2019年10月25日金曜日

未完成と完成と

この秋は台風に翻弄されました。

9月の台風15号でボキっと折れて落下したお店の看板、その代わりになるものを製作中ですが、いまだ未完成です。

 

どうしようか、支柱が折れちゃったから作り直しだね、また同じようなのを作るのもなんだし、アクリル板にでもしようか、なんて話しながら、コメリをお散歩していたら、なんかいいものを見つけました。ブロックに金具を取り付けて、そこに板をはめ込んでフェンスを作るものらしい。これ使えるかも、安いし、やってみようか、と買ってきました。

 

買ってきてうちのブロック塀に取り付けようとしたら、レンガが厚くて入らない!あとほんの少しで入りそうなので、レンガを削ればいいんだ、と夫が削り始めました。でもこれが意外と大変、なかなか進まない。一気にやったら割れちゃいそうだし、機械の充電池はすぐ切れちゃうし、ちょっとずつ、ちょっとずつやりました。おまけに、お天気が悪い日が多くて、作業できる日も少ない。

やっと金具を取り付けて板を入れるところまで行きましたが、まだ未完成。

これから、板に色塗って、字とか絵とか描く予定。どんなのにしようか、思案中です。

 

もう一つの未完成。

コーヒーの麻袋を使った小物を作っていますが、こちらもちょっとずつしか進まない。COCAMAUの袋を使ったバッグはいくつか作りましたが、最近は小さなバッグやポーチのような袋を作ろうと思い立って、始めては見たのですが…。外側だけできて内袋はまだできてないとか、表も裏地も裁断しただけとか、まだファスナーつけてないとか、中途半端なのがいくつもあります。

そもそも、来月ライブがらみで出かける予定があり、お土産に持っていこうと思って作りだしたのですが、間に合うかな?

 

一方。完成したもの、それは

水野たかしのCD 11年ぶりのalbum 「Spirit」

 

ここ数か月、夜な夜な地道にCD製作してましたが、

遂に完成しました!!

 

しばらくの間、CD作りたいな、作らなくちゃね、と言いながら過ごしてきましたが、一昨年の11月に、カンタティモールのアレックスが亡くなってから、何かが動き出しました。

「モリス・フォウン」を日本語にして追悼の会で歌わせてもらって、その後アレックスに捧げる曲を作って、カンタのテーマ曲ともいうべき「マルシーラ」をフルバージョンでやるというカンタティモール3部作、それを柱にしてCDを作ろうという流れ、それに則って曲を選び、曲順を決めました。

 

タイトルの「Sprit」には、いろんな意味があるけれど、その一つには精霊というのもあります。

森の精霊たちも味方につけたアレックスが、亡くなってしまったたくさんの人たちの魂とともに、私たちの作業を後押ししてくれました。

 

ここ1~2か月は、夜水野たかしが作った音を昼間聞いては、ああだこうだ言って、夜中にちょっと変えたものをまた次の日に聞いて‥‥それの繰り返し。音がほぼほぼ完成すると、今度はジャケットや歌詞カードのデザインについて、またああだこうだ‥デザインをやってくれた島根に住む友人と何度もやり取りして、なんだかとても忙しい日々でした。そんななかで、何度も何度もアレックスの存在を感じた日々でもありました。

 

そうやって完成したCD、アレックスに捧げる全10曲、アレックスの命日11月9日発売です。

 

ついでにもう一つ、完成したもの、

フライヤー(チラシ)です。

 

せっかくだからチラシも作ろう、いつもは家で作ってコピーしてますが、カラーにしたいと思って、初めて印刷を頼みました。

頼んでみてびっくり!印刷ってずいぶん安くなったのですね。

カラーコピーなんかするよりずーっと安い!

こんなに安くて、印刷業界、大丈夫かしらと思ってしまうほど。

但し、ちゃんとデータを作ってPDFにしてアップロードしなくちゃならないから、結構大変ですが。

空いてるところにライブ予定など書きこんで、使いまわせるようにしてあります。

 

さらにレコ発と一緒に上映会もやっちゃおう、ということになり

ライブ付きの上映会を企画、そっちのチラシも作りました。

(お知らせの所に掲載)

 

パソコン作業も結構やったな、という10月でした。

 

ライブ&上映会は 11月24日(日)の午後です。

 

今日は大雨、つい2週間前も台風でものすごい風だったけど、その時よりも雨は多いみたい。

また避難勧告出てます。

何だか激しいお天気の日が多くて、ざわざわの秋です。(10月25日 佳)

2019年9月28日土曜日

台風から考えたこと

9月8日から9日にかけて、台風15号が房総半島を通り抜けていきました。

 

当初はコンパクトな台風と報道され、誰もがそんなに大したことはないだろうと思っていましたが、予想に反して、千葉では大きな被害が出ました。雨に加えて、ものすごい強風だったようです。その後、停電に断水、それも復旧までに何日も、場所によっては2週間もかかり、屋根が飛ばされたり、破損した家も多数、大災害になりました。

 

炎の雫では、看板が壊れました。手作りの看板は支柱が折れて叢に落下、フェンスに付けていた細長い看板も落ちて端から20㎝くらいはどこかにいっちゃった状態でした。(後に折れた部分は見つかりましたが)

この周辺では、停電も断水もほとんどなく、それくらいでで済んだのはラッキーと言えます。

 

実は、台風の時、奈良へ旅行中でした。

台風が来るらしいと分かっていたので、外に出してあるものは多少片付けていきましたが、私たちも大したことなさそうと思い、雨戸も閉めずに出かけました。土曜日くらいから、千葉は直撃みたい、え、電車止まるの、停電してるの、とニュースを見て、鉄塔が倒れたのか、市原は大変ねと他人事気分でした。

 

ところが数日経っても、停電は減るどころかむしろ増え、いすみ市も停電してるというし、外房線も内房線も動いてないという、だんだん不安になってきました。屋根が吹き飛んでたらどうしよう、停電してたら冷蔵庫は‥、なんて考え始めました。試しにうちに電話をかけてみると、留守電が出た!とりあえず停電はしてないみたいと確認できました。帰る日(11日の水曜日)になっても状況は変わらないし、詳しいことは分からない。外房線は一部動き出したらしい、帰れるかしらと思いながら帰路につきます。

 

電車の状況はJRの奈良駅で聞いても、京都駅で聞いてもわからない。東日本のサービスセンターの電話を教えてくれたけどつながらない。新幹線の車掌さんに聞いてみると、JR東海だからわからないという。実は東京駅についてから聞いても、東海道新幹線の改札内はJR東海だから改札を出てからJR東日本にきいてくれと言われました。管轄外はわからないの連発。こんなに情報網が発達しているのに、どういうことかしらと思ってしまいました。さらに言えば、東京駅の東日本管轄で聞いたら、外房線は上総一ノ宮まで本数を減らして動いているとのこと、それはネットでわかっていたので、どのくらいの頻度で動いているか聞くと、まったく把握していない、結局ホームに行ってみるしかありませんでした。全然情報化社会じゃないですね。

 

一ノ宮からタクシーに乗って帰り着きました。恐る恐る見回すと、看板が落ちて、網戸が外れて落ちたくらい、家の中は異常なし。ほっ。

ところが千葉は大変なことになっていました。停電、コンビニもスーパーも開いていない、たまにやっててもほとんど何もない、ガソリンスタンドは長蛇の列、瓦が飛んだ、屋根そのものが飛んだ、断水でお風呂も入れないからホテルが大浴場を開放する、自治体がスマホの充電できる場所を設定しブルーシートを貸し出し給水所を設定する。まるで東日本大震災の時みたいです。事実、たくさんの人が震災の時を思い出したと語っています。震災の時よりひどい状況と言っている人もいます。停電が2週間なんて考えられませんよね。。

 

長引く停電の原因は倒木でした。千葉ではよく倒木で電車が止まることがあります。台風や強風の後の倒木・倒竹はよく見かける光景です。倒れた木が邪魔をして電気の復旧工事ができない。倒木の撤去のために自衛隊が入ったのは何日目でしょうか。しばらくたってからでした。何でもっと早く派遣要請をしなかったのか、状況が把握できなかった、それどころではなかった、という自治体が多いようです。初動対応が大切、そのためには有能な自治体のトップが必要。残念ながら、有能なトップがいるところは少なかったようです。市長なんてどうでもいいやなんて思ってはいけない、いざという時に死活問題にかかわってくるのだと感じました。

 

一番最後まで停電が続いた山武市では、特産の山武杉の倒木が相次ぎ、そこここに倒れた木があって作業が進まなかった。何でそんなに杉が折れたのか、だんだんと事情が分かってきました。ほとんどの杉が幹の中が空洞化する溝腐病にかかっていたとか、その状態を行政側は把握していたけれど、対策が追い付いていなかった。そもそも山武に植林された杉は、溝腐病のものを接ぎ木した苗木だったらしい、それがわかって、当時の持ち主は手を引いてしまい、林業の衰退とともに所有者不明の山林が残されたまま今に至っているとのこと、これは完全に人災です。三武市の停電が解消されたのはつい数日前です。ひどいですね。

過去に不適切なことをすれば、いつかそのつけは回ってくるのだということを改めて思いました。

 

停電の話。

いつも思うのですが、停電の時オール電化の家は悲惨だろうなと。電気が止まっても、ガスが使えればごはんは作れる。ストーブがあれば暖は取れる。給湯器じゃなくて昔ながらのガス窯ならお風呂だって沸かせます。実際、停電の中、ろうそくの灯をともし、食事をしてお風呂に入ったこともあります。電話も通じました。今はほとんどのものが電気を使っているからみんな使えなくなります。それでもうちではまだ、ガスコンロと石油ストーブ(ファンヒーターじゃなく)があり、電話も古いダイヤル電話がとってあるから差し替えれば使えます。何でオール電化なんかにするんだろう、停電したらどうするんだろう、みんなそんなこと考えないのかしらと常々思っていました。ちょっと調べてみたら、オール電化は災害に強いと書いてあります。どういうこと?電力会社によれば、災害の時一番早く復旧するのは電気で、数日あれば復旧するからとのこと。今回みたいな2週間も停電なんて想定されていないのです。でも実際に起きちゃったんですから、電力会社の言うことを鵜呑みにするのは止めましょう。オール電化の説明の中に、災害への備えとしてカセットコンロを置いておくというのがあり、笑っちゃいました。だったら普通のガスコンロの方がいい、オール電化でない方がいいですね。

 

停電の時の冷蔵庫の話。

停電の不安で一番大きいのは冷蔵庫の中身。停電してからどのくらいもつのでしょうか。公式には、冷蔵庫を開けない状態で2~3時間は大丈夫、その後は徐々に温度が上がっていきますと書いてあります。ただ実際にはもっともつみたいです。半日とか15時間とか、32時間停電したけどほとんど大丈夫だったとか、中には3日間停電しても冷凍庫の中のものはほぼ融けず、冷蔵室の食べ物も大丈夫だったという人もいました。季節や地域などの条件もあると思いますが、長時間大丈夫だった方の共通点は開けないこと。まったく開けなかった、一度しか開けなかった、という方がほとんどでした。

停電の冷蔵庫の話題で、これは役に立ちそうという記事を見つけました。それはペットボトル氷、日頃からペットボトルに水を入れて凍らせて冷凍庫に入れておく、それが停電の時威力を発揮したと。冷凍庫の保冷にもなるし、冷蔵庫に移し保冷材がわりにしたり、飲み物を冷やすのにも使える(水に氷を入れてもすぐ融けちゃうけど、その逆ペットボトルの中に水を入れて数秒待つといいそう)、融けてきたら飲み水にする。冷凍庫はモノがぎっしり入っている方が冷気を保てるので、冷凍庫に隙ができたらペットボトルに水を入れて凍らせておくとよいとのこと。これいいですね、停電対策と水の備蓄、さらに熱中症対策として体を冷やすのにも使える、一石二鳥以上です。

 

台風で屋根が飛ばされたところも多数あります。ボランティアによる復旧作業が始まったのも遅かった。一生懸命働いている方がたくさんいらっしゃる反面、ボランティアにまつわる話もいろいろ聞こえてきました。もちろん善意の方々が多数だと思います。ただ、実際に働かず、(働けず、ではありません)ボランティアに指図するだけとか、自分でできることもやってという方に違和感を覚えたという話。善意で被災ゴミの一時置き場として土地を提供したら、台風災害とは関係ないだろうゴミがどんどん集まってきていっぱいになってしまったとか‥。こんな時に、そんな話を聞くと悲しくなります。ニュースでも報道されたブルーシート詐欺も然り、人には善悪両面あるのだと思い出させてもらった、ここ半月でした。

 

奈良のことを少しだけ。

このところ毎年行っている奈良、今年も山の辺の道を歩き、素敵な仏像をたくさん見てきましたが、今回面白いところを見つけたのでご紹介します。

それは、ならまちにある、無人キャッシュレスの本屋さん「ふうせんかずら」。

ブックカフェを検索していて見つけました。無人ってどういうことかっていうと、会員制なのです。ネットでブックメンバー登録し、IDナンバーをもらってその番号で鍵をあけます。中に入って本を見て、いつまでいてもいい、毎日7時から23時まで利用可能、気に入った本があればpadで入力しカードリーダーを使って決済します。出るときはエアコンだけ消して、ドアを出ると自動的に施錠されるシステム。

システムも面白いのですが、本屋としての中身が素晴らしいのです。棚ごとに、9人のブックオーナーがセレクトした本が並べてあります。アート系、漫画系、絵本系、詩や評論、奈良にまつわる本、個性あふれる本棚。時間がいくらあっても足りない、いつまででもいられる、そんな本屋さんです。欲しい本はいっぱいあり、値段と相談しながら、数冊買ってきました。私は、四ツ谷シモンの「人形日記」と「まどみちお詩の本」、夫は諸星大二郎の特集本。ね、すごいラインナップでしょう?ふうせんかずらが近くにあったら、通いつめちゃうだろうなと思います。奈良へ行ったら、必ず行きたい場所が、また一つ増えました。

 

折れた細長い看板にロゴマークを書いてフェンスに取り付け、落ちた看板を下に置き、とりあえずの修復をしました。

細長い看板は、高円寺の時に外側の壁に貼っていたものです。

このところ、他のこともいろいろあって、なかなか看板製作には至っていませんが、そのうち何とかしましょう。

 

来週の金曜日、10月4日の寺田町ライブのチラシも貼っておきました。半年ぶりのライブです。ぜひ聞きに来てください。

(9月28日 佳)

 

2019年8月17日土曜日

真夏の現代アート


毎日暑いですね。

 

7月が涼しかったせいか、8月になって厚さが堪えます。

今年の方が去年よりばてるような…...

 

そんな中、美術館に行って、元気をもらってきました。

 

品川の原美術館で開催中の

「加藤泉 LIKE  A  ROLLING  SNOWBALL」

  面白かったです!

加藤泉さんは1969年生まれ。90年代半ばから作品を発表、2007年のヴェネツィアビエンナーレをきっかけに国際的に活躍。絵画、彫刻にとどまらず、キャンバス、木、石、布、ソフトビニール、革、鎖、多彩な素材を使った、大胆なインスタレーションが魅力的です。

パンフレットに、「原始美術を思わせるミステリアスで力強い人物表現を特徴とする」とありましたが、まさにプリミティブ、どことなく縄文の土偶にも似ているような、マヤ・アステカ文明に通じるものがあるような、それでいて宇宙人のようでもあり。

「元は個人の邸宅として建てられた原美術館の独特の空間と親密な対話を交わすように散りばめ」られた作品たち、部屋の片隅に石の人形が寝ていたり‥‥。

あ、こんなところにもいる、見つけると思わず嬉しくなります。

庭にも‥‥。まるで精霊です。

2階のとある部屋。

一緒に行った現役の児童館長の友達が言いました。「まるで児童館みたい」

学童クラブのお昼寝を思い出しました。なんか、思わず微笑んじゃいます。

 

原美術館は、屋外にも館内にも、常設展示があります。

奈良美智の部屋は元浴室、須田悦弘作品は元暗室、森村泰昌の部屋は来客用のトイレだったとか。今回の展覧会、それらの作品と全く違和感なく共存しています。全然知らなかったけど、一気に加藤泉さんのファンになりました。

(常設作品は写真撮影禁止でした。

屋外にはイサム・ノグチとか李禹煥とかそうそうたる作家の作品が。)

原美術館、本当に素敵な場所でした。

 少し遡りますが、7月の末にボルタンスキーにも行ってきました。

「クリスチャン・ボルタンスキー Lifetime 展」国立新美術館。

 

ボルタンスキーはフランスを代表する現代美術のアーティスト。

絵画、彫刻、写真、映画、インスタレーション… 多彩に、世界的に活躍しています。

彼のテーマは、個人や集団の記憶、存在、不在。宗教や死。

自らを空間のアーティストと称しています。

 

昨年、大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレでボルタンスキーを知りました。廃校になった小学校の教室で踊る幽霊たち。どこかユーモラスで妙に親近感が湧く姿に惹かれました。過去最大規模の回顧展と聞き、行ってみることにしました。

 

会場は闇の中。そこに、苦しそうに咳をする男と人形をなめる男の映像作品が映し出される。

モノクロの写真の周りには小さな電球の光が配置され、まるで祭壇のよう。

がいこつや幽霊たちの影が踊る廊下。

壁から吊り下げられた、色とりどりのたくさんの衣服。

紐でできたカーテンはスクリーンとしてイメージ映像(ボルタンスキー自身の6歳から75歳の顔)が投射され、その紐を通り抜けて向こう側へ。そこにも写真と電球と。たくさんの死んだスイス人の写真は何を訴えているのか。

奥の部屋には、黒い服を積み上げて作った「ぼた山」。まわりに立つコートは、近くにいくと語りかけてくる。「死ぬってどういうこと?」

そこを抜けると青い海と空の映像、パタゴニアの海岸に置いたオブジェは鯨とのコミュニケーションをこころみているらしい。

出口近くには、床に置かれたたくさんの電球、毎日3つずつ消えて、展覧会最終日には全部消える。

向かい側には金色の海、上を電球が行ったり来たり。その間の空間でも、子どもの顔を映した何本もの四角いフレームの間で電球が揺れて、影が長くなったり短くなったりしている。

最後は「ARRIVEE」-到着の文字が浮かぶ。

 

会場全体が一つの大きなアート作品、すごいなあ。

ボルタンスキーは神話を作りたい、神話はアートよりも強い、と言っています。

 

ものすごく前衛を感じた展覧会でした。見るにはエネルギーが要ります。

ただ、美術館の中に作られた廊下より、新潟の廃校になった小学校の方が、幽霊たちも楽しく踊れるんじゃないかなと思ってしまいました。

がいこつのオーナメント、思わず買ってきちゃいました。でも、なかなか、影をうまく映すのは難しい。当然ながら、そのための光源が必要で、当然ながら人工的な力がなければうまくいかない。この展覧会自体、ものすごい数の電球や、たくさんの電気を使っているわけで、改めて現代アートって何だろうと考えてしまいました。そう考えると、現代アートでも、石にアクリル絵の具で色付けて、木の股に置いてみたり、庭にお地蔵さんみたいに置いてみたり、という加藤泉さんはいいなあ。ま、ビニールで作った人形もあったけど。

 

番外編。

現代アートじゃないけれど。

 

ボルタンスキーの前に、鎌倉に行って、

東慶寺の水月観音を見てきました。

 

岩にもたれて、水面に映った月を見る観音像。鎌倉時代、13世紀のもの。高さ34㎝と小さいけれど、そんなことはどうでもよくなるほど、優美なお姿に魅了されました。

 

特別拝観で、時間が決まっていて、毎日9:30と14:00の2回。電話予約が必要です。絶対お薦め、予約する価値あります。

少し涼しくなったら、行ってみてください。

(北鎌倉、すごく暑かった!!結構大変でした。)

 

 

それにしても暑い!

今日、うちの中は33.6℃、試しに日の当たる窓際に温度計を置いてみたら、41.8℃!!

コーヒー豆の注文も減っています。と思ったら、今日札幌の人から注文のメールが。「暑さも去ったのでコーヒーをお願いします。もう涼しいです、濃いコーヒーを飲みたくなりました。」ですって。うらやましいですね。北海道以外は、まだまだ暑さは続きそう、皆様ご自愛ください。

 

*原美術館は2020年末に閉館になり、群馬県の伊香保にある原美術館アークに統合されます。

 「加藤泉 LIKE  A  ROLLING  SNOWBALL」展は、来年の1月13日まで。品川とアークと両方で開催中です。(展示作品が違います)私は、アークにも行こうかしらと思っています。(8月17日 佳)

 

2019年7月15日月曜日

雑草は育ち、野菜は育たない


梅雨寒が続いています。

7月に入ってから、ほとんど雨で、気温は2か月ほど逆戻り。

去年に比べたら10度以上低いそうです。

 

東京の日照時間は例年の10%、ここ千葉でも30%くらいだとか。

涼しくていいわ、なんていってもいられない。

じわりじわりと日照不足の影響が出ているようです。

テレビのニュースでは、キューリが例年の1割くらいしか収穫できなくて、曲がったキュウリも入れて、なおかつ値段は例年の倍近いとか。なすもキュウリも、気温が低くて日照不足だと曲がっちゃうみたいです。

 

日々日常スーパーに買い物に行く生活をしているわけではないけれど、近所の産直のお店でも、1袋100円で4本入ってたのが2、3本になったりしてます。

 

たぶん去年の今頃は、庭に植えたキュウリがぽつぽつ穫れて買わなくてもいいねなんて言ってたと思うのだけれど、今年は全然育たない!もう植えて数週間経つのに、なんで??っていうほど育たない。ティースプーンに比べてこんな感じ。枯れてるし‥。4本植えたけどすでに1本は消滅、この写真のやつも危ない。あと2本は、これよりちょっと大きくなってるけど、40㎝くらいで下から葉っぱは枯れていく。花はいくつか咲いて赤ちゃんキュウリはできたけど、それは育たずに黄色くなって枯れていきます。

この写真の後ろ側のはピーマンだけど、それもこの大きさから育たない。ただこっちは小さめのピーマン1個収穫できました。

 

こちらはミニトマト。この方が少しマシ。60㎝くらいになり、10個くらいは食べたかな。

 

でも、去年は私の背丈くらいになり横にもどんどん枝が出て、周りの木に乗っかりながらそこでも実をつけ、食べきれないから冷凍したくらい。同じ品種なのに~~、今年は育たない!

 

ちなみにこれはシュガープラムと言う品種。ほんとに甘くておいしい。

コメリのレジのお姉さんに教えてもらって買ったのが最初で、それ以来毎年買ってます。ただのミニトマトに比べたら苗は少し高いけど、とってもおいしいから。

昨日生協で買ったミニトマトと食べ比べたら、うちのトマトの勝ちでした。

 

そもそも、おひさまが当たらないと野菜は育たない。当たり前だけど。

調べてみたら、野菜には、陽性・半陰性・陰性とあって、夏野菜のほとんどは陽性。6時間以上直射があたるところを好み、日陰では育たない。トマト、ナス、キュウリ、ピーマン、枝豆、オクラ、みんな陽性。これ全部植えてあり、全部育ってない。やっぱりね。半陰性は半日(3~4時間)の直射を好み、木洩れ日でOK ,これはレタスとかお芋類とかほうれん草、パセリとか、この中でうちにあるのはパセリ、妙に元気だと思ったらそういうことか。陰性は直射の当たらない半日陰からに影を好む、一日1~2時間の日照で育つ。こちらはみょうが、シソ、蕗、にら。

これらは、ほぼ雑草に近い。蕗は毎年玄関側の日陰の方にどんどん出てくるし、シソはそこら中に小さいのが生えて来て、ほっとくと大変。そこらじゅうシソだらけになっちゃう、その上、赤と青が勝手に交配して、表が青くて裏が赤い、食べるとおいしくないシソになる、だから雑草取るときに抜いてます。

 

日照に加えて、大きな要素は温度。太陽の光はまず地面を温め、それによって空気が温められ、夜になると地面が冷えてくるから気温が下がる。気温は地面の中の温度(これを地温と言うらしい)によって変わる、だから地温が問題となる。一日の最高温度と最低温度の差は、夏の天気がいい日には、地温は気温の2倍近く変化する。寒暖の差が野菜をおいしくするなんて聞きますよね。ということは、今年の野菜は味も期待できないかも。地温はテレビでは教えてくれないから自分ではかるしかないそうです。

 

地温と植物は深く関係している。「スイカはなぜ冬に作りずらいかは地温が低いから、ほうれん草はなぜ夏に作りずらいかは地温が高いから。お彼岸過ぎたら定植しても大丈夫なのはなぜ?と言えば地温が15℃以下にならない気候になるから。植物が育つかどうかは地温がものすごく重要である。」とネットの記述、なるほどね。土の中に微生物が多いと地温は上がるし、肥料をたくさん入れると地温が上がる。地温によって土の中の状態を知ることができ、それによって植物の育ちをある程度コントロールできるという。すごいなあ。

 

夏は太平洋から、冬はシベリアから風が吹き、遠くの地温や水温を伝える、今年は北寄りの風で妙に涼しい日が多いから、地温も低いのでしょうね。自分の所だけでなく遠くの地温や水温の影響をうけるなんて、地球はつながっているんだと感じます。

さて、野菜たちは全然育たないのに、雑草は育つ。

 

この写真は、雨の降っていない貴重な時間にとった雑草たち。ティースプーンの倍以上に育っちゃった雑草がたくさんあります。それも土の所じゃなくて、駐車場にしているレンガの砕いたのを敷き詰めたスペースに生えてきたやつ達です。

 

雨続きの時、部屋の中から見ていて、日に日に駐車場がみどりになっていくのがわかります。まるで草っぱらのよう。信じられないくらいどんどん伸びていきます。土じゃないのに。(レンガの下は土だけど)

なんで雑草はどんどん生えてくるの? 調べてみました。

 

雑草がしぶとく生えてくる理由、1株から5万粒の種がまかれること、怒涛の如く発芽すること、根がとても強いこと、この3つ。

雑草には、一年生と多年生があります。一年生雑草は、毎年新しい種から発芽し、1か月で種を作ることができる。容易に引き抜けて根はついてくる。でも1か月で5万粒も種を作られたら、その上怒涛の如く発芽するなら、そりゃどんどん生えてきますよね。

一方多年生雑草は、冬などに一旦地上部は枯れても根っこが生き残り、翌年また出てくる。引き抜くと根が切れて、根さえあれば再生可能。それも地下深く根を伸ばすものもある。タンポポでも2mまで達するものもあり、ドクダミや竹は精魂尽きるまで掘削しても採り切れない場合があるとか。ほんとにそう、ドクダミとか引っ張っても途中で切れちゃうし、どこまで伸びてるのこの根っこ、って思うことも多々ありますね。

 

雑草について調べていたら、おもしろそうな本を見つけました。

「雑草はなぜそこに生えているのか」、著者は稲垣栄洋さん、静岡大学の教授で専門は雑草生態学。

題名にひかれて検索してみました。

 

アメリカの雑草学会の定義では「雑草とは、人類の活動と幸福・繁栄に対して、これに逆らったりこれを妨害するすべての植物」だそう。ちょっと大層。雑草は、生命力が強いというイメージがあるが、本当は弱い植物、生存競争の激しい自然界の中では光や水や栄養分を奪い合う競争に勝てないので、強い植物のある所には生えず、人間に管理されている畑や道端、庭のような場所に生える。その一方、耕されたり草取りされたりという環境のかく乱には強く、そうされることで生き残っていくための合理的戦略をもっている。本当は、踏まれたら立ち上がらない、なんて書いてある。とても面白そう、ぜひ読んでみたいと思います。

 

そういえば、つい最近、所さんの目がテンと言う番組で、高校生の変わった部活をやっていて、日比谷高校の雑草部を紹介してました。日比谷高校は雑草が多いんだとか。クローバーとカタバミの違いとか、嬉々として語る女性部長。OBでは雑草を除草剤に使えないか研究してる人もいるとか。さすが日比谷高校。

 

とりとめもなく、植物の話でした。

まだ梅雨は続きそう、また雑草は育ちそう。

おひさまが出て、野菜が育ってくれるといいなあ、と思う今日この頃です。(7月15日 佳)

  

2019年6月15日土曜日

梅しごと

梅雨に入って一週間、今日は大雨とのこと、なんだか激しいお天気続きです。

先週、つゆに入る直前に、梅しごとしました。

 

今年は庭の梅がたくさん生りました。3年ぶりの豊作です。引っ越した年はそれどころじゃなくて、次の年結構梅の実が生って、買わなくていいんだ、ラッキーと梅を漬けたのを覚えています。それから2年はほとんど穫れなくて、去年は産直のお店で買った覚えがあります。

 

ところが今年は、早いうちから、実がいっぱいなってるのを確認。もうすぐ梅雨だからなんとかしなくっちゃ、と思って、先週のお休みの時、えいやっと収穫しました。大きい脚立を立てて、実を探すと、あるある、いっぱい。

2日がかりで2本の木から梅を収穫、全部で3キロちょっと。なあんにもせずにほっといたのですから、立派な成果です。まだ小さい実は少し残して、ついでに伸びすぎた枝とか切って、こんな時期に切っちゃいけないかしら、でもこれからまだまだのびちゃいそうだから切っとこうか、なんて話しながら作業しました。

 

梅の実はざっと洗って、一晩水煮つけておきます。

梅酒と梅ジュースと、梅サワーも作ろうかなんて考えます。

 

 

次の日、今日は漬けるよ、と気合を入れて、朝から梅しごと本番。

梅は水を切ってちょっと乾かしておきます。

 

さて、ここで気が付きました。まずやらなくちゃならないのは、瓶を空けること、つまりほっぽっといた梅酒を出すこと。一番大きい瓶にはまだ梅酒が入っているので、それを出して、他の瓶に移し替えます。201665日庭と書いた梅酒でした。ものすごくきれいな梅酒になっていて、思わず味見しちゃいました。美味です。

 

空き瓶を熱湯消毒。雑用で結構時間取られます。

もっとめんどくさいのがヘタトリでした。梅の実のヘタを竹串で取り、ふきながら氷砂糖と交互に瓶に入れていきます。3種類全部やって、この際だからと、取り出した2016年の梅酒の梅をジャムにしました。午前中いっぱいかかりました。ふぅ~。でも充実感あり。

 

今まで梅酒は、ホワイトリカーの他、ブランデーとかラムとかウイスキーもいろいろやって、甘さも変えてみたりしたけど、今年はオーソドックスな梅酒にしました。梅ジュースの方は、ちょっとだけお酢を入れ、お砂糖は三種類の混合、氷砂糖と白砂糖ときび砂糖を使いました。梅サワーはお酒の代わりに全量をお酢で、りんご酢と穀物酢のブレンドに氷砂糖と白砂糖、どうなるかな。梅酒以外は12か月したら飲めるので、夏のお楽しみですね。梅酒は数年後、ちなみにまだ去年の梅酒は床下にあるし、実は引っ越しの時に抱えてきた2010年の梅酒もあります。来年まで置いとくと10年物になるからと取ってあります。今年の梅酒はいつ飲むのかなあ、なんて考えると、梅しごともロマンがありますね。

 

最近、暑い日には梅酒のソーダ割り(薄いの)をよく飲みます。爽やかで、梅酒だから体にもいいか、なんて言い訳しながら。実は梅酒はお湯割でもいけます。寒いときはお湯割で、なんだ一年中飲んでるんだと再認識。ま、いいかな。梅ジュースはお店でも出していて、好評です。梅酒もメニューには載せてるけど、アルコール飲む方はなかなかいないので、評判はなしです。

 

 

今年、梅の他にも豊作だったものが、スナップエンドウときぬさやでした。

コメリで買ってきた苗がぐんぐん伸び、私の背丈ぐらいまでもしゃもしゃ繁り、白い花が咲き、実ができる。同じような2つですが、実がぷっくりしてくるのがスナップエンドウで、平べったいまま大きくなるのがきぬさや。

 

一時期はどんどん穫れて、上映会の打ち上げの時にゆでて食べていただいたり、 知り合いにさしあげたりもしました。さすがにもう終わりましたが、2か月くらいは楽しめました。その代り、空豆が全然だめで、実はできても黒くなって終了。同じマメ科なのに、自然って不思議ですね。

 

そういえば、今年は暑いだの寒いだの言ってはいても、梅の実の収穫時期はほとんど同じ、そういうものなんだと思いました。誰かがコントロールしているのでしょうか、不思議ですねぇ。

 

最後に、519日の東京・幡ヶ谷36°5での「カンタ!ティモール」の出張上映会のご報告を少しだけ。

映画の上映が1630から。上映後のミニコンサートは19:00から。水野裕志(うちの息子です)とほりちえさんが1曲ずつ、二人ともカンタティモール2回目、映画のイメージから曲を選んで、思いのこもった歌でした。その後水野たかしが7曲、いつもより長丁場でしたが、良い企画でした。

 

この企画、店長がうちの息子で、オーナーは高円寺の時、江口さんが来てくれた上映会で昼夜続けて見ていった人だということもありますが、スタッフにカンタティモールの上映会でカレー屋さんを出店したことがある方がいて、ぜひ上映会をと言ってくれたそうです。人の縁はいろんなところでつながっているのですね。彼女の作ったゆかカレー、とても美味しかったです。

もちろん、外房での上映会と同様、炎の雫の東ティモールのコーヒーとハーブティーを飲んでいただき、CDや本などのグッズ、ティモールコーヒーの販売も。多くの方が買ってくださり、アックス募金もたくさん集まりました。ほんとうに感謝です。

 

この日は、いつもの上映会と違って、カンタティモールを見るのが初めての方がほとんど。まったく知らなかった、ショックだった、心を動かされた、なんていい映画なの、ぜひまた見たい、‥などの感想をいただきました。

ありがとうございました!(615日 佳)

 

 

2019年5月10日金曜日

上映会エトセトラ

 

大型連休の最終日、56日の「カンタ!ティモール」上映会と南風島渉さんのトーク&水野たかしミニコンサートのご報告です。

 

昨年の11月以来、半年ぶりの上映会。南風島渉さんの写真展示もあり、連休で東京から足をはこんでくれた方もありで、盛況でした。

 

映画については、過去何度か書いていますので、興味のある方は探して見てください。今回は主にトークの内容について書きます。

 

 

 南風島渉トーク

 

南風島さんにとって東ティモールとはどういう存在ですか?

世界のどこの紛争地とも違う特別な場所。他の紛争地では、勢力争いをして内部から崩壊していき目的を達成できないところがほとんど、それなのに東ティモールは大した武器も持たず、24年間の闘争を乗り切って独立を勝ち取った、悲惨な状況の中でも人々は明るく未来を見ている、これは何なんだろう、そこに何があるんだろうと思う。そこに、世界を平和にするための基本的な教え、フィロソフィーがあるのではないか。

 

ゲリラたちとの関係

「東ティモール民族解放軍のゲリラ兵士たち」の写真で

この写真の真ん中に写っているのは、当時の現地最高司令官で現首相のタウル。彼は人間味あふれる魅力的な人物。軍に見つかったら即撃たれるという状況下、月が隠れるのを待って会いに行くと、満面の笑みで迎えてくれる。「俺だったらこんなひどいところには来ない、よく来てくれた!」「戦争はこりごり、頼むから戦争を止めさせてくれ」と言う。なぜヒューマニズムを失わずにいられるのかと思った。当時、東ティモールへは、インドネシアのビザを取って行った。96年のクリスマスから97年の正月をゲリラたちと共に過ごした。もう一年生きられるといいねと言いながら、彼らはとても明るかった。

 

「かつてのゲリラキャンプ地に集まった元兵士、元地下活動家たち」の写真で

映画の中で、ゲリラ兵士たちに司令官が「生きて帰ってこい」と言うシーンがまさにこの場所。当時は蔦草が生えて秘密基地のようだった。すぐ下の道路を軍のトラックが通る。そこに潜んでいる、ゲリラたちを支えたのは市民。

 

東ティモールには二度と行くまいと思った93

93年に隠された紛争地で、世界が驚くようなすごい写真を撮って、有名なジャーナリストになってやると意気込んで行った東ティモールだったが、インドネシアの監視が常に付き、何も取材できない。その時知り合った若者の実家で撮ったのが「伝統的な家屋で繕い物をする少女」の写真。(*美しい写真と評判)その時はもう二度と行くまいと思っていた。ところが帰り際に「次はいつ来てくれる?」と言われ、もう1回だけ、を続けた。

 

日本こそが大事

当時先進国の中で唯一インドネシア支持を続けていた日本、日本がインドネシアを支え続ける限り東ティモール問題は終わらない。それをティモールの人も世界も知っていた。だからこそ「日本の人にぜひ知ってほしい、日本こそが大事なんだ」と。軍に見つかったら国外退去となるだけの外国人、でも一緒にいた東ティモール人は殺される、それでも「今度来るときまで生きているかわからないけどまた来て」と言われて、もう1回だけを繰り返した。

 

歴史が動き出す

93年頃までの20年間、東ティモールのことは誰も知らなった。インドネシアによって見えないように隠されていた。日本を含めて各国の国会議員団の視察もあったが、インドネシアによって完全に情報はコントロールされていた。日本の外務省は東ティモールをインドネシア領であるとしていて、ポルトガル領だと書くと外務省から圧力がかった。

(*実際は東ティモールはポルトガル領で、インドネシアが違法に侵略していたのだが。今でも旧インドネシア領とする間違いがよく見られる。独立の時に監督の広田奈津子さんと同行したテレビクルーが独立の過程を描いた番組を作ったが、放送は1度だけ、ディレクターは地方へ飛ばされそれ以降の放送はなかった、今でいうそんたくか)

 

96年のノーベル平和賞をきっかけに歴史が動き出す。

国連軍が入り、外国人ジャーナリストが多数入り、各国から住民投票監視団が入った99年。98%の投票率で独立が決まった。東ティモールに通いだしてから78年、始めは鉄砲の弾もないようなゲリラに独立ができるのかと半信半疑だった。しかし彼らは、間違ったことはしていない、未来は開けるはずと信じ続けた。絶望の中で希望を捨てずに未来を切り開いた彼らに、ぐうの音も出ない。

 

暗黒の9

独立が決まった直後、インドネシア軍が暴れだす。焼き討ち、虐殺。国連も外国人ジャーナリストも国外へ逃げ、命がけで投票した東ティモール人だけが残された。その間、軍はやりたい放題、結局東ティモールの9割が焼かれた。「まだ死ぬのか、まだ苦しむのか」とシャナナ。

 

日本は変わっていないのか

インドネシアはスハルト大統領がいなくなり、少しずつ民主化へ向かっている。

では日本は?75年から8年間、国連決議に反対してインドネシアについた日本、当時はごく一部の人しかその情報を知らなかった。今はインターネットの普及もあり、おおっぴらにできなくなっている。でも大きな構図は変わらない。日本人が、より豊かに、より安いものを、より簡単に手に入れるために、政府や企業が動き、安い資源を手に入れようとする。原発が止まってもライフスタイルは変わらない。では資源はどこから持ってくるのか、資源国へ圧力をかける、するとその国では地元住民が武力で追い出されることになる。

 

「スラウェシ」の写真で

天然ガスと石油の問題、地元の住民を追い出し、日本の援助で石油プラントを作って安いガスを日本へ送ろうとしている。(*今回の写真展開催はこの写真がきっかけ)

 

平成は平和な時代だったのか

元号が代わって、平成は戦争のない時代だったというけれど、本当にそうだろうか。たしかに日本人が直接手を下して人を殺すような戦争はなかった。だが、僕らのお金が、僕らの政府の国際的な発言が、資源国や弱い立場の人を痛めつけて、そこから利益を吸い上げている、これははたして戦争とは言わないのか。東ティモール、アチェ、パプア、スラウェシ、ミヤンマー、各地で行われている紛争。日本の暮らしを支えるための代理戦争ではないか。それを知らずに、平成は平和だったというのはあまりに身勝手ではないか。

 

独立後の東ティモール

独立後17年。首都ディリはビルが建ち、ショッピングモールもできた。道路も整備された。通貨はドル。外貨の獲得は石油、一般市民レベルで細々とコーヒー、それ以外には資本主義で闘えるような産業がない。経済は石油に依存。それを長いスパンで大切に使おうとする勢力と、インフラ整備の要望に応えてお金を使いたい勢力とのせめぎあいの状態。自分たちの都合のいいように国を作らせたい世界の資本主義国に対して、それじゃダメだと抵抗し、彼らの価値感をもとにそれを守ろうとする人たちがいる。

一例をあげる。独立後、水牛で田んぼを耕す人たちに世界中からトラクターが贈られた。それに対して、これを使ったら、燃料や部品を買わなければならなくなり、お金がなければ農業ができなくなる、やめようと言ってそれを止めた人たちがいる。それが東ティモール人のすごいところだと思う。

 

 

(話は尽きませんが、ここらで…)

この後、水野たかしのミニコンサート。

水野の歌について、いつもは書かないし、セットリストを出すこともないけど、今回は少し書いてみます。なぜかというと、歌われた曲はみな「カンタ!ティモール」に通底するものだから。

 

1曲目 “SHAREwe share the sky, we share the sea, we share the world, we share this earth」私達はこの地球を分かち合っているのです。

アレックスとレオのおしゃべりに「そんなんじゃこの地球はもたない」というのがありましたね。

 

2曲目 “Alex「戦いの地に生まれ、戦うしかなかった~闘う術は歌だった」2017119日に旅立ったアレックスに捧げると同時に、「残されたものは歌を継ぐ」アレックスの想いを受け継ぎ、歌い続ける人たちに捧げます。

 

3曲目 “願い”「流れる水に空に大地に、そこにもここにも神は宿る」「私が私でありますように、あなたがあなたでありますように」一番新しい歌です。

 

4曲目 “Moris Foun 映画の中盤でアレックスが歌っている曲に、原詞の意味を踏まえて日本語の詞を付けました。水野は前からこの曲を歌いたいと思っていましたが、アレックスの死後、南風島さんに背中を押されて、追悼会に間に合いました。まるでアレックスが降りて来て作らせてくれたようでした。

 

5曲目“ヘイ!マルシーラ” 言わずと知れたカンタティモールのテーマ曲。いろんな人が歌っていますが、サビを入れたバージョンを作りたかったのです。サウンドトラックの歌詞カードで元の詞をにらみつつ、できるだけ意味は近いようにと日本語を考えました。

カンタティモールの上映会では、いつも、この歌を最後にみんなで歌っています。

(ちなみに、今日のすべての曲の歌詞は私が書きました。)

 

ちょっと長丁場になってしまいましたが、56日の上映会は無事に終了しました。

この後、6人の方が残って、南風島さんを囲んでいろいろ話しました。アジアの紛争地の情勢、平和のこと、農業のこと、多彩な話題で盛り上がりました。とてもとても有意義な時間を過ごすことができました。

来てくださった皆さん、南風島さん、ありがとうございました!

 

[カンタ!ティモール」の上映会はご希望があればいつでも開催します。

どうぞお声をかけて下さい。(2019510日 佳)

 

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  新緑の美しい初夏の奈良から大津を旅してきました。今回の旅の目的は、特別公開の仏像を見ることと、今まで行きたいと思ってたけどまだ行っていないところに行くこと。 順にご紹介していきましょう。 (今回の旅の目的の一つは特別公開ですが、公開される仏像はほぼすべてが撮影不可です。なので...