2025年8月31日日曜日

2つの展覧会~草間彌生と難波田龍起

今年の夏も暑い!猛暑だからなかなか出かけられない、そんな時のお出かけにぴったりなのが美術館。去年に引き続き、真夏は美術館へ行こう、2025年版、この夏行った2つの美術館、千葉市美術館とオペラシティアートギャラリーをご紹介します。

千葉市美術館で開催中の「未来/追想~千葉市美術館と現代美術」。10月19日まで。

この展覧会、中核が草間弥生。写真はミクストメディア「最後の晩餐」と「幻の青春をあとにして」1980年代の作品です。

草間彌生は日本の現代美術の筆頭に挙げられる作家です。千葉市美術館には19の草間作品があります。一番古いのが1952年、新しいのが1991年作。今回の展覧会では、草間彌生の部屋が作られ、全作品が展示されています。そのうえ、この部屋のみが写真撮影OK。

これは「夜の目」。1975年。水彩、コラージュ、紙。
直感的にすごく好きだなと思った作品です。

こちらは1952年の作品「世界の始まり」墨、インク、パステル、クレヨン、紙。

草間は1948年に京都の美術工芸学校に入学、卒業後に松本の実家に戻ります。その頃、宇宙や原子をモチーフにした作品を描き、精神科医の西丸氏に見いだされ、日本精神医科学会に紹介されました。
子供のころから幻覚、幻視に悩まされた草間、花が、犬が人の顔になり人の言葉で話しかけてきたリ、モノの形が溶けて水玉状になって身体中が、宇宙全体が埋め尽くされてしまうという幻覚に悩まされました。彼女は、それを描いて、記録し、見つめ、対峙するという方法で戦ったといいます。

同じく1952年の「宇宙」。インク、パステル、紙。

身体中が水玉に埋め尽くされるという感じがわかります。すべての物質も自己も、水玉の粒子としてとらえ、増殖と分離を繰り返しながら、永遠の時の無限と空間の絶対の中で、あらゆる物質は回帰し還元されるという草間芸術の概念につながっています。
この2つの作品は、優しい色合いであったり、モノトーンであったり。心に残ります。後のさらにポップでカラフルな草間彌生の水玉の基が、50年代にあるようです。

1957年草間彌生は渡米します。

以降ニューヨークで個展を開いたり、様々な場所で、繰り返し「クサマハプニング」を行い、それによって時代の寵児となっていきます。
また、1960年代から、鏡を使ったインスタレーションを行っています。前面鏡張りの部屋に音楽が流れ、光が点滅する、私は松本市美術館で体験しましたが、すごくきれいです。そのほかにも様々なインスタレーションを手掛けています。
1971年に一時帰国した際は、日本でハプニングを行って逮捕されたりしています。

「Marilyn Monroe」1970年 油彩、キャンパス、金網
「夏」1977年 水彩、油彩、パステル、紐、コラージュ、紙。

千葉市美術館のコレクションには1970年代の作品が多いです。個人的にはどれも素敵だなぁと思います。これなんかちょっとプリミティブアートっぽい。

草間彌生は、1970年代に彼女にとって大きな存在だった2人の人を亡くしています。恋人と父親。恋人ジョセフ・コーネルはアーティスト、恋人とか親友とかを超えた魂の深いころで固く結ばれた存在でした。
父は幼少期の彼女に深い傷を残した、愛憎入り混じる存在でした。


1970年代、草間彌生は多くのコラージュ作品を制作しています。草間アートのイメージ、原色で色鮮やかな作品とは真逆のダークで幻想的な作品群。

恋人のコーネルは手作りのボックスに貝殻やガラスや石など様々なオブジェをコラージュして貼りこみ、独特の世界を作り上げるアーティストだったから、その影響もあるのでしょう。草間はコーネルのことをアメリカ一の天才的芸術家といっています。
生と死に深く向き合った作品、観る人の死生観を映し出します。

「あなたはいつか死ぬ」1975年 水彩、コラージュ、紙


これも1970年代のコラージュ作品。
「我が巣立ち」1975年 水彩、パステル、インク、コラージュ、紙

同じ年に描かれた、亡き父母(母は1984年没)に捧ぐとした「君は死して今」という作品があるのですが、それと何となく似ています。

草間彌生、1929年生まれの96歳。今なお現代美術の先頭を走り続けています。凄い!
いつのころからか草間彌生に魅せられて、折に触れては観に行って、そのたびにすごい!!と。 今回の展示はいわゆる草間彌生とは一味違って、よいです。


今回の展覧会、草間彌生以外にも錚々たる作家の作品が並んでいます。写真はNGなので
1点だけパンフレットの写真を。
「20連発」桂ゆき 1969年。油彩、コラージュ、合板(ベニヤ)

学芸員さんのセンス良くて、面白い作品がズラリ。展示されている作家は荒川修作、赤瀬川源平、河原温、白髪一雄、杉本博司、工藤哲己、イサムノグチ、辰野登恵子、勅使河原蒼風、マルセル・デュシャン…etc。

千葉市美術館の開館は1995年。もとは銀行だった建物を使って、中央区役所との複合施設として建てられました。
1階の銀行だった部分はホールとして残されています。
戦前の建物とあって趣があります。
ここにも立体の展示があって、ここは写真可。
この作品は「複合体101」斎藤義重 1983年。

千葉市美術館はコンセプトの3つの柱の1つに「1945年以降の現代美術」掲げています。(あと2つは「近世から近代の日本絵画と版画」「房総ゆかりの作品」)。2020年に建物全体が美術館となってリニューアル。参加・体験型のアトリエや図書室も備わりました。企画も楽しくていい美術館です。

もう一つの展覧会。
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「難波田龍起」展です。10月2日まで。

難波田龍起は生きていれば今年120歳。日本の抽象絵画のパイオニアと呼ばれる存在です。大正末期に高村光太郎と出会い絵を描き始めました。戦後、抽象へと進んでいきますが、外国から入ってくるものを咀嚼しつつ流されず、特定の運動に属することもなく、独自の道を歩み、抽象絵画の1つの到達点に達した孤高の画家です。
1992年に92歳で亡くなりました。

オペラシティアートギャラリーの寺田コレクションには難波田龍起、史男の父子の作品が多数含まれています。

この展覧会は6つのセクションに分かれています。年代を追って構成されているので、それに沿ってご紹介します。抽象画は説明は不要、ただただ観て感じればいい。なので説明は少なめでいきましょう。



1.初期作品と古代憧憬

内的生命の表現を求めて身近な自然を描き、古代への憧れへ方向性を見出す。

「月と豹」 1937年

「ペガサスと騎士」 1940年




2.戦後の新しい一歩:抽象への接近
戦後の復興する都市のビル、その「直線」に美を見出す。キュビズムを咀嚼しながら直線の構成を経て、幾何学的な抽象に到達。その一方でキュビズム由来の幾何学抽象が持つ非情さを警戒し、人間性豊かな抽象を目指す。


「庭」1951年            「天体の運行」1956年

3.アンフォルメとの出会い

1950年代、ヨーロッパのデュビュッフェら、アメリカのポロックらの抽象がアンフォルメとして日本に紹介され、その「熱い抽象」に大きな刺激を受け、ポロックのようなドリッピング(絵具たらし)、画面を覆うオールオーヴァーなどを取り入れて探求する。

「青い陽」1961年  「蒼」1965年
「紫苑」1969年   


4.形象とポエジー:独自の抽象へ

1974年に次男の史男を、75年に長男の紀夫を相次いで亡くす。2人とも画家だった。

このころから、画面に垂直線とそれとバランスをとるような細切れの水平線が走り、線と色彩を紡ぎだすように全体へ統合する独特な画風が確立。ポエジーと骨格のある造形への意思の大いなる一致。

「円の内と外」1982年




この難波田龍起展の紹介の最初に掲げた写真は
「昇天」という作品。1976年。難波田龍起展のポスターにもなっています。

そしてこちらは「曙」1978年





5.石窟の時間

1988年に制作された水彩画の連作「石窟の時間」を展示。

水彩画らしい透明感と、結晶を思わせる硬質感が不思議な共存をしている。

「人影がふえてくる」1988年

「メルヘンの世界」「草原の午后」1988年


6.晩年の「爆発」

難波田の制作は晩年に至るまで衰えることなく続けられた。1993年には88歳でパリを訪れたりしている。以降、色彩は単色となり、その単色の明暗、諧調で表現され、空間と一体化するようになる。イメージは人間の存在、有機物と無機物の区別を超えて、最も深い意味での内的生命の表現へと至った。





番外編:難波田史男

今年の2月、オペラシティアートギャラリーで今津景「タナ・アイル」という展覧会をみました。ここではメインの展覧会と、収蔵作品からそれに関連しそうなものを選んで展示するコレクション展が同時に開催されます。

その時の展示の中に、難波田史男さんの作品があって、とても興味を惹かれました。隣にお父さんの難波田龍起さんの作品もあり、学芸員さんに聞いてみると、お父さんの方なら近々展覧会を開催しますよ、とのこと。それが今回の展覧会です。難波田史男は、32歳の時フェリーから海に転落して亡くなりました。去年没後50年の特別展が開かれたようです。

さて、現代美術と抽象画に触れた夏。今まで全然知らなかったこんなに魅力的な人達が、まだまだいっぱい居るんだと知って、うれしくなりました。
もっと知りたい!美術館探訪はまだまだ続きそうです。(2025年8月31日 佳)












 

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