2024年8月28日水曜日

真夏は美術館へ行こう。その1。

毎日暑いですね。千葉では猛暑日続きです。 あまりに暑くて、お出かけもできません。それでもどこかに行きたい時は、美術館へ行きます。それも、人がたくさん集まらないような、ちょっとマニアックな展覧会へ。静かだし、涼しいし、自分の思うままに行ったり来たりのし放題。

日常を離れて別の世界へ、この夏行ってきた展覧会をご紹介します。


東京都美術館で開催中の「大地に耳をすます 気配と手ざわり」。
メインの企画展ではなく、地下ギャラリーでの展覧会。10月3日まで。写真OK。(メインはこの時はデ・キリコ展、9月19日からは田中一村展ですが、展示替え期間中もこの展示は見られます。)

この展覧会は、人間と自然との関係を問い直し、自然の中でその関わりを結び直すような制作活動を続けている5人のアーティスト、写真家の川村喜一、版画家のふるさかはるか、絵本作家のミロコマチコ、植物画家の倉科光子、造形作家の榎本裕一の作品を展示しています。

何度も都美術館へ来てるのに地下なんて初めてと思いながら、エスカレーターで地下へ降りて。最初のコーナーは川村さんの写真というかインスタレーション。布にプリントした写真を吊り下げたり、2点の作品を透明な板で裏表に重ね合わせて透けて見えることによって風景に重なるように見せたり。紐にもこだわって登山用のロープを使ったり。北海道の木材で作ったフレームや作品を自らの手で運んできたという。展示する空間に敬意を表し、空間との共存を目指した展示。全体が一つの世界になっています。

川村喜一は芸大大学院終了後、2017年に北海道の知床に妻と共に移住しました。「自然と表現、生命と生活を学び直すために。」

アイヌ犬の子供を家族に迎えて、その暮らしの中で、狩猟免許を取って生活者として在りつつ、撮影を続けて、写真集を出したり、インスタレーションで発表したり。知床の斜里町で葦の芸術原野祭を開催したりもして、地域に根差した活動を行っています。

展示作品の合間に、日記のような文章が貼られていて、それがとてもいい。文学的、詩的な文章。それを読んでは、そこに書いてあることと関連ありそうな作品をまた見に行ったりして、行ったり来たり。
(夫はそれをすべて写真に撮っていました。)
人が少ないのでどういう動きもできて、楽しい。


真っ白な雪の原野も、幻想的な夜の森も、なんてきれいなんだろう、と思いました。写真とは思えない、絵みたい。
ほとんどの作品に、何らかの生命もしくはその痕跡があります。人間、犬、鹿、熊、狐、鳥、魚…それから木の実も。「知床の日常には様々な生き物が共存していて、そこは未開の大地ではなく、人と野生動物の生活が重なり合う場であることを示している。」
「啄まれた死骸はそれを食べて生きてゆくものを示唆し、生命の循環を端的に表す。」「生まれたばかりの小鹿を慈しみ、その親鹿を狩猟して食べもする。川を遡る鮭の姿に心を打たれながら、脂ののった秋味を頬張っている。」と川村は言う。(図録解説、大橋菜都子著 より)

川村は「カメラと銃を持つことは似ている。僕は表現者である前に、ひとりの生活者となるべくここに生きて学んでいる。」と言います。
獲物となるべく選ばれ、狩猟され、真っ白な雪の中で真っ赤な血を流す鹿の美しさ、それを食べて血肉とし生きて行く人の営み。かつそれは作品となり新たな時間をつなげて展開されていく。いわば新たな命を得る。深い。


次のコーナーはふるさかさんの木版画。
ふるさかはるかは武蔵野美大の油絵科を出て、その後独学で木版画製作を始めました。木のかたちや木目をそのまま生かして版木に使い、自らが育てた藍と採集した土で絵の具を作る。漆の木を切って版木にし、樹液を絞って木版画を擦る。現在の拠点は軽井沢と青森。

藍は種を撒き、数か月かけて育て、収穫して醗酵させる。バケツ一杯の液体からほんの少しの絵の具が創られる。絵の具に適した土を探し、シャベルで掘り起こし、時間をかけて細かく均質な粒へと整える。
「めぐる季節に合わせた農作業をし、料理を作る過程を思わせ、風土に合わせた生活と密着した制作のあり様を伝える」。
「漆林で伐採に立ち会い、その樹木を版木にし、漆の血ともいうべき樹液をしみこませ摺り上げる工程は、伐採した木を再び生かそうとする行為のようでもある。」(図録解説より)

2014~17年はトナカイと共に暮らす北欧の遊牧民サーミに取材。恐るべき自然と共に生き、自然を余すところなく活用するサーミの手仕事に魅かれました。
日本では北東北の南津軽と南部地方の山間部へ。山から素材を得て手仕事をする人々への取材から、作品が生み出されていきました。
彼女にとって、木版画は、「自然素材を生かした手仕事であり、自然とかかわる手段である。」「生き物の命を止めて素材とし、手を加えて作品として再び生かす制作プロセスは、ふるさかの根幹をなす。」(図録解説より)
彼女は言います「毎日生きものを扱っていると思う。」と。
ただ、私には、命を止める必然性がどこにあるのか、今一つ見えてきませんでした。


次はミロコマチコさん。絵本作家・画家。
実は彼女が入ってるからこの展覧会に行きました。このブログでも2年前の2022年8月、市原湖畔美術館での個展について書いています。あれ以来、すっかりミロコマチコのファンになりました。期待大でしたが、十分それに応えて余りある内容、さらにパワーアップしてます。

ミロコマチコは2000年代から絵本作家として、またイラストレーターとして活躍していました。個展もたくさん開いています。2013年には「オオカミが飛ぶ日」で日本絵本大賞を受賞。
たいよう、つき、うみ、つちといった自然や、生き物たちを主人公にした絵本を書いてきました。2年前私が見たのも「いきものたちはわたしのかがみ」という展覧会でした。

2019年、感じる力が弱まっている、それを取り戻したいと奄美大島に移住。「奄美の自然そのものと、自然と共に暮らす奄美の人びとから、この地で暮らす術を学びながら、生きものの気配と生命の煌めきが濃厚に漂う作品を生み出している。」(図録解説より)

これは2018年の『たくさんのいきものでできている体』という作品。移住前。
「ずっと自分が生きていることが不思議だった。日々、空気を吸って吐いて、心臓が動いて生き続けている。けれど、どこか実感がなかった。」(ミロコマチコ 図録より)唯一生きている実感があるのは絵を描いている時だけ、いきものたちを描くことで、そのものたちと同じように生きているんだと自分の中に取り入れていたと。

『木の記憶』2021年の作品。移住後。

彼女にとって、奄美の森はいつもざわついている。この木はアコウの木、別名締め殺しの木。他の木に着生して覆うように成長すると、中の木が枯れ、空洞を持ったアコウの木が残る。そこには妖怪(ケンムン)が住むとされ、地元ではあまり近づかないようにとされている。でも彼女は怖い感じはしなかったと言い、近づくと笑い声が聞こえて、たくさんの精霊が住んでいるのに気が付いたという。

奄美の人たちは目に見える生きものだけでなく、見えないいものをも身近に感じ、実際に見ています。
「いろんなものが見えていて感じることを大事にしている。それが日常会話で普通に話される。竜を見たとか、鳥が亡くなった母だったとか。」(ミロコマチコ 図録より)
左『2匹の声』、右『竜のしぶき』2022年。

屋外のライブペインティングによる大きな作品も何点か展示されています。2020年からの個展で描かれたシリーズから、宇都宮美術館での『海を混ぜるⅤ』2022年。
布に覆われた部屋の中では、奄美大島でのペインティングの映像を上映。『光のざわめき』という作品が描かれて、傍らにはその作品も展示。絵の具を手に取り、手で直接描いていく、なんの迷いもなく。凄い!

会場の真ん中に作られた円形のスペース、内側はうねりみたいに描かれ、中心には布で作られた何か(精霊?)が置かれ、上からも吊るされている。
外側は、4年ぶりとなる新作絵本『見えないりゅう』の原画がずらり。
これは原画9。ミロコマチコの部の最初の写真(本人の写真の次にあるやつ)が原画2。原画は17枚であります。
この絵本、ほしい!

奄美では島の素材を取り入れるようになったそう。大島紬の泥染め、テーチ(車輪梅)染め。染めた布をカンヴァスにしたり、作品を染色したり。円形スペースにあった布もそれかな。染めた後も色がどんどん変化していくのがいきものみたいだと、彼女は言います。

これは『かさねうみ4』という作品。2023年。鳥のような、蝶のような、魚のような、竜のような、人魚のような、いろんな見え方をする。すっごく綺麗。

ミロコマチコは奄美で、感覚を研ぎ澄まし、見えないものを見、感じながら、彼らと共存している。でもそれは、本来人間が持っていたはずの力。人工の物に囲まれて、便利さを追求しているうちに、いつの間にか失われてしまったもの。自然を支配しようとせず、ともに在ろうとする人々の中にはちゃんと残されている力。ミロコマチコは人本来の力を取り戻し、作品に投影する。とても羨ましい。みんながそう在れれば、世界は変わるのに。

「ミロコの作品は、人と生きもの、生きものとそうでないもの、目に見えるものと見えないものなど、さまざまな境界を軽々と飛び越える。」(図録解説より)

4人目は植物画の倉科さん。
倉科光子は青森で生まれ、東京で手描き友禅の仕事をしていましたが、結婚を機に退職。植物画を描き始めました。東日本大震災の後、被災地に足を運び、浜辺や津波の浸水域に生えた植物の健気さ、可憐さ、逞しさに魅了され、それらを「tsunami plants ツナミプランツ」と名付けて描き続けています。それは植物の生命力を伝えるのみならず、その地の変化、復興の関わりなども暗に伝えています。
作品にはキャプションが添えられている。
『津波から4年後 初夏 内陸から運ばれたメマツヨイグサ 塩分をものともしない強さをもっている』
とても繊細で植物図鑑のよう。
「行くたびに発見があり、まだ終わらない」と。

5人目は榎本裕一さん。
東京工芸大から芸大や金沢美術工芸大の大学院を出て、アーティストとして活動。2018年から北海道根室市に暮らす。現在は新潟の糸魚川にもアトリエを持ち、3拠点で活動。

これはたぶん、『結氷』というシリーズの1つ。または『沼と木立』の1つかも。(よくわからなくてごめんなさい。この写真の作品は図録になかったので。)
アルミパネルを用い、黒と白のコントラストが、宇宙あるいは風景の静寂を思わせ、人の意識を記憶の領域へ、想像力の世界へと誘う。ような気がします。

正直言うと、この人の作品は私には謎でした。


鑑賞(appreciation )の後はおいしいビールを。
最近クラフトビールがブームですね。千葉にもないかなと検索してみたところ、ありました! で、千葉に帰ってビール飲むことにしました。その方が落ち着くしね。
訪れたのは本千葉にあるYYGファクトリー。代々木に本店があり、千葉店は5年前に開店したとか。全然知らなかった。カウンターと小さな席があって、ガラスの向こうは醸造所になっています。タップは10。ラガーと渋谷IPAと代々木アンバーエールが定番、あとは期間限定で入れ替わっていく独自のビール。夫は能鷹隠爪というチリスタウトを、私は5周年記念のいちご20%のビールが気に入りました。フードもおいしくて、おしゃれ。
ぜひまた行かなくちゃ。


もう一つご紹介しましょう。

「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン展」
2005年に亡くなったフォロンの大回顧展です。
東京駅の丸の内北口直結の東京ステーションギャラリーで開催中。9月23日まで。こちらは写真NGなので、チラシ、図録、購入したポストカードの写真を載せます。

フォロンはベルギーの首都ブリュッセルに生れました。幼いころから絵を描くのが好きでした。ある時、ルネ=マグリットの壁画に出会います。「絵はなんでもできるんだ。謎を生み出すことだって。」このインスピレーションが画家としての出発点となりました。

★★ 8月29日、この先の記事がなぜか消えちゃっていることが判明しました。フォロンの部の続きは改めてUPします。少しお待ちください。★★




























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