハーブティーの入荷に影響しました。

4月に輸出される予定だったハーブティーですが、乾燥工程が思うように

進まず、やっとディりに届いたのが7月、それなのに通関手続きをする

役所が突然お休みになり、7月の船には載せられず。

やっと8月に出航したら、コロナの感染症対策とスエズ運河の座礁事故の影響で

アジアの海上輸送に大幅な遅れが生じていて、シンガポールから上海経由で

横浜へ、10月になっていました。

私も、入荷したと聞いて、早速注文しました。

ちょうど在庫がほとんど亡くなっていたタイミングでした。


これはハーブティーの話ですが、コーヒーも輸送の影響はあるかもしれません。

世界のコーヒー相場に比較的関係ないとはいえ、輸送状況や天候の影響は

いつだって起こりえます。

コーヒーだけじゃなく、いつ普通に輸入されていたものが入ってこなくなるか

わからない。

今回のコロナで分かったことは、どこだって自分の国がまず優先されると

いうこと、他所の国のことは後回し。怖いことです。

日本の食料自給率を考えると、絶望的です。何とかしなくては、と思います。

当たり前のように手に入るものと思っていたもの、それは当り前じゃない、

肝に命じておきましょう。

(2021年10月29日 佳)



2021年9月24日金曜日

「夜の木」とタラブックス

念願の「夜の木」、入手しました!

とてもうれしい!

インドの小さな出版社、タラブックスのハンドメイドの絵本です。麻や綿の古布から手漉きで作られた紙に、手作業によるシルクスクリーン印刷し、手製本、すべて手で作られています。

インクのにおいに土のにおいが混じったような、独特のにおいがあります。分厚い紙の手触りは、ざらついていてでもふわふわしているような、心地よい触感。

私の手元に届いたものは、1746 / 3000 です。


ページをめくると幻想的な木々が描かれています。インドのゴント族の3人のアーティストによる美しく、かつ独創的な絵です。添えられている言葉は、長いのも短いのもあります。神話や民話を下敷きにして、木々に宿る精霊を描いています。宿る、というより、木そのものが聖なる存在であったり、神の化身として描かれたり、かなり自由です。木の枝が蛇だったり、木の実が小鳥だったり、孔雀になって真っ赤に燃え上がったり。また、ユーモラスなお話あり、不思議なお話あり。ずーっと眺めていたい、想像の世界で遊んでいたい、と思わせてくれる本です。

「夜の木」の存在は知ってはいたのですが、本気で欲しいと思ったのは、2月にミティラー美術館展でゴント画を見てからです。会場の一部にゴント画のコーナーがあって、「虎は虎に見えない、面白い」なんてブログに書いたのですが、インドアートをネットで検索していて「夜の木」についての記事を読み、超有名になっていることを知りました。某テレビ局の“セカほし“という番組で取り上げられてブームになったようです。(その時のテーマは紙だったみたいですが) ネットで探してみると、まったくない、どこを見ても売り切れ。アマゾンやメルカリでは軒並み1万円を超える値段がついている。そういう買い方はしたくないので、しばらく待つことにしました。

代わりに、タラブックスの別の手作り絵本はないかなと思って見たら、ありました。それが「インドのけもの」という本です。子ども向けの動物図鑑みたいなもの。
もともと、タラブックスは、子どもに読ませたい本がインドにはないということで始まった出版社です。絵本という表現形態は、インドでは一般的でなく、今でも絵本ってどうやって読むの?という大人がいるそうです。
いろんな動物がでてきますが…実際とはだいぶ違うものもけっこうある、図鑑じゃないですね。でも子供の想像力を育むには、こっちの方がいいかも。とっても面白いです。

この"とら"、私がミティラー美術館展で見たのと近いかな。"しか"の角が木になっていたり、画面いっぱいにクネクネ書かれたながーい"へび"に目が10こあったり、"ありくい"は宮西達也の狼を彷彿とさせるし、"いぬ"なんて全然犬に見えない。おもしろいです。

この時、一緒に買ったのがこの本です。
「タラブック インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる」

タラとはサンスクリット語で星。1995年に、2人の女性によってに作られました。その年、フランクフルトの絵本市で、オフセット印刷が間に合わなくて、シルクスクリーンで手刷りしてもらった2ページのサンプルを持っていき、それをカナダの出版社が8000部注文すると言ったことが、タラブックスのハンドメイド絵本の始まり、偶然の産物でした。

タラブックスの本作りは独特。トライバルアート(少数民族のアート)を取り入れ、作家と対話しながら本を作り上げていく。大切にしているのは、価値観や主張と本の美しさのバランス。そしてスモールビジネスであり続けること。そうすれば全員とコミュニケーションをとることができる。今、人はせっかちだけれど、在庫がなければ待ってくださいと伝え、私たちはゆっくりやっているということを理解してもらう、と言います。このあたりのことは、カンタ!ティモールの広田奈津子監督の話したダンパーの話に通じるものがあります。とても興味深い本です。
(この本が出版された2017年の時点で、タラブックスのビルの中で働いている人は17人、印刷工房などもあり、40の家族に対する責任を負っていると代表ギータは述べています)
この本を読んだから「夜の木」は次刷を待とうと思ったのかもしれません。

日本で「夜の木」を取り扱っているのは、タムラ堂という吉祥寺にある小さな出版社です。ボローニャのチルドレンズブックフェアで「夜の木」と出会い、魅せられて、当時勤めていた出版社をやめて小さな出版社を起ち上げ、そこで出版することになりました。インドで出版されてから5年後でした。初めてタラブックスを訪ねたときは、作家が滞在するゲストルームがあり、イベントやワークショップをやっていたりして、出版社というより活動体という感じだったと言います。
良いですねぇ。

タムラ堂のFBをフォローしていたら、「太陽と月」第3刷が4月に出るというお知らせがありました。それで先にそっちを買うことにしました。タムラ堂は卸で直接は買えないことがわかり、ネットで検索。扱っているのは少数の個性的な本屋さん、その中から、ひときわ変わった本を扱っている書店を選んで予約し、入手しました。10人のアーティストによるインド民族の物語、という副題がついていて、見開き2ページに片っぽが太陽、反対側が月、言葉は少しだけ添えられている。もちろんハンドメイドで、すごく素敵です。時々手に取り、手触りを楽しみ、ページを繰ってそれぞれ個性的な太陽と月を眺めています。

そんな経緯があって、ついにタムラ堂から「夜の木」第10刷の発売予告。当初夏にという話でしたが、コロナ禍で遅れが。5月にインドの感染爆発、ロックダウンとなり、製本工房のスタッフにも感染者が出て工場閉鎖になり、工房責任者から作業の遅れの謝罪の連絡があったといいます。そんな中でも、工房で共同生活をしながら製作を続けてくれて、7月の末に見本版が届き、9月末に発売できそうとのこと。それを読んで、「太陽と月」を買った出版社のHPを見ると、予約受付中。予約して9月20日に手元に届きました。
待つというこで、喜びが大きくなったような気がします。「太陽と月」ではそれほど感じられなかったにおい、「夜の木」の特別感を増しています。
タラブックスの皆さんに感謝。大切にします!

最後に…

9月18日、茂原のアスモ劇場でのアコースティックナイト・水野たかしライブ。
本気のライブ1年以上ぶりでした。
私もコーラスと手話でちょっとだけ参加しました。

(写真はアスモ劇場支配人・木下明彦氏のFacebookより))

この日のライブ、私が言うのも何ですが、すごくよかった!!
水野たかしの歌、やっぱりいいなあ、としみじみ思いました。

コロナ禍、もう1年半を超えました。ライブ・イベントままならず、上映会ですらライブをつけられない状況、早く終わってほしものです。
みなさんどうぞお元気で、心置きなく集える時を待ちましょう。(2021年9月24日 佳)







2021年8月22日日曜日

夏のサイフォンコーヒー

 

暑くなって、台風も来たり、風が強かったり、一転して涼しくなって雨続き、そしてまた暑くなって、と変な夏ですね。

炎の雫のコーヒーの基本は松屋式、雑味がなく、すっきりしていておいしいから、カフェでは松屋式で淹れています。でも、今はカフェはお休み中。いろんなコーヒーの点て方を楽しんでいます。ペーパードリップ、ネルドリップ、金属フィルター、フレンチプレスにエアロプレス、水出し…いろいろあります。
中でも、この夏はまっているのがサイフォンです。

ことの発端は、以前から時々使っていたコーノのサイフォンのロート(上の細長い筒状のガラス部分)を私が割ってしまったこと。ずーっと前に友達からもらったもので、ごくたまーに使っていましたが、しばらくご無沙汰。それが最近夫がサイフォンをよく使うようになって、そんな時に割っちゃいました。やばい!と思って慌てて検索。相当古いので買い替えるしかないかと思いながら探すと、さすがコーノ、ロートだけでも買えることがわかりました。(すぐには見つからなくて、コーノの部品を多く扱っているコーヒー屋さんのホームページで見つけました)見つかったのでほっとして、そこでヤフオクにもないかなと思いつき、見てみることにしました。

ヤフオク、サイフォンいっぱい出てました。コーノだと古いものでビンテージ価格のが多い。ロートも少しあったけど、うちのより大きいサイズばかり。ところが、知らないメーカーのサイフォンだとすごく安いのがあります。見てるとハリオでも安いのがあります。それだったらハリオのサイフォン、ヤフオクやってみる?ということになりました。この前久しぶりにヤフオクでプロジェクター落としたからその勢いもあってトライ。新品の古いサイフォン(上の部分が丸いもの、最近のはハリオもコーノみたいに細長い)を2600円で落札しました。最後5分くらいで2500円になって、ちょっとドキドキしながら2600円をつけたらそれで落札に、オークションの醍醐味ちょっとだけ味わいました。

サイフォンの使い方です。
2つのサイフォン並べてコーヒーを淹れてみました。
上のロートにコーヒーの粉を入れ、水を入れた下のフラスコに少し傾けてセットします。粉は中挽きのちょっと粗め、水はこのサイズ(3杯用)の場合は300cc。アルコールランプの火を底に当てて水を温め、沸騰してきたらロートを真っすぐに立ててちゃんと差し込みます。


沸騰した水は上に上がっていきます。完全に水が上がり切ったら、竹べらでちょっと混ぜます。ここがサイフォ二ストの腕の見せ所らしい。混ぜる時間、強さ、方向、回数、などなど諸説あり。うちの夫は30秒とか言ってます。
写真では、ほぼ同時にスタートしたのに、水が上がるのにかかる時間にずれがある。ロートの形のせいでしょうか、それともガラスの厚みのせい?
混ぜたら一定時間置いて(1分くらいと言われています)アルコールランプを外します。
すると、今度は上のロートにあるコーヒーが、下のフラスコに落ちていきます。この時ぶくぶくと泡立ちながらゴボゴボと音がします。
なんかすっごく面白いです。科学の実験みたい。
先日、初めてサイフォンでコーヒー淹れるのを見たという若い男性は、いたく心を奪われた様子で、サイフォン買おうかなと言ってました。

出来上がったコーヒー。
サイフォンの特徴は、香りと熱さです。
部屋中にいい香りが漂います。これはハンドドリップなんかとは全然違う、圧倒的に「コーヒーだぁ」という匂いです。そして温度、ハンドドリップで淹れたのより10℃近く高い。熱~いコーヒーが飲みたい方には絶対お勧めです。夏なのに熱いコーヒーというのもなんですが、暑い時に熱い飲み物もありですよ。

サイフォンは19世紀の初め頃、ヨーロッパで開発されたました。日本では、1925年(大正14年)にコーノの初代社镸がガラス製コーヒー器具・河野式サイフォンを考案し販売開始。(ちなみにコーノの正式社名は珈琲サイフォン株式会社です。余談ですが、円錐型のペーパーフィルターを考えたのはコーノの2代目社長だそう。)
蒸気圧を利用してお湯を押し上げ、高い温度で抽出します。アルコールランプの炎が幻想的で見ても楽しめるし、分量と手順を守れば、ほぼ同じ味が再現できます。ただし濾過布はネルなのでネルドリップに近い。ということは、その扱いがめんどくさい。金属フィルターから取り外して水で洗い、ふた付き容器に入れて冷蔵庫で保管、その水も取り換えなくちゃならないのです。
ロートに残ったコーヒーの粉を捨てて洗うのも手間です。これは圧倒的に細長い方が楽、丸いのは洗いにくい、だからハリオのも今は細長くなってるのかなと思いました。

うちではサイフォンコーヒーブームですが、一部の巷では水出しコーヒーブーム。
炎の雫の水出しコーヒー、今年リニューアルして、1袋50g入り300円にしたところ、なぜか水出しにはまる人が続出しています。東ティモールコーヒーの深煎りをごく細かく挽いてパックに。それを一晩水につけて冷蔵庫に入れておくだけ。それで本格的かつすっきりしたおいしさが受けたのか、このところ水出しの注文が日々入っています。写真はベイスに出した新商品、水出し8パック入り・送料込み2600円(1袋2個×4袋、クリックポストでの発送ークリックポストに入るだけ入れて送ってという方がいて、やってみたら8個入ったので)

水出しコーヒー、おいしく作るにはコツがあります。最初にごく少量の水でパックを湿らせてちょっと突っつくこと。それだけで全然違うんです。不思議ですね。
水出しはアイスコーヒーではなく、温めてホットにしてもOK。亀有のとある自家焙煎珈琲店では、水出しもやっているのですが、温めてホットコーヒーのみで出していました。そんなところもあるくらい。でも私はアイスで飲みたい。
炎の雫の水出し、まだの方はぜひ試してみた下さい。
いすみ市では、コロナの感染が収まりません。
オリンピックのサーフィン期間中はカフェお休みとしましたが、そのままお休みを続けています。先が見えず、気分も落ちがちですが、日々の生活は楽しくありたいものです。
みなさま、体調に気をつけて、元気でいましょうね。(2021年8月22日 佳)





2021年7月16日金曜日

上映会と広田奈津子監督リモート出演


7月10日、11日の2日間、「カンタ!ティモール」の上映会を開催しました。

2019年の12月以来、1年7か月ぶりです。

昨年は一度も上映会を開けませんでした。さすがにそろそろ映画なら人数を減らせばいいかなと思い始めたころ、とある方がカンタティモールを見たいと言ってくださり、限定8席として今回の上映会に至りました。

2日目の日曜日、映画上映後、広田奈津子監督とリモートで繋ぎ、お話を伺うことができました。

その内容をご報告します。


広田奈津子監督は、いつもながらのやさしい笑顔、相変わらずのゆったりとした語り口で、なんだかほっとします。

初めに少しメッセージをとお願いすると、映画の成り立ちを話してくれました。初めて東ティモールに行ったのは独立祝賀式典の3日前だったこと、東ティモールの人たちとの関わり、アレックスのこと。彼が亡くなって初めて彼の生い立ちを知ったそうです。小さい時に目の前でお父さんが見せしめのような形で殺されたこと、小さなコミュニティーを守るために医学が必要と思い学んでいたこと、その志を継いでアレックスのお嬢さんは今医学を学ぼうとしていること、奥さんは独立運動の同志だった女性で、残された6人の子供を育てていること、映画をつくるうえでアレックスはスタッフ側としても様々な役割を果たしてくれたこと。彼の突然の死について、昔拷問や電気ショックを受けた人は心臓にダメージが残るのか急に亡くなることがあり、そういう人を何人か知っているとのことでした。

それから質疑応答に入りました。まず、とある男性が立ち、映画を見るまで日本の関わりを全然知らなくてショックだった、監督から見て今の日本はどう見えるのか、と問いました。彼女はミヤンマーのことを例に、日本政府や企業の名前をあげて、東ティモールの時と何も変わっていない、学んでいないことが残念と答えました。

それからダンバー数(霊長類の脳から群れの規模がわかる)の話に。人間に適した群れの規模は150人。それを超えると意思疎通が難しくなり、規則や強制的なノルマが必要になる。近代国家は大きすぎる、代表者を中央に送り込んで政治を任せてしまうやり方は理に合わないのでは。東ティモールでもそうだが伝統社会では、小さな村の単位で暮らし、全員が参加して話し合う。時間はかかるけれど、間違いが起こりにくい。また、他者と自分をはっきり区別する文化がない。あなたという言葉は、同時に私たちをも表す。これらは日本の古いやり方にも通ずる。そうした文化圏では、自分の意見を固める、論破する、選挙戦など、苦手だと思う。だから民衆が政治に参加しない。代表民主主義もうまくいかないのかも。どの国を見ても政治に腐敗がある。根本的なところを変えなくちゃいけないと考える。と語ってくれました。

ティモールの村の中で生活していると、左脳が休んでいる気がするそう。ぼんやりとした心地よさに包まれ、自他の境界が曖昧になる。家族を殺した相手でも人として扱い対話がされたのは、命が繋がっている感覚がベースにあるからではないか。

日本人として、かつて侵略した東ティモールに行くということはどうだったのか、と問われると、初めは怖かった、石を投げられるんじゃないかと思ったが、ティモールで出会う人はみんな優しかった、なぜ?と聞くと、ティモールには国と人をごっちゃにして考える人は誰もいないと言われたとのこと。

若い女性が(当時の奈津子さんと同年齢の)、25歳という若さでどうして東ティモールに行こうと思ったのかと問いました。奈津子さんは、こんな答えを返しました。自分が生まれたのは愛知県の田舎で、自然の中で育った、宅地造成で自然が壊されていくのを見て、子ども心にとても悲しかった。(その場所につい最近名古屋初のコストコができたそうです)大学の時、ネイティブインディアンの絵本(「父は空母は大地」)に出会う。大地を母と思っている人たちがいることを知り嬉しくなってカナダへ。それから旅をした。内定していた就職を断り、今に至る。東ティモール独立のことはハワイで聞いてお祝いに行って、そこでアレックスと出会ったと。

他の参加者も自分が感じたことを発言してくださいました。今、自分に何ができるのか強く問われていると感じた人、自分の足元から生活の中でできることからやっていこうと思った人、それぞれが自分の中に何かを取り込み、持って帰って考える、そんな上映会になったこと、本当にうれしく思います。

今回の上映会の主催者の男性が、上映会のきっかけは私(水野佳)が作ったコーヒー麻袋のバッグであったと言い、映画の風景が睦沢の風景と重なる、縁がある気がする、と述べました。すると、奈津子さんは、あるお坊さんに聞いた話として、縁起という言葉を出しました。我(われ)はない、あるのは縁のみ。すべてが縁で成り立っていると世界を見れば自他の境目もなくそこに慈悲があるそう。深い話になってきましたが、コロナ禍であまり長くもできないので、ここらで終了としました。


カンタティモール関連グッズを並べたのも久しぶりです。サウンドトラックCDと水野たかしのアレックスに捧げるCD「Spirit」」、南風島渉さんの本「いつかロロサエの森で」、東ティモールのコーヒーとハーブティー、見ていただくためのカンタフェスタのパンフレットと監督のお兄様撮影のティモールの子供たちの写真にアレックス募金の箱。なんだか懐かしい。買ってくださる方も、募金してくれる方も多数、うれしい限りです。


さて、もう1点。
実は土曜日の方の上映会で気になる質問がありました。この日はリモートはなし、いつもの上映会のように、感想を聞いたり、私たちが知っていることはお答えする方式。
そこで聞かれたのは、東ティモールの独立を援助した国があるのではないか、それはどこかという質問でした。そのような視点で見た人は今までいなかったので、ちょっとびっくりしました。その点について、南風島渉さんに尋ねてみました。

答えを端的に言ってしまうと、そんな国はどこもないということでした。軍事的、物理的援助ということであれば、アメリカをはじめ西側諸国がインドネシアを軍事的・政治的に支援したのに対して、共産主義陣営が東ティモールを支援したのではと考えるかもしれないが、ソ連も中国もキューバも、また当時東ティモールの宗主国だったポルトガルも、軍事的に援助を行ったという事実は一切確認されていないとのこと。一方で、東ティモールの窮状を見かねた各国の一般市民がわずかな資金を持ち寄って、独立運動を細々と支えていたという事実があるとのこと。そう聞いて、本当に東ティモールの人たちは志高く長い年月を戦いぬいた素晴らしい人たちなのだと、改めて認識しました。

南風島さんからは丁寧なお返事をいただきました。その一部です。
「戦争をおわらせて平和に暮らすこと、そのために国際法に則って独立を獲得することは、人間として自然な考えだと思います。加えて1990年代半ば以降、シャナナをはじめ東ティモールの指導者たちのあいだでは、かなり明確な国造りのビジョンが共有されていたのも事実です。それがどういうビジョンであったのかは、独立後20年が経とうとしている現在の東ティモールを見ればある程度知り得るのではないかと思います。」
「東ティモールの独立運動を間近で見た者の一人として断言できるのは、たとえ誰かが筋書きを書いていたとしてもこれほど劇的な歴史の展開を演出することは不可能であること、そして歴史の一コマ一コマがどれほど奇跡的に動いていったのかという事実はすべて記録としてつまびらかに公開されすでに明らかになっていること、そして誤解を恐れずに言えば、人間ひとりひとりの行動によって紡がれる世界は、巷に跋扈する「陰謀論」(背景に筋書きを書いている誰かがいるのではないか)などよりもはるかにダイナミックで、ドラマチックであり、奇跡的で、可能性に満ち溢れているのだ、ということでしょうか。」
南風島さんはいつも真摯に対応してくださいます。感謝です。

私の個人的感想を少しだけ。
カンタティモール、50回くらいは見ている私ですが、今回観て、改めて、とても新鮮で感動しました。見るたびに新しい発見があり、考えるべきポイントが見つかります。すごい映画だなあと思います。
今の私に響いたのは、ラスト近くの回想シーンにかぶさるシャナナの言葉。
「自由を手にしているのに発言すらしない」
お前は何をしているのかと問われ、お前はどうするのかと突きつけられました。自分の中でどう消化していくのか、それを何につなげていくのか、取り組まなければならないと強く思いました。(2021年7月16日 佳)


 

2021年6月26日土曜日

いすみ自転車ツアー


 梅雨に入りましたね。雨が降る日もあるけれど、とてもいいお天気の日もまたあります。

梅雨入りの次の日もそんなお天気。せっかくだからと自転車ツアーに出かけました。

目的地は高秀牧場。いすみに住んでまる6年なのに行ったことありませんでした。



車の通らない裏道を探しながら行くと、これがまたいい感じ、こんなとこ通れるの?通っていいの?なんて言いながら、ほとんど山道と言っていいような道を上っていきました。

たどり着いた高秀牧場。ミルク工房とチーズ工房が並んでいますが、チーズの方は見学予約制です。実は、5月に「食菜の王国」というテレビ番組で取り上げられたらしく、この日も平日だというのにひっきりなしに車が入ってきます。

ほとんどの人がジェラート食べてさっと立ち去っていきます。私たちはちょっとのんびり。屋外席で少し早いランチタイム。

マルゲリータとキッシュ、高秀牧場で作られたチーズやミルクが使われています。ドリンクは、せっかくだから私は牛乳、夫はコーヒー、大多喜のハグさんのコーヒーだそうです。木漏れ日を浴びながらいただきました。
う~ん、のどか。


屋外席から厩舎が見えます。
牛たちが出たり入ったり。
寝てる牛もいます。

彼らがミルクを作ってくれるんだと思いながら眺めていたら、デザートも欲しくなって、ジェラートも食べちゃいました。

美味しかった!



高秀牧場から国吉方面に向かおうと走っていたら、何やら立派そうなお寺を見つけました。行元寺、ここって波の伊八があるとこだ、寄ってみようと坂道を登っていくと、素敵なお寺がありました。
残念ながら建物の中の彫刻の公開は、土日祝日の午後ということでしたが、山門も、鐘楼も、本堂や旧書院の佇まいも素晴らしい。

ぜひ今度公開日に来よう!と思いました。木造、銅造の仏像もあるみたい、楽しみです。

行元寺から国吉へ向かう途中、田んぼの真ん中の一本道。
空は青く、田は緑、まるで夏のよう。あまりにも気持ちよくて、夫の後姿を入れて写真撮っちゃいました。

そして、いすみ市郷土資料館(別名田園の美術館)でやっている展覧会がとってもいいから行ってみて、と勧められたことを思い出し、このまま向かうことに。


それは、長生高校美術部の展覧会。

勧めてくれた人は、エネルギーが溢れ、元気をもらえると言っていました。

見せていただきました。在校生のみならず、卒業生の作品も含め、70点以上が展示されていました。コロナの影響で登校できなくなって自宅で一人絵と向き合った日々、それが与えてくれた絵の深み、でもみんなで集まって絵が描けることのの幸せと喜び。(これは前部長と現部長からのメッセージから)たくさんのものが込められた絵は、まさに青春。いい展覧会でした。

長生高校美術部作品展は、7月25日まで、いすみ市の田園の美術館にて。


家に帰る途中、住宅街の中に小さなファームを見つけました。
管板には「LA  GRECA  FARM HOUSE」とあります。ロバがいて、ヤギがいて、ニワトリが鳴いて、にぎやか。

こんなとこ、なかったよねと言いながら、思わず自転車を降りて。なんだかいいなあ。


そんなこんなで家に帰りつきました。
走行距離37キロ!今まで、睦沢とか大原とか一宮とか、片道10キロ圏しか自転車では行けなかったのですが、私にしては新記録です。
今日はいすみ市から一歩も出ていません。いすみ広いですね~。

一日の〆は、ついできた「リバーサイド森田屋」で、夷隅川を見ながら焼肉。


ここはラーメンと焼肉の店。
川を見下ろすテラス席、蚊取り線香と虫よけスプレー持ってきてくれます。
夕暮れ時、日が暮れていくのを見ながらの食事。暗くなったらこんな感じ。いつもはあんまりきれいじゃないなと思っている夷隅川ですが、なんだか別世界みたい、捨てたもんじゃないですね。
盛りだくさんな一日でした。


さて、ここまでは先週の話。
番外編
今週も自転車で出かけました。
大原の市役所まで、所用を済ませて、お昼にラーメン食べました。国道沿いの麺屋大原。
年季の入った本格派のラーメン。老舗の風格漂います。夫はこってり、私は和風。ちゃんと正しくおいしい!
ついでにシャトレーゼとベイシアで買い物して帰ってきました。

いすみ市に暮らして7年目に入りました。一度行ってみたいなと思ってまだ行ってないところ、結構あります。遠出ができない今、近隣に出かけるチャンス、少しずつそのリストを潰していきましょう。いいところがあったら教えてください。

まずは、営業日でない祝日に、行元寺に行って、波の伊八と仏像見ることが当面の目標です。 (2021年6月26日 佳)


2021年5月20日木曜日

ステイホームと麻袋バッグ


久しぶりにコーヒー麻袋のバッグを作りました。

大きめのバッグ、限定2点‼ 1200円。早い者勝ちですよ。

去年の秋、睦沢にある「ときわぎ工舎」での手作りバッグ展に出展して、材料も売り切れ、私も売り切れ状態で、ミシンはしまいっ放しでした。

そもそも、ときわぎさんには、買ったパンと飲み物をイートインできるスペースがあり、そこで炎の雫の東ティモールコーヒーを飲んでいただけるようになっていました。それが、コロナの感染拡大でカフェが閉鎖に。そのスペースを使って何か企画を、とスタッフさんが考えて、手作りバッグ展をやることになり、お声がかかりました。
以前からコーヒーの麻袋でバッグを作っています。

東ティモールの生豆30㎏を買うようになって、袋がいくつかたまったころ、何かに使えないかな、そうだバッグを作ろう、と思って始めました。最初は袋を上下半分に切って、持ち手を付けただけのトートバッグでした。それが、もう少し小さいのもとなって、その半分のサイズを作ったり、ロゴマークを横にしてみたり、そうこうするうちに夫がお財布やスマホを入れる斜め掛けショルダーが欲しいと言うので、それを作りました。そしたら、余ったところができて、ペンケースやポーチみたいなのを作ったり。作ったバッグは、知ってる人に買ってもらったり、お店にちょこっと置いといたりしてひっそりと売っていました。

去年の4月から5月にかけて、千葉県全体が緊急事態宣言となり、飲食店は営業自粛が求められて、炎の雫も約2か月休店しました。その間、どこにも行けないし、麻袋もたまってたし、何か作りたい欲求もあって、バッグ作り。テーブルにミシンを出しっぱなしにして、別のテーブルにお裁縫道具や布地を出しといて、裁断したり作業したり。それでもごはん食べるところもあるし、お店のテーブルは広くて便利でそのまま何日もいられます。その間気が向くままにバッグを作り貯めました。そんな時、バッグ展のお話をいただき、そうはいっても大した数はないし、素人細工だし、でもそれでもいいと言うので出展することになりました。そうなると、もう少し作らなくちゃとなり、夏には奥の部屋でミシンを出して作業、私の部屋は工房に。バッグ展が始まると、「よしみさんのバッグ、売れてます、できたら追加作って」と連絡が来て、作り続けることになりました。11月に一段落すると、ミシンはしばらくいいや、という気分に。それっきりになってました。

久しぶりに作ったきっかけは、以前にも買ってくださった方の、ずっと使っててだいぶくたびれてきちゃったので新しいのが欲しいな、という一言でした。折しも、コロナ感染第4波のさなか、千葉は一部蔓延防止措置の発令中、いすみ市は対象外でしたが、いろいろ考えて連休はカフェお休みにしたので、またしてもステイホームの日々。出しっぱなし作戦がとれます。ほぼなくなってた材料の麻袋も2枚あったので、気合を入れて製作開始。


麻袋は下処理が必要です。まずはしばらく置いといて匂いを抜き、それからたわしで洗って干して、表面にボンドを水で薄めたものを塗ってまた乾かします。そうしないと臭いし、バッグ持って歩くとお洋服がゴミだらけになっちゃいます。最初の頃は袋のままやってたけど中側がすごくやりにくいので、最近は袋の端をほどいて1枚の布状態にしています。結構手間だけど、その方がいろんなデザイン、大きさのが作れることがわかり、結局楽だと気づきました。下処理が終わったら、形を決めて、中袋の布や持ち手を選んで、切って縫って、分厚くてミシンがダメなところは手で縫います。うちのは家庭用の普通のミシンなので、このくらいは大丈夫かなとついやっちゃうと針が折れちゃう。今回はバッグ大2個、小とポーチ(この2つはオーダー品)各1個を作って、針折れ3回、針は消耗品です。

オーダー品のバッグは昨日お渡ししました。彼女が数年間使ってくれたバッグ、相当貫禄が出ていて、ずーっと愛用してくれたんだなあとうれしくて。「新しいのがきたから、これは家で何か入れて使おうかな」というのを聞いて、それもまたうれしくて。ものを作る人の喜びというのは、きっとこういうところにあるんだろうと思いました。彼女は大きい方のバッグも愛用してくれています。ポーチのオーダーをくれた方も、麻袋バッグも使ってくれています。ありがたいこと。

現在の在庫は、先日作った2つの他には、斜め掛けできる小さなショルダー1つとペンケース1つ、麻袋ですがロゴは入っていません。

麻袋は東ティモールのコーヒーを買わなきゃないので、そうそうどんどん作れるものではありません。コーヒーが売れて、生豆を注文できたら、またのんびり作りましょう。こんなのが欲しい、という方、そのうちねでよければご連絡ください。(2021年5月20日 佳)



2021年4月30日金曜日

自閉症に纏わる2つの映画

2021年4月の終わり、炎の雫のホームページからブログをお引越ししました。


世はコロナ禍の中、東京には3回目の緊急事態宣言が出され、千葉では蔓延防止措置が出ています。ここいすみ市はその対象ではないものの、年末までは数人だった感染確認は、今年になってじわじわと増え、70人を超えました。連休中はお休みしよう、この際ブログのお引越しをしようということになりました。今後とも、よろしくお願いします。

410日・11日に久しぶりの映画上映会を開催しました。ずーっとイベントはやっていなくて、そろそろ何かやりたいなと思い、人数を減らしての映画ならできそうと思いました。以前にシネマチュプキで見た「道草」というドキュメンタリー映画をやりたいと上映委員会にだめもとで相談したところ、定員8人という少人数にも拘わらず快く受けてくださいました。それで土日の2回間で3回上映、各回8席の予約制で上映することができました。

「道草」は、東京都内で自立生活をする知的障害と自閉や行動障害を併せ持つ重度障害者とその介護者たちのの自立生活を追った映画です。
登場人物は4人の障害者とその支援者や家族たち。映画はリョースケさんが道草をしながら歩く場面から始まる。マンホールを踏んで歩き、道に座り込んで花を手に取り、公園でブランコを高くこぐ。鉄橋の上から電車が交差するところを見るのが好き、自分が納得する美しい交差がみられるまでその場を離れない。絵をかくのが上手、運動神経もよく自転車もスケボーも乗りこなす。リョースケさんはアパートで介護者付きの一人暮らしをしている。食べることにこだわりがあり、食べ物をめぐって介護者の中田さんと繰り返すユーモラスなやり取りに思わず微笑んでしまう。

ヒロムさんも介護者付きの自立生活をしている。介護者と一緒に長い散歩をするのが日課だ。歩きながら「タ―」と大きな声を発し、それを介護者の藤原さんがたしなめる。同じことを何度も問いかけ、同じ答えをもらうことが楽しい。やり取りはまるでコントのよう、思わず笑ってしまう。彼も知的障害と自閉・他害があり、小さい時は壮絶な生活だったことをお母様が語っている。

ユウイチロウさんの場合は少し異なる。自分が抑えられず、破壊行為や問題行動が多い。大きな声を出したり、物をばんばん蹴ったり殴ったりするため近所からも苦情が出て、なかなか落ち着いて生活する場がない。お父様が自立を支援する事業所に相談し、介護者との外出を試み始めた。その外出で見せる笑顔、それが終ってしまうことが嫌で不安と苛立ちから出てしまう問題行動。それに淡々と付き合う介護者たち。どうしたら彼のためにいいのかと話し合われる介護者とお父様のミーティングの様子を映画は映しだす。

最後の登場者カズヤさんは、やまゆり事件の被害者で、ご家族ともども唯一名前と顔を公表している。事件後、新しい道を模索して、事業所に相談し、少しずつ親子での時間を取り戻そうとしている。ご家族は「施設に預けていたことは間違っていたんじゃないか、やらそうとすればできたことがあったんじゃないか」と言いながら、今からが青春だと笑って話す。

映画の前半に登場する2人は、今は穏やかに暮らしているから、模範的な障害者みたいに思うかもしれないけれど、その後ろには積み上げてきたものがある。リョースケさんと介護者中田さんは13年の付き合いだという。入所生活が長かったヒロムさんも、自立生活の中で介護者たちとの関係を積み上げて今がある。一般に知的障害や自閉のある人は、人との関係が苦手とおもわれているかもしれないが、そうでもない。ユウイチロウさんも一緒に出掛けたい人の名前を口にする。人が好きなのだ。

私にも、もう10年以上付き合っている障害を持つ人たちがいる。その中には、道草の登場人物と同じ、知的と自閉を併せ持つ人もいる。東京で知的障害者の放課後活動の仕事をしていた時に知り合った。それは当事者のご家族が起ち上げた放課後クラブ(後にNPOとなった)、中高生対象のクラブで、学校(特別支援学校と擁護学校)に迎えに行き、活動場所の区民センターまで歩いて帰り、おやつを食べてちょっとした活動をして夕方までを過ごした。とにかく歩いて帰ることが第一の目標で、道草みたいに歩いたり止まったり、座り込んだり道路に寝ちゃったり、そんな日常。最初はグループで歩いていても、ペースが違うから結局マンツーマン。担当を決めておいて、じっくり付き合うしかない。活動場所に戻っておやつを食べる。おやつを準備して食べて食器を洗って片付けるのをみんなでやるのだが、それも一仕事でした。
学校が長期休みの時は、朝からの活動で一日を一緒に過ごす。一日つぶすのは大変で、外出したり、お昼ご飯を作ったり、簡単な工作や手芸や、歌とお話とダンスの時間とか、いろいろやりました。

思春期の6年間、リョースケさんのお母様曰くの冬の日本海の時代(荒れない日はないという意味)をともに過ごしたことで、彼らとの関係が作られました。その中で、高校を卒業しても時々みんなで調理をしたいという声が出て、ごはんの会を起ち上げました。みんなで集まってお昼ご飯を作り、食べて片付けてちょっとした活動をして解散する会、数か月に一度続けてきました。積み上げてきた関係は確固としてあり、たとえ時間があいてもすぐにあの当時の感じに戻ることができることを、ごはんの会をやるたびに実感しています。共に過ごす時間を重ね、この人は大丈夫と受け入れてもらえれば、いつでも、いつまでもその関係を続けることができるのです。その上、一緒に居るとこちらが癒されます。これは障害ある人にかかわっている多くの人が感じていることだと思います。リョースケさんの支援者中田さんは「一緒に居て楽しい、そう思わせてくれる魅力がある」と語っています。

映画を見ながら、リョースケさんみたいな子、ヒロムさんみたいな子がいたなぁと思い出します。年代的にも同じ年ごろです。ユウイチロウさんみたいな子もいました。ヒロムさんのお母さんのような経験(自分をかませて妹を逃がす)をした人も知っています。私自身も耳をがぶっとかまれたことがあります。そういう時は動揺したらダメ、何にもなかったような顔をしてタオルで抑えながら普通の活動を続けて、相手に見えないところで治療をします。今回の上映会参加者の約半数が障害者との関わりがある人でしたが、それぞれが自分の知っている人を投影しながら見ていたようです。介護者がワイルドでびっくりしたという感想もきかれました。肩の力が抜けて自然に対応している介護者のあり方に感銘を受けた人もいたようです。本当だったら、上映後、コーヒーを飲みながら語り合うのが炎の雫のスタイルですが、コロナ禍で長時間の滞在を避けるためそれができなくて残念です。


映画の終わり近く、ヒロムさんの介護者の藤原さんが「どうして彼らがいるんだろう、何か意味があると思うんですよね」と語る場面があります。その問いは私の深いところに残りました。
それについての一つの答えとなったのが、「僕が跳びはねる理由」という映画でした。

『僕らはきっと文明の支配の外に生まれた。多くの命を殺し、地球を壊した人類に、大切な何かを思い出してもらうために』という、東田直樹さんの言葉。これがその答えです。

映画「僕が跳びはねる理由」は、日本の自閉症の作家・東田直樹さんが13歳の時に書いた「自閉症の僕が跳びはねる理由」という本をもとにイギリスで作られました。当時中学生だった自閉症の東田さんが、今まで理解されてこなかった自閉症者の内面、感情や思考、記憶などについて、58の質問に答えていくという形で書かれています。初めは彼自身の言葉ではないのではと懐疑的に取られたこともあったようですが、大きな反響を呼び、世界中34か国で出版されベストセラーになりました。イギリスでの翻訳者も自ら自閉症の息子を抱え、同じように自閉症の子供がいるプロデューサーが映画化を企画しました。

映画に登場する自閉症の人物は5人。インドの女の子アムリットは、言葉はもたないけれど独特の絵を描く才能に恵まれています。雨の音を聞き、水が落ちるのをじーっと眺め続ける、見たものを絵にすることで表現し、お母さんと額をつけて抱擁をかわす姿には、深い精神的なつながりを感じます。イギリスのジョスは自閉傾向が強く、緑の箱にこだわりがある。シャボン玉を吹いたり、ブランコに乗ったり、跳びはねるのも楽しそう。苛立ってくると自分でコントロールができず、パニックになり他害行為もでる。家族は(両親はこの映画のプロデューサー)全寮制の学校への入学を決意する。ジョスは光への強い気持ちがあり、光を用いたアトラクションでは全身全霊で楽しんでいる。父はそれを「自分には味わえないような喜びを感じている」という。東田さんは、ジョスが一番自分に近いと思うと言っています。

アメリカのベンとエマ、小さいころからお互いに友情を感じて育った。それがわかるようになったのは、2人が文字盤を使って感情や考えを伝えられるようになったから。理解できないのではなく、理解していることを伝えられなかったのだ。それまでの教育は彼らにとって「時間の無駄」であり「人権の否定」だったと言い、お互いの間にある絆を感じ、大切にしている。東田さんも文字盤を使って人とコミュニケーションを取る。アフリカ・シエラレオネのジェスティナは、重度の自閉、言葉もなくできることも少ない。でも幸せそう。途上国ではまだまだ障害についての理解が進んでいなくて、障害を持った子は面倒を見ずに死なせてしまった方がいいとの考えも強い。その中でジェスティナの両親は、自閉症を理解してもらうための活動を続けている。彼らは、この子が幸せを運んできてくれたと言う。

5人の間をつないでいく狂言回しのような役割を、小さな男の子が担っている。彼は時に自然の中を、時に人工的な構造物の周辺を、自由に動き回り、その映像に東田さんの本の中の言葉が重ねらる。自閉症を、多様性を、受け入れられる未来からのメッセンジャーのような存在として登場する男の子。映画のパンフレットの冒頭には、その男の子ジム・フジワラ君の姿と共に、「みんな同じ空の下、“普通”の君と自閉症の僕との未来はきっとつながる」とのメッセージが添えられています。

監督の意図は、観客を自閉症の人たちの世界へ連れていき、彼らが感じている世界を体験してもらうこと。それを音とビジュアルを使って表現する。例えば、普通の人が全体を見てから部分を見るのに対して、自閉症の人はまず部分が飛び込んでくる、その美しさに魅かれ目が離せなくなり見続ける、そのことによって自分が落ち着く、それをこだわりと言われるのですが…。アムリットの雨、ジョスの箱…。(私の知ってる人はエアコンの室外機が回っていると、動かなくなるので、エアコンついてないといいなと思いながらお迎えに行ったりしてました。回っていなかったらすっと通り過ぎてくれるのですが、一度見始めたら何十分も見ていて、そこから離すのが大変でした。)

この映画を見て、東田さんの本を読んで、そうだったのか、そんな風に見えてるのか、聞こえてるのか、と思うことはたくさんありました。でも一番ショックだったのは知的能力のこと。監督は「軽度・重度、低機能・高機能といった単純化された考えから離れ、自閉症の人のそれぞれの問題を理解し、見方を変える一端を担えればと思っている」と言っていますが、まさにそのこと。長い間、自閉症の人と関わってきて、彼らには彼らなりの感情も心もあることはわかっていたつもりでしたが、どうしても身体の障害とは違うと思っていました。どこまでわかっているのだろうと思うこともしばしばでした。彼らの中に、表出されない言葉や考えがたくさんあって、知的能力の高い人がたくさんいるのであろうことに思い至りませんでした。それをこの映画は教えてくれました。

「道草」の中で問われた自閉症の人の存在意義について、きっと答えはたくさんあるのでしょう。まだまだ考え続けなければならないと思います。
ただ、自閉症の彼らのものの見方は、どこか古の人たちのあり方に通じるところがあると感じています。人間が自然と一体に生きていた時代、人が木や花や風と対話しながら生きていて、喜びを、怖れを感じていた頃、人は今よりもずっと満ち足りていたのかもしれません。それと同じような感覚が自閉症の人にはあるようです。東田さんは「山も木も建物も鳥もすべてのものが一斉に僕に話しかけてくる。その時一番関心があるものと対話が始まる。それは言葉による会話ではなく、存在同士が重なり合うような融合する快感です」と書いています。そんな体験が彼らの中に眠っているとしたら、彼らはものすごく豊かな人間なのかもしれません。

「僕が跳びはねる理由」、千葉ではTジョイ蘇我で公開中。(2021430日 水野佳)














 

初夏の旅~奈良から大津へ

  新緑の美しい初夏の奈良から大津を旅してきました。今回の旅の目的は、特別公開の仏像を見ることと、今まで行きたいと思ってたけどまだ行っていないところに行くこと。 順にご紹介していきましょう。 (今回の旅の目的の一つは特別公開ですが、公開される仏像はほぼすべてが撮影不可です。なので...