2018年2月26日月曜日

「逃げ遅れる人々」を2年ぶりに見る

 2018225日、ドキュメンタリー映画、逃げ遅れる人々の上映会を行いました。外房では2年ぶり2回目の上映会です。今回は、同時上映として、「東日本大震災~宮城・石巻地方沿岸部の記録」という映像を合わせて見ていただきました。こちらは、津波の後の状況を映しだし、住民の方のお話を聞いて、記録したもの。淡々としているけれど、あまりの惨状に声を失うほどの迫力です。ある女性が、「お父さんなら、なんかにつかまって生きてるだろうなと思ったけど、まだ来ない、今も来ない」と言っていて、胸が詰まりました。そんな人が、他にどれだけいるのでしょうか。去年だったか、NHKで今も行方不明の娘さんを探し続けて海に入っているお父さんのことをやっていたけど、そんなニュースもめったに耳にしなくなりました。

30分ほどのDVDを見てから、「逃げ遅れる人々」を上映しました。

 

2年前の上映会の時のブログにも書きましたが、私がこの映画に出会ったのは、2013年の秋。当時勤めていた児童館の先輩が、映画の上映会と監督のトークを企画し、そこに参加しました。監督は、、映像グループ「ローポジション」の飯田基晴さん 。ローポジションという名前には、低い視点から弱い人たちに寄り添うという思いが込められています。そういう方なので、「若いときから、障害のある人たちにもいろいろかかわってきた、なのに、震災の時、彼らのことなど思い出しもしなかった。そういえば障害のある人たちはどうしていたのだろうと思ったのは、ずいぶん経ってからでした。」と話されました。
被災した障害者のためにまず動いたのは、障害を持つ人たち、つまり当事者支援。障害者の視点で、生きるために必要なもの、なくてはならないものをピックアップし、それを持ってすぐに出発したそうです。
避難所や仮設住宅に入った人、また周りに迷惑をかけるからと避難をあきらめた人、原発事故のために避難区域に取り残された人、行き場を求めてさまよう人、…飯田さんは丁寧に話を聞き、映像に記録しています。
とても重い映画だと思います。この映画の持つ重さは、そのまま人が生きていくことの困難さを表し、同時に生きていくことの重さ、尊さを訴えかけてきます。
映画を見て、あの日のことを思い出しました。
2011年3月11日、私は、東京の中野特別支援学校にいました。当時の仕事は、障害児の放課後支援のNPO で、お迎え前の打ち合わせ中に大きな揺れがありました。建物の外に出ると、大きな木がみしみし音を立てて揺れていてびっくりしました。一旦揺れが収まって、知的障害の高校生の子どもたちを学校に迎えに行きました。そこでまた大きな揺れが来て、その場にいた全員が学校の体育館に避難。そのままそこで4時間ほど待機、保護者の方に連絡がつくまで待ってくださいと言われて、体育館で障害のある子供たちと過ごしました。携帯もつながらず、事務所に連絡も取れず、状況もよくわからず、でも意外と落ち着いていられました。
映画の中で、福島で、自らも障害を持ち、車いす生活をしながら障害者施設を運営している女性が「うちは妊婦さんのヘルパーがいて、その人たちをまず逃がさなくっちゃと考えた」と言っていましたが、私も同じようなことを考えました。当時スタッフ責任者だった私は、保育園に子供を預けているスタッフをまず帰さなくっちゃと考えて、事務所への伝言を託して出しました。忘れていたそんなことをを思い出しました。
不思議だったのは、知的障害の子供たちが静かに待っていられたこと。4時間もの間待たされ、たくさんの障害児がいて、パニックを起こしたり大変なことになるだろうと覚悟しましたが、そんなことは全然ありませんでした。彼らは、どうしようもないことを感じ取り、待つしかないことを直感的に理解したのでしょう。お迎えに来たご家族に連れられて帰っていくときも、騒いでいる子はほぼいませんでした。結局連絡がつかなくて、学校で一夜を明かした子供もいたと後から聞きました。
自宅は区営住宅だったのですが、その3階に住むおばあさんは、地震の揺れでガスの安全装置が働いて止まったのを、地震のせいで止まってしまったのだと勘違いして、一週間もの間、ガスなしで過ごしたそうです。そんなこともなぜか思い出しました。情報が分からないゆえの問題。視覚障害のご夫婦が、「情報が分からなくて支援物資はほとんどいただいていない」と語っていたけど、あの時、障害のある人たちはさぞかし大変だったと思います。
あれから7年がたとうとしています。東北の復興はあまり進んでいないようです。復興しつつあるところと、遅々として進まないところの二極化が起こっています。大船渡には大手のスーパーができたけど、陸前高田からは撤退したとか、そんな話も聞こえてきます。売り上げが上がるとか上がらないとかより以前に、そこに住んでいる人の生活が成り立つようにしようという視点はないのでしょうか?
原発の問題も然り、避難指示はかなりのところで解除されているけれど、それは安全を意味しているわけではない、それなのに帰還していいのか、釈然としない思いが残ります。家に帰りたいと言っていた障害を持つ人々が家に帰れたとしたら、嬉しいかもしれない、けれど、健康面への影響はないのだろうかと考えてしまうと複雑な思いです。
私は、前回、妊婦さんを逃がさなくっちゃと言った車いすの女性が、原発の問題に直面して「私たちは何もしてこなかったんだ」とつぶやく場面に胸を打たれたと書きましたが、その言葉は今、そのまま、自分へ返ってきています。この2年間、(7年間とも言えます)何にもしてこなかったんだと。彼女は、原発の問題は無関心でいた私たちが生み出してきたとも言っています。原発事故のその後に、どれだけの関心を払っているか、たとえニュースに取り上げられることは少なくなっても、知ろうとする姿勢を持ち続けているのか、改めて問われていると感じました。
2年前、私はブログに「あれから自分達は何を考え、何をしてきたのか、反省と自戒を込めて、改めてこの映画に向き合おうと思います。」と書きました。この映画を2年ぶりに見た今、何もしてこなかった自分が、この先何をなすべきなのか、何ができるのか、真剣に考えたいと思います。
(2018年2月26日 佳)

2018年1月25日木曜日

えっ?千葉で雪掻き?

 

 

2018121日、午前中から降っていた雨が、夕方に雪に変わりました。

わぁ~雪になった!庭を照らすライトの光の中を舞う雪は、幻想的な美しさです。でも、この辺りでは、雪は降っても積もらないと言われていたので、すぐ融けちゃうんだろうな、と思っていました。ところが、夜になっても雪は降り続き、庭が白くなってくる。それでも、そのうち雨になって融けちゃうんだろうと思っていました。

 

翌朝、一面の雪景色にびっくりです。ここはどこ?って感じです。東京は20㎝を超える大雪、千葉でも積雪8センチだそう。この辺ではまずないという雪景色の中を、ちょっと歩いてみようと思ったら、門が凍り付いて開かない!無理やりずらして外に出ると、入り口のスロープは凍っちゃってて滑ります。そしてまっ白です。ソテツの木に雪が積もってるなんて、珍しい光景が。これは結構な雪ですね。

 

東京にいたときは、それなりに毎年雪掻きをしました。杉並区は東京でも多摩に近い方なので、けっこう雪が積もります。仕事場の児童館では、子供たちが出入りするから入り口の雪掻きをとスタッフが交代で雪掻き。雪が降ってると、どんどん積もっていくので、後ろを振り返ると、やったかいがない状態になってたっけ。うちのアパートの前は、日が当たらないし、車も通らないので、いつまでも雪が残っちゃうから、ちょっと積もるとすぐ雪掻きしました。

そういえば、今の家の玄関は北側で、融けないと大変、雪掻きしようかな。というわけで、雪掻きを始めました。千葉の雪は東京の雪と比べて硬いみたい。雪と氷の間くらい。とんがったシャベルでガンガンやってから、軽くて平たい雪掻きシャベルで押していきます。

 

東京は4年ぶりの大雪だとのこと、雪掻きをしながら、4年前を思い出しました。その日、私はお台場に居ました。当時関わっていた、東北福祉大学通信教育部のスクーリングのお手伝いで、ゆりかもめの駅から近い会場でしたが、雪がどんどん降り積もり、スクーリングが終わるころには、ゆりかもめは止まってました。

(ゆりかもめは無人運転なのですぐ止まります。家の夫は乗車中に運転中止になって、次の駅まで線路を歩いたことがあります。)

仕方がないので、りんかい線の駅まで歩くことにしました。仙台から来た先生と一緒に歩いたのですが、どっちを見てもまっ白で、どこにいるのかわからない、誰も歩いてない、おまけに吹雪みたいな雪が降り続く。立体交差になってる歩道橋の上で、どっちに降りたらいいのか分からなくて、遭難しそうになりました。先生は、仙台よりすごい雪だねと言っていました。

 

そんなことを思い出しながら、雪掻きをしました。玄関のところだけなので、小一時間で終わりましたが、まさか千葉に来て雪掻きをするとは思いませんでした。雪掻きシャベル、捨てなくてよかった。作業の後、暖かい部屋で飲むカフェオレは、格別の美味しさでした。

 

さて、そんなこんなで、2018年も始まりました。

今年もよろしくお願いします。

 

個人的には、今年は映画の年かなと思っています。

昨年末に見た「ブレードランナー2049」あまりにも美しくて魅了されました。

さらに、年明けに「スターウォーズ・最後のジェダイ」を見て、さすがの迫力に圧倒されました。

「カンタ!ティモール」の上映会も続けます。

2月には、2年ぶりに「逃げ遅れる人々」の上映会を予定しています。東日本大震災から7年、改めて見たいと思って企画したものです。興味のある方は、ぜひご覧になってください。佳(2018124日)

 

☆このブログを書き終わった今、ル=グウィンの死を知りました。

アーシュラ・K・ル=グウィン、「ゲド戦記」の作者、大好きな作家です。このお正月は、彼女の、西のはての年代記3部作「ギフト」「ヴォイス」「パワー」を読み返したところでした。ゲド戦記も大好きだけど、その38年後に書かれた新たな物語もいいです。88歳での安らかな死だったようです。ご冥福をお祈りします。


2017年12月15日金曜日

アレックスの死と彼が残してくれたもの

 

119日、映画「カンタ!ティモール」のアレックスがなくなりました。

心臓発作だったようです。

 

「カンタ!ティモール」が作られるそもそものきっかけになったアレックス。

子どもたちに囲まれて、ギターを弾きながら歌っていたアレックス。笑顔が素敵なアレックス。41歳でした。

 

 1210日、新宿で行われたアレックスの追悼の会に参加しました。広田奈津子監督や南風島渉さんのお話、小向サダムさんの歌、東ティモールからの留学生の歌、その中で、水野たかしもアレックスの歌「モリス・フォウン」に日本語の歌詞をつけて歌わせてもらいました。

 

 そもそもの発端は、1029日の炎の雫での上映会でした。台風の中をトークのために来てくれた南風島さんと話していて、アレックスの曲でモリス・フォウンが一番好きだと話しました。いつか日本語にして歌えたらいいねと水野と二人で話していると、南風島さんもあの曲いいなあ、ぜひやってくださいと言っていました。アレックスが亡くなったと連絡がきたのが10日、翌11日は、炎の雫で網野まことさんと水野のライブを予定していました。年に数回しかやってないライブが、たまたまあるなんて、偶然とは思えません。この日は、事情を話して網野さんに先に歌ってもらい、水野はアレックスに捧げるつもりで歌いました。私が言うのもなんですが、魂のこもった歌声だったと思います。

 

さらに偶然にも1122日に高円寺の稲生座でのライブの予定もありました。こちらも1年ぶり。。そこに南風島さんが来てくれて、1210日にアレックスの歌を歌ってくれないかと提案がありました。もはや偶然というにはでき過ぎ、必然でしょうか 。10日までには無理だと思いますと一旦はお断りしたものの、千葉へ帰って話し合ってみました。水野は、曲自体は簡単だと言い、まんざらではない様子。ならば考えてみるねと、歌詞を考え始めました。サントラ・カンタソングスの訳詞からなるべく離れないように、でも私たちの思いも少しは入れて…初めの部分はすぐできて、でもサビが…明日にしようっと、と寝ました。次の朝、何故かスラっとサビもできました。広田監督と小向さん、南風島さんにメールで歌詞を送り、水野は歌いこなすための練習に入りました。

 

 何とか間に合って、10日の追悼の会では、無事に歌うことができました。水野に言われて、私は傍らで手話を付けました。もともと、上映会の時、星降る島に手話を付けて歌っていたのです。(これは江口晶さんが、上映会の時、星降る島で奥様がフラを踊ることに端を発しています。フラは無理だけど手話ならできるとやっていました)すると、終わった後に、何人もの方が声をかけてくれました。私もあの歌が一番好きという人が多いのに驚きました。日本語で歌ったことも、手話があったことも、とても良かったといってもらって嬉しかったです。アレックスの歌が繋げてくれたんだ、歌はアレックスが残してくれた贈り物なんだと実感しました。

 

 モリス・フォウンの歌詞を考えながら、アレックスに捧げる歌を作りたいと思っていました。頭のどこかでずーっと考えていました。最初に浮かんだのは「戦う術は歌だった」というフレーズ。歌詞の断片はいくつかありましたが、なかなかつながらない。かつて、16歳で亡くなった男の子のために書いた歌があるのですが、それも言葉のかけらばかりがあってつながっていかなくて、しばらく時間がかかりました。その時は、ある人に「大丈夫、まとまるときはまとまるよ」と言われたのを支えに抱えていました。今回もそうなるかな、時間がかかるかなと思ったのですが、モリス・フォウンができて数日後に、原形が出来上がりました。アレックスが背中を押してしてくれたように感じています。カンタティモールで見たアレックスの生き方を歌にしたつもりです。

 

 追悼の会が終わって千葉へ帰り、夫に、アレックスに捧げる歌を書いたの、そのうち歌にしてね、と歌詞を見せました。詩を渡してもなかなか歌にならないのはいつものこと、数か月も、時には数年もかかることもある、曲を作るのに時間がかかる人なのです。ところが、その場でギターを弾いて歌いだしました。驚くべきことです!!こんなことは前代未聞!

そして、半日で、歌はほぼ出来上がりました。アレックスの魂が降りて来て、歌を作らせているのじゃないかと思いました。私の頭の中に浮かんだ言葉が勝手につながっていって詞になり、それがギターのコードに乗って歌になる、それもこんな短い間に、これは私達へのアレックスからの贈り物、そう思わざるをえません。

 

 この1か月、私の頭の中のどこかに、いつもアレックスがいるみたいでした。

 

アレックスが2014年のカンタフェスタに寄せたメッセージに、亡くなった人たちの想いがきっと寄り添ってくれるから大丈夫、とあったけど、まさにアレックスが寄り添ってくれているようです。

亡くなった人の力を借りて、彼らのの想いも抱えながら、私たちは生きていきましょう。

 

 

♪ 日は昇り日は沈む 美しい島にまた朝が来る 

 

ティモール島は美しい島だけど、日本だって美しい島です。

 

これは、昨日の朝のいすみの光景。

朝焼けに月が浮かんでいます。

 

なんとなく、星降るの島の一説を思い浮かべました。「祈りの歌 月と出会う」

 

日は昇り日は沈む あなたは帰る 豊かな大地へ

 

 

ありがとう アレックス    (12月15日 佳)


2017年11月11日土曜日

「カンタ!ティモール」上映会&南風島渉さんのトーク

 10月29日、台風の接近の中、上映会を行いました。一時は中止も考えましたが、お客様も来てくださり、トークを予定していた南風島さんは、バイクをあきらめて、電車で来てくださって、興味深いお話を聞くことができました。以下に、その内容を記します。

 

南風島さんと東ティモールとの関わり

1993年、通信社に勤めていた時、休暇で行ったのが始まり。当時、あまり知られていなかった東ティモールで、あわよくばスクープをものにしてやろうという下心があった。ところが、周りは監視だらけでちっとも取材できない。やっぱり自分のような若造には無理だったと思ったが、現地の地下活動家の若者たちと接触でき、今度いつ来るのかと熱い視線を向けられて、じゃもう一度来ると約束してしまい、それ以来の関わり。何度か通ううちに、休暇を利用してでは到底思うような取材はできないと思い、通信社を退職して、取材を続けた。

 

「カンタ!ティモール」との関わり

2002年の独立記念のお祝いの時、初めて、この映画の監督・広田奈津子さんと出会った。彼女は、独立記念のお祝いに、ぜひ日本のバンドを参加させたいと、外務省や国連関係機関に掛け合って、ソウルフラワー・モノノケサミットというバンドを連れて行った(この映画のエンドロールはソウルフラワー・ユニオンの「星降る島」)。その後何年かして、映画を作りたいと連絡があった。君たちが感動した音楽や自然を縦糸にし、東ティモールの歴史を横糸にしたらどうかとアドバイス。8年かけて、何度もやり取りして、映画は出来上がった。彼女の粘り強さには驚嘆した。一旦映画館での公開がほぼ決まった後に、広田さんから電話があった。自主上映にしたいという話だった。大金を投じて宣伝することへの疑念を語り、もっと人と人が繋がっていくような形での上映にしたいと訴えた。「映画とともに日本全国をドサ回りすることも辞さない」という決意に熱いものを感じ、それ以来彼女をサポートしている。

自主上映での公開直前に、東日本大震災があった。震災によって、人々の価値観が揺らぎ、「カンタ!ティモール」に描かれている世界が注目を集め、これほど多くの人が見てくれるることになったとも言える。公開までに何年もかかったが、時期を待っていたかのようでもある。

 

ティモールのゲリラと人々

町中のすぐ近くにゲリラのキャンプがあったりする。一般の、ごく普通の人たちが、ゲリラを支えている。食べ物を持ってきてくれたり、情報を持ってきてくれたり。例えば、小学生ぐらいの男の子が、パンツのゴムを通す穴の中にメモを丸めて入れてきたり。南風島さんがゲリラキャンプに居るとき、コーヒーが好きだと聞くと、毎朝ポットにコーヒーを入れてきてくれて、夕方ポットを取りに来るということもあった。

 

ティモールの人は、憎しみや怒りはないという、それは本当?

怒りはないと言いつつも、怒りを感じなかったわけじゃない。怒りの感情をコントロールする術を知っている、あるいは、怒りはないと自分に言い聞かせているのかな。怒りを持ち続けることがもたらすもの、自分や周りへの影響、それが望ましくない未来へつながっていくことを、彼らは本能的に理解している。独立はより良い未来につながるものであり、より良い未来を子供たちに手渡すために、怒りや憎しみといった負の連鎖を断ち切るために、必死で闘っているのだと思う。聖人でも仙人でもない普通の人々が、より良い未来のために努力している姿こそが、尊く美しいのではないか、翻って私たちはどうすればそこに行けるのか、そんなことを考えさせられるから、カンタ!ティモールは多くの人の共感を得ているのではないかと思う。


宗教とルリック

東ティモールでは、90%がカトリック。教会にも通う敬虔なクリスチャンである。ティモールの教会は、バチカン直轄なので、当初教会は攻撃されないと考えられ、多くの人がカトリックに改宗した。(後に教会も攻撃を受けることとなるが…)その一方、アニミズム的な傾向は根強く、ルリック信仰がある。紛争当時、人々はルリックの力を必要とし、シャーマン(ルリックの守り人)にお守りのようなものを授けてもらって身に着けていた。中身は、木の皮とか石ころとか、自然のものらしい。でも持っていると言うと効力がなくなると考えられていて、「ルリックはみんな持ってるよ、俺はたまたま持っていないけどね」と誰もが言う。独立して、ほとんどの人がルリックをシャーマンに返したと聞いている。

 

ティモールの今

首都ディリは発展している。ショッピングモールもできた。一方、都市部以外では、昔ながらの自給自足に近い生活、現金収入はあまりない。所得格差が広がっている。独立闘争に参加した人たちは、、活動していたことが証明できれば、かなりの額の年金が貰える。そのため、放棄された農地が増えてしまった。農業や漁業以外に産業と呼べるものはなく、就労機会は圧倒的に不足している。映画にも登場するジョピト神父は昔ながらのやり方を続けることを呼びかけ、機械を導入して近代的な農業を発展させようという動きを止めた。

 

最後に

東ティモールは、油田から得られる収入に頼っているが、その資源は数十年で枯渇すると言われている。その他の産業と言ったら、コーヒーぐらい。そんな状況だ。

「カンタ!ティモール」は、東ティモールの一番美しい時を切り取った映画だと感じている。

 

この後、打ち上げで、更にいろいろなお話を聞くことができました。その内容について、またの機会に。

 

また、私が初めてこの映画を見た時に書いたブログをくっつけておきます。興味のある方は読んでください。

 

3年半前、ブログは「ぜひ見てください!」で締めくくられています。そして、今でもそう思います。カンタ!ティモール、ぜひ見てください!!

(2017年11月1日 佳  上映会は随時開催します。ご連絡ください。 )

 

 

2014年のブログ

「カンタ!ティモール」

 

東ティモールのことなんて、ほとんど何も知らなかった、この映画を見るまでは。

 

東ティモールってどこ?何かで耳にしたことがあるような、ニュースだったかしら、それとも旅番組だったかしら、そんな程度。のどかな南の楽園?とんでもない!

 

この映画を見て、私はその苦難の歴史と、それに対して長い戦いを闘い抜いたやさしく雄々しい人々のことを初めて知った。そしてそんな自分を深く恥じた。

 

「カンタ!ティモール」は、ある日本人女性がティモールで耳にした歌から始まる旅である。それは若くして独立運動に身を投じた若者が歌う歌。その歌をたずねながら、それは同時に東ティモールの苦しく悲しい歴史をたどる旅となっていく。

 

1975年インドネシアの侵攻によってポルトガル領だった東ティモールは制圧された。国連はそれを占領とみなし非難したが、日本もアメリカ・ヨーロッパも、インドネシアとの関係を重視し、黙認。ティモールの人たちは独立を掲げてインドネシア軍と激しい闘いを長い年月に亘って続づけることになる。その中で、20万人もの人が虐殺されたというサンタクルス事件があり、国連の監督下で行われた住民投票で独立が決まった後のインドネシア軍による破壊と殺戮があり、多くの命が失われていく。

 

この映画に出てくる人たちは、みな家族や友人を、大切な人を失いながら生き延びてきた人たちである。

けれど、彼らは言う、「悲しいけれど、怒っていない」と。彼らは、悲しんでも人を憎まないことを選んだ人々。なんとやさしく、なんと強いのだろう。彼らは軍の兵士を捕えても、決して傷つけず、ただひたすら話をして帰したという、それが長い戦いの間に、密かにティモール独立の支持者を広げることにつながっていった。そんな戦い方を知って、私は強い衝撃を受けた。そして映画の中に出てくる日本、彼らの「日本には何も望んでいない。ただインドネシア軍を支援するのはやめてくれ」という言葉、ODAの名目のもとに殺戮を繰り返す軍の援助をしている現実、まったく知らずにいた私は、本当に恥ずかしいと思った。

 

そんな現実の中だが、ティモールには人々の笑顔があふれている。ルリックと呼ばれる精霊がここかしこに現れ、人々とともにあり、時には導く。誰もがその聖性を信じ、大切にしている。美しい緑の大地には歌声が響く。ギターを持った若者を取り囲み歌う子供たち。子供たちの瞳のなんと美しいことか。その目、その笑顔は、まっすぐに希望へと続いている。いつしか思いは、わが日本へ向かう。かつてはこの日本にもあったはずのもの、さて今はどこへ行ってしまったのか、取り戻せるだろうか、まだ間に合うかもしれない。ティモールの人々には、そんな微かな望みすら抱かせてくれる力があり、この映画にはそのためのヒントがたくさん詰まっている。

 

「カンタ!ティモール」を見て、ある人が言った、元気の出る映画だよ。

「カンタ!ティモール」 勇気をもらえる映画だと、私は思う。 ぜひ見てください!!(2014年4月20日)


2017年10月16日月曜日

この秋、植物の不思議

 暑くなったり寒くなったり、半袖?長袖?、お昼はそうめん?それともあったかいお蕎麦にする?なんて、目まぐるしく変わるお天気に振り回されています。でも、振り回されているのは人間ばかりではないようです。

 

2度目のアジサイの花が咲いています。一度咲いて、枯れて、お化けのようになった花も葉っぱも切りました。なのに、なんだかまた葉っぱが増えてきたみたいと思っていたら、その陰に色のない花が…ほんとは花じゃなくて顎だそうですが…そのうち色がだんだん赤くなってきて、濃いピンク色になりました。一度目の花は、青紫っぽかったので、色も全然違います。梅雨ならぬ秋の長雨に濡れて、一段と色鮮やかになっています。不思議です。

 

ミニトマトは、いまだに花が咲いています。さすがに実はあまりつかなくなって、実がなってもとっても小さい。でも甘い。もともと、甘くておいしい種類で、もう何か月も採れ続けています。茎の下の方は黄色く枯れているのに、上の方は緑で元気な葉っぱと黄色い花が咲いてるなんて、不思議です。

 

さて、枝豆の季節は夏ですよね、もうとっくに終わりと思っていたら、先週、近くの畑のおじいさんのところに枝豆がありました。え~こんな時期に、と思いながら、袋いっぱいに詰め込まれた、市販の量の3~4倍はあろうかという枝豆を200円で買ってきました。もう3回食べたけど、まだあります。やっぱり、ぺったんこで実が育っていないものも混じっているけど、ぷっくりしているのはおいしい!実は、今年、おじいさんの枝豆を楽しみにしていたら、「今年はダメだぁ」ということで、ほとんど食べられなかったので、こんな時期に枝豆が食べられてうれしいです。でも、去年も一昨年も、10月に枝豆はなかったと思うので、不思議です。

 

不思議と言えば、オクラ。けっこう大きめで白っぽい地味な花が咲いて、その後、茎から生えるみたいに上向いてなるんですね。知ってる人には全然不思議じゃないと思うけど、私には不思議な光景でした。

 

去年はまったく実がならなかった柿ですが、今年は1本の木だけ、たくさん実がなりました。一昨年は3本とも実がなって、そのうちの甘いけど渋い柿を食べちゃったりしたのだけれど。まず、3本のうち1本しか実がならないのが不思議。一年置きというけど、他の2本はどうなってるの?そして、モット不思議なのは、種無しになっていること。一昨年は完全に種があったのに、今年の柿は、まったく種がありません。剥いて切って干す、スライス干し柿を作ったのですが、なん十個かやって、種は2つだったかな。勝手に種なしになるなんて、あり? 不思議です。

 

それから、松の紅葉。玄関先の松の木の葉っぱの先が茶色くなって、なんだか紅葉してるみたいできれい。なんて言ってたら、実はこれ、松くい虫にやられたみたい。専門家に相談したら、伐採したほうがいいかもと言われてしまいました。聞けば、九十九里一帯で被害が出ているとか。のんきなこと言ってる場合じゃなかった、対処しなくちゃ。

 

都会に暮らしていると、夏は夏、秋は秋、そんなふうにしか思わないけど、今年と去年とこんなに違うなんて、初めて気が付きました。当たり前だけど、同じ時なんて、二度とないのですね。

 

告知です。

 

10月29日の日曜日、「カンタ!ティモール」の上映会をやります。午後130上映開始。今回は、映画にも登場する南風島渉さんが来てくださって、上映後にお話を聞くことができます。南風島さんは、独立闘争時代のティモールで、ゲリラのキャンプを取材したりし、ティモールの歴史を見てきた方、めったに聞けないお話が聞けると思います。どうぞご参加ください。(10月16日 佳)

 


2017年9月14日木曜日

上総十二社祭り

 

昨日9月13日はここら辺のお祭りでした。

ちょうど店の定休日だったので、3度目の9月にして、初めてのお祭り体験。

 

上総十二社祭りは、千二百年の歴史のある由緒正しいお祭り。房総最古の浜降り神事と呼ばれているそう。玉崎神社の祭神玉依姫の命の一族が房総半島に上陸したゆかりの地・釣ケ崎海岸で再開す露ことに始まったとされています。一ノ宮、いすみ、睦沢、茂原、長生から神輿が集まります。ここらの神社はたまさき神社だらけです。(玉崎と、玉前の漢字の違いはありますが)

 

前日の荒れた天気と打って変わって、ものすごーくいいお天気で暑い!

ちょっと早めに行くと、海岸に入っていく道沿いにで店が並んでいます。たこ焼き、から揚げ、焼きそば、ぽてと、綿あめにかき氷。定番ですね。まだ人はそんなに多くない。自転車を止めて、苺氷というかき氷とたこ焼きを買いました。苺氷は、氷と一緒に凍ったイチゴを砕いて甘いミルクをかけたもの、いちごみるくという飴がありますが、その味。おいいし~い。さすが一ノ宮。

 

しばらくすると、海岸を白装束の子供たちが三々五々にやってくる。走ったり、途中で記念撮影したり。カメラを持った人がやたら多い。そのうち、一ノ宮方面から海岸沿いをお神輿がやってくる。反対側、太東海岸の方からもお神輿が、これがうちの地区の方からのお神輿かな。お神輿は、海岸に着くと鳥居をくぐって一旦上に上がり、また降りて来て波打ち際へ、ちょっと海に入ったみたい。

 

 

お神輿がまた上がっていった後も、みんなが一ノ宮方面を見ている、なんでかなと思っていたら、馬が海岸を駆けてきた。先頭の馬は誰も乗せず、若者が付いて走っている。黒い馬、わぁきれい!続いて子供をのせた馬、男の子、女の子、それから白装束の男の人、神職?それともお公家さん?、最後は武士の装束をまとった男性。馬は全部で7頭、黒、白、茶、グレー、波打ち際を駆ける馬、素敵でした!!

 

上の神輿だまりでは、お神輿の一斉差し上げ。なかなか勇壮です。その後、ずらりと並んだお神輿の下を人々が列を作ってくぐり抜ける、へぇ、こんなことやるんだ。最後は、お神輿が一基ずつ、鳥居をくぐって走り抜ける。お神輿は男の人しか担げないけど、このときはお神輿に付けた紐をもって、女子供も走っていく。

鳥居を抜けた後はまた戻ってきて、休憩、出店で買って飲んだり食べたりしてました。なるほど、出店にとってのお客さんは、見に来た人じゃなくて参加してる人なのね。

 

なかなか面白かったです。ただ、行事と行事の間がなんとなくズリズリしてる 、もうちょっとバッシッと決まっている感じがあるともっと良いのだけれど。見せるためのお祭りじゃないんだなあと思いました。

 

ちなみに、うちの集落・椎木の玉前神社のお神輿は、釣ケ崎海岸から椎木宿を経て、太東の駅前に午後7時半過ぎに到着。そこでちょっと休憩して、玉前神社に戻ったのはたぶん9時ころ。終了を知らせる音花火がなってました。あれって、どこで誰が打ち上げてるのかな。お神輿の人たちには、長い一日だったことでしょう、でもそれが楽しいのでしょうね。

 

 

このお祭りでは、海にはほとんど入ってないけど、大原のはだか祭りには「汐ふみ」という神事があって、もっと派手に海に入るらしい。見たいなあと思いつつ、今年は9月23日、営業日なので無理。来年行けたら行きましょう。(9月14日 佳)


2017年8月15日火曜日

夏のアルバム2017

 

 

 

 今年はカエルの姿をなかなか見ないと思ったら、6月の終わりにやっと見かけるようになった。でも、とっても小さい。豆粒みたいな、2か月たった今でも、体長34センチ、それに手足に色がついていて赤っぽい。去年のカエルと種類が違うのかしら。

 

ミニトマト

 

今年はお店の入り口の脇、細長い看板の裏側にミニトマトを植えました。7月はこれがどんどん取れて、しかもおいしい!甘い!!みんながびっくりするくらい甘い、これはシュガープラムという品種。去年コメリのお姉さんが、これおいしいですと教えてくれたもの、去年よりずっと豊作。

今でもまだ獲れてます。(この写真は今の写真なので、ちょっとしかなってないけど、最盛期はたくさんなってました)

 

 野菜

 

今年はピーマンもよく育ち、けっこう大きくなって、鳥よけの網を突き破って出てきたので、網から外して、実もどんどんできたので、結構食べたけど、とっても暑いころ突然枯れちゃった。なすは、ポツンポツンと獲れてます。今年はキュウリがいまいち。たまにしか獲れない。なぜかしら?

 

 


水出しコーヒー

 

夏だから、アイスコーヒー用のパックを作ろうと試作してみました。水出しコーヒーのパック。水に入れて冷蔵庫で一晩寝かせるだけでおいしいアイスコーヒーができます。もちろんそれをあっためて飲むこともできます、なんてそんなめんどくさいことはしないか。でも水出しには水出しの味があって、すっきりしてて、それが好きな人もいる。

東ティモールコーヒーの深煎りをメインにしたブレンドです。

35グラム入りで180円。3つで500円。3つ買うと、豆100グラム買うよりちょっとお得。

 

 おじいさんの枝豆

 

 今年は枝豆の季節がなかなか来ない。去年は畑のおじいさんのところで何度も枝豆を買ったのに。やっと枝豆が出たと思ったら、今年は枝豆はダメだぁとおじいさん。確かに去年みたいな粒ぞろいで立派な枝豆じゃない。でもおいしかったよ。

 

スイカ

 

 枝豆と一緒に買ってきたのが、小さなスイカ。皮が薄くておいしいよとおじいさん。食べてみたら、ホントにおいしい!!庭に出て種を地面に捨てながらスイカにかぶりつく。夏だな~。

 

壁絵

 

家の玄関とお店の入り口にしている庭の方の間に、白い壁がある。なんとなく汚くなってるし、そこに何か描こうかなと前から思っていた。夏とは思えない妙に涼しい日、それを実行に移すことに。2年前、引っ越してきた年の夏はお店のペンキ塗りをしてた。その後、物置スタジオができて、壁に絵を描いた。それ以来だ。大きな木の絵を描くことにした。葉っぱと木だけのシンプルなデザイン。何か楽しい。通りがかった近くのお寿司屋さんに「奥さんが絵を描くんだ」と言われ、なんとなく恥ずかしい。

 

壁絵2

 

外壁にペンキで絵を描いたら楽しかったので、他にないかなと探して、玄関のドアの横を見つけた。ここにも描こうっと。

実は絵を描く前に、壁のおそうじが必要。これが結構大変。

水かけて、ごしごしこすって、こっちはあまりにも汚くなっていたので、一度アイボリーで塗って、やっと描くに至る。涼しい日が続いて、作業ができた。くるんくるんと線を描く。

植物のようにも昆虫のようにも見える。

 

壁絵3

 

 玄関が終ると、物置の横の母屋の壁、ここも汚くなってるから、かなりごしごしやって下塗り。なぜか夫も下塗りに参戦。次の日朝から、くるんくるん。こちらは、植物のようにも音符のようにも見える。別に違和感ないと思うのは私だけ?それにしても、こんなに涼しい日が多くていいのかな。


海の家と花火

 

7月中旬、太東海岸に海の家がオープン。太東の海水浴場は、きれいで、混みすぎてもいなくて、でもそこそこ人がいていい感じです。海の家は3軒。昔ながらのいい風情。海の家と言ったらかき氷。抹茶のかき氷とフランクフルトとポテトフライを食べてきました。

 

花火

8月12日岬ぼんぼんフェスタというのがあって、その最後に花火を打ち上げる。それがうちの庭からよく見える。20分だけだけど、庭に椅子を出して花火観覧。家に居ながらにして花火大会気分を味わいました。花火ってやっぱりいいなあ。

 

 

 

模様替え

 

8月の始めに、お店の模様替えをしました。

窓際に4人席を作り、杉のテーブルはレコード棚の前へ、入り口のウッドデッキの横に2人席、真ん中の大きなテーブルの向きを90度変えて椅子は8つにしまし た。ちょっと雰囲気が変わっていい感じ。窓際の席はとても居心地がいい。風を感じて、ゆったり過ごしてください。

 

 植物たちは…

 

8月百日紅の花が咲きました。鮮やかなピンクの花。さるすべりっていうけど、実際には猿は難なく上るそうです。

虫よけを兼ねて植えたローズマリーは、相変わらず咲いていて、春ごろ咲き誇っていたカザニアも、ぽつぽつ咲き続けています。ソテツの木は、繁りまくって、どうしましょうという感じ。2年前にここに来た時みたいな、緑のお化けと化しています。生命力旺盛なオーシャンブルーはフェンスをいろどってくれています。

田んぼの稲は、だいぶ黄色くなり穂が垂れて来て収穫直前?というところと、まだきれいな緑色のところと、色のコントラストが美しい。お米の刈り取りが始まったところもあるみたいです。

 

そして、カンタティモール

 

「カンタ!ティモール」上映会

ご希望の方があって、今度の土曜日、8月19日の午後1時から上映会をやります。

クーラーのない当店は、真夏の上映会は無理と思っていましたが、高円寺の時に使っていたスクリーンを使って、窓は開けた状態で(遮光カーテンだけ閉めて)なら出来ると気づきました。興味のある方はご連絡ください。

 

また、10月29日(日)に、映画にも登場する、報道ジャーナリストの南風島渉さんをお迎えしての上映会が決定しました。たくさんの方の参加をお待ちしています。 (8月15日 佳)


 




ご近所グルメと商品券

  暑いですね。今年も、暑くてカフェはお休みにしました。 暑くても、おいしいものは食べたい、ちゃんと食べて頑張らなくちゃ、って思いますよね。 7月24日からカフェを夏休みにしたので、ふらっとご飯食べに行くこともできます。遠くに行くのは大変だけど、ご近所でちょっとなら。 というわけ...